第260話 水着

 マクスウェルの別荘は、無人島にある小さな浜辺からさほど離れていない場所に存在していた。

 本来ならば海沿いというのは危険な場所なのかもしれないが、海流が穏やかで気候が安定しているシトリ近郊ならば、あまり問題は発生しないらしい。


 俺たちは午前中に掃除を済ませ、フィニアが用意してくれた弁当で昼食を済ませた後、海の様子を見に行くことにした。

 その別荘から浜辺へと続く小さな林道の終端で――一人の漢が仁王立ちしていた。


「ついに……我が世の春が来た!」

「今は冬だ。さっさとどけ」


 握り拳を固めて感涙にむせぶクラウドを、俺は背後から蹴り倒しておく。

 林道の出口で仁王立ちされては、通行の邪魔になるからだ。

 べしゃりとうつぶせに倒れ伏すクラウド。その背中を容赦なく踏みつける俺。これは理不尽な虐待ではない。友を卑猥な視線から守るための、必要不可欠な処置なのだ。

 なぜなら、彼の視線の先には俺の親友たちが波打ち際で戯れていたからである。


「きゃ、ミシェルちゃんまだ水が冷たいですよ!」

「ほらほら、フィニアお姉ちゃんも水に入る前に掛けておかないと危ないんだよ?」

「ミシェルってば、またはしゃいでますわね。季節を考えてくださいまし」


 三者三様のはしゃぎ方をしている、バリエーション豊富な美少女たち。クラウドが雄叫びを上げる気持ちも、わからないでもない。

 このラウム森王国は緑に囲まれた国ゆえに、気温の寒暖差があまり大きくない。

 また、シトリ近辺は南から流れ込む暖流の影響で、なおさら気温は下がりにくい。

 体感だと二十度を切ったくらいで、無理すれば泳げないこともない。今の気温はそんな感じだった。


 そこで水着に着替え、海中での行動が可能かどうかを確認する目的で、浜辺までやってきたわけではある。

 もちろん、レティーナやミシェルちゃんはそういう下準備の意識は少なく、完全に海水浴気分だった。

 いや、フィニアも例外ではない。初めて見る海に完全に舞い上がってしまっている。


 そのほっそりとした肢体を淡い緑のワンピース水着で包み、平時では見られないほど楽し気にミシェルちゃんと水を掛けあっている姿は、実に眼福である。

 成人したフィニアに負けないほどメリハリのある身体付きをしているミシェルちゃんは、スポーツビキニを新調してきていた。

 その年齢でその体形は、実にけしからんと言わざるを得ない。けしからん、けしからんぞ。うむうむ。

 レティーナも新調してきているが、猫のワンポイントの入った子供水着は……さすがに……凹凸のない身体によく似合っていた。

 腰回りにあしらわれたフリル状のスカートが、子供っぽさをさらに加速させている。とてもミシェルちゃんと同い年には見えない。


「まあ、気持ちはわからなくもないけど――」

「あれ?」

「ん、どうかした?」


 不意に、足の下からクラウドの疑問の声が上がって、俺は伸ばしていた鼻の下を引き戻す。

 見るとクラウドは不思議そうな顔でこちらを見上げていた。その不躾な視線に、少したじろぐ。


「な、なに?」

「師匠、ひょっとして、ちょっとオッパイが膨らんできた?」

「ちね」

「ぐぇえええええ!」


 俺は反射的に、踏みつけていた足に捻りを加え、倒れ伏したクラウドに追撃を加えていた。

 馬車に轢かれたカエルのような声を上げて、じたばたともがくクラウド。その背中の感触は、年齢とは不相応にごつごつとしている。

 連日俺たちと狩りに出て実戦経験を積み上げ、さらには冒険者ギルドで先輩冒険者からも頻繁に手合わせを受けているので、見かけの細さとは裏腹にその筋肉は鍛え上げられている。

 その肉体は俺が目指しているライエルに類似しており、肉付きでいうと前世の俺よりもはるかに有望そうだった。


「うぬぅ……お前なんか破門だ」

「ええっ、理不尽だ!?」

「くっくっく、師より強い弟子などいらないのだよ」

「予想以上につまんない理由だったし!」

「その辺でやめておかんか」


 ガスガスとクラウドの背を踏みつける俺に、溜息交じりの声が掛かった。これは俺の後ろからついてきていたマクスウェルの物だ。

 むろん後ろからついてきていたのだから、一連のやり取りはすべて見ていたのだろう。


「ニコル。お主の先ほどからの態度、まるで他所の女に目移りした彼氏に嫉妬する乙女のようじゃったぞ?」

「うげっ!」


 マクスウェルに指摘され、俺は全身が総毛立つ感覚に襲われた。

 最近特に女らしさが増してきた体格に、そのような指摘までされては、アイデンティティに関わる。

 鳥肌を鎮めるかのように自分の腕をさすりながら、クラウドの上から足をどけた。


「そ、そんなことねーし。クラウドなんてゴミだし。眼中にねーし」

「どこのツンデレじゃ」

「本気で言ってんだよ!?」

「さすがにそこまで言われると、ちょっとショックかも……それより師――いや、ニコル。なんでお前だけ学院指定水着なんだよ?」

「めんどーだったから」


 そもそも俺たちの目的は泳ぐことじゃないぞ。それにこの冬場に水着なんて需要がないだろうが。

 需要がないということは、あまり売ってないということでもある。あの三人がどこで調達してきたのか知らないが、この時期に首都で水着なんて取り扱っている店は、少なくとも俺は知らない。

 それに学院指定水着というのも、あながち侮れない物だ。


 生地が厚く、丈夫で、保温性に優れている。

 こういった冒険には実にマッチしている造りをしていた。

 後、成長期の生徒に合わせているため、地味に生地に余裕があるのだ。


「ニコルや……台無しじゃ」

「お前までなんだよ!」

「これではコルティナに売れんのぅ」

「その転写機から手を放せ」


 こっそりと転写機を持ち込んでいたマクスウェルは、大きく溜息をついて肩を落とす。

 相変わらずなマクスウェルに、俺は猛然と襲い掛かったのである。

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