第494話 朝の登校風景

 翌日、俺はノックの音で目を覚ました。窓からは眩しい朝日が差し込んでいる。

 昨夜はあまり動き回り過ぎるのも警戒されると思い、調査は自重していた。


「ニコル様、お目覚めですか?」

「おはよう、デン。昨夜はなにもなかった?」

「はい、特別なことはなにも」


 俺はベッドから這い出し、デンを迎え入れるべく扉の鍵を外しに向かう。

 ガチャリとドアを開けると、その向こうにビシッと執事服を着こなしたデンが立っていた。

 無防備にドアを開けた俺を見て、デンは密やかに溜め息を吐く。


「ニコル様。その格好は、いささかはしたのうございますよ」

「いいじゃない、デンしか見てないんだし」

「そういう問題ではありません。どうやらレティーナ様のスパルタ教育では足りなかったようですね」


 やれやれ、と言わんばかりに首を振って見せる。

 しかしその手に持ったトレイはピクリとも動かない。トレイの上には今日の朝食が乗っていた。


「それ、朝食? 一緒に食べよ」

「その前に着替えてください。私はここで待ってますので」

「中……はさすがに問題があるか。ちょっと待ってて」


 デンはオーガなので、別に見られても気にはならないが、外聞には影響する。

 男を部屋に連れ込んで着替えて出てきたところを見られると、さすがに噂のタネにされてしまう。

 俺は手早く制服に着替え、乱れた髪を手櫛で整える。本当ならきちんとブラシを掛けないといけないが、時間をかけると外で待たせているデンが可哀想だ。


「おまたせ」

「髪が乱れてますね」

「デンって意外と細かいな」

「今は私がニコル様の執事ですので」


 俺が室内に据え付けられた小さめのテーブルに着くと、即座にデンが朝食を並べてくれた。


「髪は私が整えますので、ニコル様は食事を済ませてください」

「まるでフィニアみたいなことを……」

「時間の節約としてなら、悪くないですね。マナーとしては少々悪いですが」

「言いたいことを言うようになったな」


 俺は目の前のトーストにバターを塗りたくり、モクモクと口に運ぶ。

 合間にポットから香茶を注ぎ、喉の奥へと流し込んだ。


「むぐ、この朝食はデンが作ったの?」

「いえ、フィニア様が。私は料理の方はあまり得意ではないので。ハスタール様も雑な料理しか作れなかったので、教えていただけませんでした」

「あー、料理とかは雑そうだもんね、あのオッサン」

「決して下手なわけではなかったのですが、なんといいますか、野外料理のようなモノばかりで」


 シャキシャキとした歯応えのサラダを口に運び、飲み下す。

 みずみずしい野菜の感触と、爽やかな野菜の香気が鼻を抜けていく。これは新鮮な野菜を使っていないと、出てこない食感だった。

 さすが貴族様御用達の学院。朝食にも新鮮な食材を用意しているようだ。


「うん、さすが高等部。いい食材使ってる」

「フィニア様も楽しそうに調理しておりましたよ」

「でしょうね」


 フィニアの料理は、一種の趣味でもある。

 彼女にとってもいいストレス発散になったことだろう。

 そんなことを考えながら朝食を終え、食後にもう一杯香茶を楽しんでいたところで、デンも俺の髪を整え終わっていた。

 席を立ち、姿見に自分の姿を映して身嗜みをチェックする。


「うん、大丈夫」

「ニコル様、授業の用意はこちらに」

「ありがとう」


 俺が鞄を受け取ったところで、またしてもドアがノックされた。

 こちらの返事を待たず、騒々しい声が聞こえてくる。


「ニコルさん、学校に行きますわよ!」

「……レティーナ、朝は静かに」


 どうやら彼女は朝から絶好調のようだ。俺はデンと含み笑いを交わしながら、ドアを開けた。




 デンとフィニアには寮内の調査を任せ、俺とレティーナは登校することにした。

 今は眼帯をつけているので魅了の力を発揮していないが、それでも目立つ青銀の髪は太陽の光を反射して輝きを放っている。

 その光が否応にも行きかう人の視線を惹きつけていた。


「視線が痛い」

「そんなの昔からだったでしょ」

「慣れるまでしばらくはこのままかぁ」


 校舎に入り、校内用の靴に履き替えようとロッカーの扉を開く。

 すると中から手紙がドサドサと雪崩を打って流れ落ちてきた。


「……またか」

「初等部でもありましたわね、この光景」

「なんでレティーナには手紙来てないの?」


 俺はもちろんだが、レティーナも負けず劣らず美少女だ。少々胸は足りないが。

 しかも同じく転入生。条件なら俺とそう変わらないはず。

 だというのに彼女のロッカーには、一通の手紙も入っていなかった。


「わたしは転入初日に『今日からあなたたちのクラスメイトになってあげてもよくってよ、オーホッホッホ』と高笑いを上げたので、敬遠されてますの」

「目立つのが役目でしょうに?」

「これ以上ないくらい目立ちましたわよ!」

「そっち系!?」


 確かにその言動なら、最高に目立つだろう。しかし人が寄り付かなくなっては調査どころではない。

 ドン引きされては、会話もろくに成立しない。

 俺は膝をついて手紙をかき集め、まとめて廊下の脇に置いてあったゴミ箱に投げ込んだ。


「あら、お返事は書きませんの?」

「なんて書くの? この数だとそれだけでも一苦労なんだけど」

「当たりのお相手がいたかもしれませんのに」

「レティーナ、面白がってるでしょ」

「実はかなり」


 生真面目に返事を返したレティーナの頬を、俺は両手でつねり上げた。


「いひゃい、いひゃい!」

「友達をからかった罰だよ。もうしない?」

「ひゃが、ふぉふぉわりゅ」

「『だが断る』? 言ってくれるじゃない!」


 対抗するように、レティーナも俺の頬に腕を伸ばしてくる。

 それを仰け反るようにして躱し、制裁を続ける俺に、別の生徒が話しかけてきた。


「あの、おはよう、ニコルさん」

「あ、おはよう」

「レティーナさんもおはよう」

「おひゃようごじゃいましゅわ」

「……プッ」


 頬を引っ張られたままの顔で返事をしたレティーナに、その女子は小さく噴き出した。


「にゃんですの?」

「いえ、すみません。レティーナさんはもっと取っ付きにくい人かと思ってました」


 さすがに会話の最中に頬を引っ張り続けるのは可哀想だと思い、俺は手を離す。

 レティーナは真っ赤になった頬を両手で押さえ、フニフニと揉んでいた。


「もう、酷いですわ、ニコルさん」

「知らないし」

「ニコルさんも、もっと近寄りがたい人かと」

「わたしは貴族じゃなくて平民だから」

「でもあの六英雄の血筋ですもの。そこいらの貴族より、よっぽど……あ、ごめんなさい」

「別にいいよ」


 それは幼い頃から常に言われてきたことだ。今さらこの程度で堪えたりしない。

 むしろそこを気にしてくれるだけ、彼女は気遣いができると言えるだろう。

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