第235話 蹂躙

 否、爆発したのではない。その向こうにいた何者かが、剣の一振りで木箱の山を丸ごと吹き飛ばしたのだ。

 いくつもの木箱が、たった一振りで木くずにまで粉砕される。

 それはまるで、雪のように細かく砕かれ、コルティナとマテウスに降り注いだ。


「なん――だ!?」


 突如巻き起こった破壊に、マテウスは驚愕の声を上げる。

 だがとっさに背後に飛び退り、安全を確保する辺りは実力者たる所以だろう。


 舞い散る木くずの向こうから、一人の男が現れる。

 それはマテウスが最も警戒していた男でもあった。


「――ライエル!? なぜここに!」

「そりゃ、客が窓を突き破って飛び出したんだもの。宿の人が訝しんで様子を見に来てくれるのは当然よね。なら残してきた書き置きも見つけてくれるわ。ライエルを呼んでくれるように指示しておいたの」

「そんな不確定な……頼みを聞いてくれるとは限らねぇだろうに?」

「それを聞いてくれるからこそ『信頼できる宿』なのよ。それに書き置きがあったのに無視して私を死なせたとあったら、今後の信用問題になっちゃうもの。ちょっと考えれば、聞いた方がマシだってすぐわかるわ」

「だが、誘い込む場所まではわからないはず……」

「そうね、だから目印の魔法を打ち上げたのよ。下から上へ、ね?」


 茶目っ気たっぷりにウィンクして見せるコルティナの言葉に、マテウスは上空を振り返った。

 そこには上空に灯る小さな光明ライトの魔法が浮かんでいた。


「攻撃魔法に混ぜて、光明ライトの魔法を放っていたのか?」

「別に放った魔法が攻撃魔法だなんて言ってないわよ」


 地面を転がるコルティナから放つ魔法は、上方向への攻撃がほとんどだった。その中に目印となる信号弾代わりの光明ライトを混ぜ込んでいたのだ。

 これを目印にして、ライエルは駆け付けたのだった。


「あなたの話に付き合って軽口を叩いていたのも、時間稼ぎ。疑わずに付き合ってくれてありがとうね」

「くそ、妙に余裕振ってると思ったら……」

「――で、お前がマテウスって奴か?」


 コルティナの思惑にまんまと嵌まり、歯噛みして屈辱を噛み締めるマテウスに、ライエルが初めて話しかけた。

 日頃は人当たりのいいライエルだが、この時ばかりは押し殺したような声を絞り出す。

 放たれる威圧感に……いや、恐怖にマテウスは一歩後退させられた。


「あー、くそ。本来なら逃げたいところなんだが?」

「させると思うか?」


 背中を見せた瞬間、踏み込まれて斬られる。マテウスには、ありありとその光景が脳裏に浮かんでいた。

 この相手に、背は見せられない。ならば前に進むしかない。だがその足が、恐怖で前に出ない。


「悪いが、娘にまとわりつく悪い虫を駆除させてもらおう」

「……こりゃヤベェわ?」


 じっとりと背中を伝う冷や汗が、互いの実力差を思い知らせる。

 ライエルの到着に、コルティナは大きく息を吐いた。


「ライエル、私は足を怪我したから、手伝えないわ。悪いけど一人で対処して」

「承知した。安心してそこで見ていろ」


 ぶらりと持っていた剣をマテウスに突き出す。

 それだけで、マテウスの全身が総毛立った。それでも彼は強引に足を動かし、前に出る。それしか生き残る道がないと判断したからだ。

 動かぬ足を意志の力で無理矢理動かし、裂帛の気合と共に剣を振る。

 その一閃は、彼にとって全力を振り絞ったものだった。


「おおおおおぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉ!」


 めったに見せない雄叫びを上げて、全力での一撃をライエルに見舞う。だが彼は、それを虫でも払うかのように、軽々と剣で弾き返して見せた。

 斬りかかったマテウスの方が弾かれた剣に引き摺られ、大きく仰け反る。片手での攻撃の重さが自慢だったマテウスの、そのさらに上を行く一撃。


 だが二刀を持つマテウスは、重く間断なく続く攻撃が自慢だ。

 反対側の剣を使って続けざまに斬り付ける。だがライエルはその斬撃を、有ろう事か左腕で受け止めて見せた。


「なっ!?」


 人間の腕一本なら、容易に斬り飛ばす自信がマテウスにはあった。だがライエルの腕から返ってきた感触は、まるで鋼鉄に斬りかかったような感触だった。

 いや、鉄と違って弾力はある。だが刃が通らない。

 皮は裂けた。だが肉が切れない。

 薄く、一筋の血が流れ落ちる程度。それがマテウスの全力を受けたライエルのダメージだった。


「この……化け物め――!」


 圧倒的高密度の筋肉が、マテウスの攻撃を受け止めた。それは彼にとって常識外の存在の証だった。

 どれほどの修行と、どれほどの修羅場を経験すれば、このような肉体が作り上げれるのか。


「ライエル、クレインの居場所を吐かせるんだから、殺しちゃダメよ」

「ああ」


 押し殺した一言だけ返し、今度はライエルが剣を一閃した。マテウスは両手の剣を交差させて、その一撃を受ける。

 だが両手で受けてなお受け止めきれず、数メートルも路地を跳ね飛ばされてしまった。

 一本の剣は砕け、もう一本も無残にひしゃげている。だがおかげでマテウスの命は守り切ることができた。

 

 地面を無様に転がって顔を上げるマテウス。それはライエルとマテウスの距離が開いたことでもある。この機を逃がすまいととっさに起き上がり、逃亡しようと背を向けた。

 しかし、直後マテウスの肩は力強い手で抑え込まれる。

 恐る恐る背後を振り返ると、そこには跳ね飛ばした距離を一足飛びで間合いを詰めたライエルの姿があった。


「うっそだろ!?」


 戦闘中に始めてマテウスが余裕を無くした、悲鳴のような声を上げる。

 直後ライエルの腕が大きく振られた。無論、マテウスの肩を握ったままだ。

 まるで小石のようにマテウスは投げ飛ばされ壁に叩きつけられる。


「がはっ!」


 それでも剣を手放さなかったのは、さすが歴戦の暗殺者と言える。

 しかしその顔も次の瞬間絶望に変わった。


「お、おい……」


 壁に叩きつけられ、地面に倒れたマテウスの足をライエルが掴んでいたからだ。

 またしても無造作にライエルの腕が振られる。幼児が人形を振り回すように、マテウスの身体が宙を舞う。

 そのまま地面に叩きつけられ、今度こそ血反吐を吐いて剣を手放してしまう。

 とっさに頭をかばうのが精一杯で、叩きつけられた衝撃で胸の辺りでパキパキと音が聞こえた気がした。


 ライエルは、さらにマテウスの身体を振り回す。

 二度、三度とマテウスの体を地面に壁にと叩きつける。その度にマテウスは血を吐き、どこかしらの骨が砕けていく。

 握られた足はすでに砕け、ブラブラとあり得ない方向に曲がっていた。

 それでもマテウスは意識を失っていなかった。いや、全身を襲う激痛の嵐に、気を失うことすらできなかった。


 そしてついにマテウスの身体を再度壁に投げつけ、ライエルの猛攻が止まる。

 しかし、もはやマテウスには反撃の手段はない。逃亡の術さえ無い。 

 足は砕け、肋骨は砕け、肩も砕けていた。もはや無事な場所の方が少ないくらいの惨状。


 力なく壁にもたれかかるマテウスに向け、ライエルは拳を握り締め、振りかぶった。

 満身創痍で避ける術さえないマテウスは、それを見ても虚ろな笑みを浮かべるだけだった。


「は、はは……こんなの、どうしろって……いうんだよ?」

「娘の仇だ。覚悟しろ」

「ちょっと、ニコルちゃんは死んでないわよ!」

「……娘?」


 その言葉に、マテウスはいろいろと腑に落ちた思いがした。

 年齢不相応な戦闘力を発揮したニコル。その親がライエル。ならば母はマリアということになる。

 竜殺しの六英雄。その血筋を濃縮したような少女。苦戦するはずである。


「そりゃ……手こずるはずだわ」


 そしてライエル。六英雄最大の個人戦闘力を持つ聖剣の後継者。

 自分の全力すら皮を切る程度に留まり、その後はまるで玩具のように振り回された。

 圧倒的な実力差。比べることすらおこがましい戦力差。彼が現れた直後に敗北を認め、命乞いをすべきだったかもしれない。


 ここまで圧倒的な敗北は、ジェンド派の頭目に敗れて以来だった。

 それから入門し、修業を積んで強くなったと自覚していた。いつか頭目を倒すべく、ジェンド派と意図的に距離を離したりもした。

 だがそんなことは全く関係なかった。いつだって強者は唐突に目の前に現れ、嵐のように暴れ回り、そして全てを蹂躙して奪い去っていく。

 目の前の、この男のように。かつてのジェンド派の師匠のように。


 絶望的な気分で、マテウスは目を閉じる。こんな相手に、抵抗は無意味。そう全てを観念した表情で。


 そして――ライエルの拳が振り下ろされた。

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