第500話 デンの実力

  ◇◆◇◆◇



 フィニアはレティーナの部屋を清掃した後、デンと共にニコルの部屋も清掃する。

 デンももちろんその程度のことはできるのだが、女性の部屋だけに配慮が必要な部分がある。

 そこでフィニアにそれらの作業を頼むことにしていた。


「それに、ニコル様の正体に関しても、秘密にしないといけないのに」


 一人で部屋を掃除しながら、ポソリと呟く。彼女はデンの事情を知らないため、ニコルがレイドであるという事実を隠すために心を砕いていた。

 もちろん、デンの方は風神からニコル=レイドの事情を聴いているので、その必要はなかったりする。

 そのデンは隣の簡易厨房の周りを清掃しているので、声は届かない。

 しかし、ニコルから極力二人一緒に居るように命じられているので、この状況は便利な状況と言えた。

 自然な理由で一緒に居られるのだから、周囲から不審に思われることはない。


「フィニア様、少しよろしいでしょうか?」

「ひゃ、はい?」


 フィニアに対しても丁寧な口調を崩さないデンに話しかけられ、やや緊張した声音で返事をするフィニア。

 厨房から顔を出したデンは、空の瓶を手に持っていた。


「香茶の葉が切れていましたので、買い出しに行きたいのですが」

「あ、ニコル様は消費が激しいですからね。わかりました、私も一緒に行きます」

「お手数を掛けます」


 ニコルの好む茶葉まではデンにもわからない。これに関しては、長年世話をしてきたフィニアの方に軍配が上がる。

 そそくさとエプロンを外し、レティーナの部屋の向かいにある自室から財布と買い物籠を持ち出し、外出の準備を整えた。

 デンもその間に出かける準備を整えており、二人そろって主人と自分の部屋を厳重に施錠してから寮を出た。

 ちなみに部屋の主であるニコルやレティーナも鍵は持ち歩いているので、施錠しても大丈夫である。

 もっともニコルの場合、この程度の鍵はあっさり開けてしまえるのだが。


 街路を並んで歩いていると、周囲の視線がビシビシと突き刺さる感覚をフィニアは覚えていた。

 一見するとデンは美少年なだけに、フィニアと並ぶと一枚の絵画のように互いを引き立てている。

 前回街に出た時は、ニコルとレティーナが顔を隠すという怪しい格好をしていたので、その分相殺されていたのかもしれない。


 フィニアがちらちらと周囲を窺っていると、やはり路地の奥などに不審な人影を見かけることがある。

 あからさまに不穏な者たちがそこかしこに潜んでいる。その状況に、フィニアは腰の後ろに差した短剣に思わず手を伸ばした。

 それをデンは目敏く見つける。


「何かおかしなことでも?」

「いえ。この街は怖いな、と」

「確かに、治安の悪いところもあるようですね。どうぞこちらに」


 デンはフィニアを道の内側に誘導する。

 人目の少ない路地裏から、少しでも遠ざけようという気配りだ。

 そうして目的の茶葉と、いくつかの日用品を買い込んだ二人は寮への帰路に就いた。

 しかし、その二人の前に三人組の男たちが立ち塞がった。


「おおっと。ちょっと待ちなよ、お嬢さん?」

「きゃっ!?」


 衝突しそうになって、小さく声を上げて足を止めるフィニア。その彼女の腕を引き、即座に背後に庇うデン。

 二人はその三人に見覚えがあった。前回絡んできた酔っ払いたちである。

 彼らは二人を取り囲むような形で立ち塞がり、そのまま路地裏へと押し込むように、圧力をかけてきた。

 フィニアとデンはそんな彼らの動きに逆らわないよう後退あとずさり、結果的に路地裏へと押し込まれてしまっていた。

 もちろんそんな彼女たちを街の人間は見ていたのだが、誰が何をいうともなく通り過ぎていた。


「な、何か用ですか?」


 フィニアの少し怯えの入った声に、ニヤニヤとした笑みを浮かべる男たち。

 彼女の実力ならば、この程度のゴロツキは簡単に処理できるのだが、やはり荒事には向いていない大人しい性格のため、暴力沙汰になる前は尻込みしてしまう。

 それに今回は男たちもそれぞれ武装しており、腰に剣を差しているのがより不安を煽っていた。


「この間のお礼を少しなぁ」

「そうそう、赤っ恥かかされちまったしなぁ」

「謝礼は払ってもらわないとなぁ」


 粘つくような笑みを浮かべたまま、フィニアに向けて手を伸ばす男。

 しかし彼女も、怯えるばかりの町娘とは違い、反射的に防衛行動を取った。

 前に立つデンを無視して伸ばされたその腕を、フィニアはとっさに掴んでひねり上げる。


「ぐぁっ!?」


 ひねり上げられた男は悲鳴を上げ、引っ張られるままに身体を前に倒す。

 前屈みの姿勢になったところで、フィニアはその首筋に向けて肘を叩き込んでいた。


「てぇい!」

「あぐっ」


 自分が一体どうやって倒されたのか、それすら理解できず地面に転がる男。

 それを見て仲間の男たちは、さらに頭に血を昇らせた。


「このアマぁ!」


 腰の剣を抜き放ち、フィニアに斬りかかろうとするが、それにはまずデンが邪魔になる。

 そのデンに斬りかかった攻撃は、あっさりと半身になって躱された。

 それどころか、デンは半歩踏み込むことで間合いを詰め、逆に喉元に手刀を叩き込んでいた。

 喉を強打され、悲鳴すら上げることができず、もんどりうって倒れ込む男。命の別状はないが、喉へのダメージにより、呼吸すらままならない有様だった。


「まだ、やりますか?」

「くっ……」


 唐突に始まった戦闘に、やや息の上がった声を上げるフィニア。

 しかしその上ずった声に気付く余裕は、残された男にはなかった。

 仲間二人があっという間に返り討ちに遭い、残るは自分一人。少年と少女の二人組ということで、甘く見ていた事実をようやく悟ったのだ。


「くそ、こうなったら……」


 圧倒的不利な立場になった男は、懐から小瓶を取り出した。

 手慣れた動きでその栓を引き抜き、一息に中身を口に流し込んだ。

 その流れるような動きは、フィニアたちが割り込む隙も無く、ただ見ているだけしかできなかった。


「ぐ、ぅああああぁぁぁぁぁぁああアアアアアアア!!」


 絶叫と共に男の肉体がボコボコと膨らみ始める。それは筋肉が異常に膨張して発生した現象だった。

 眼球の毛細血管が裂け始め、白目の部分が赤く染まっていく。


「クヒ、クヒヒヒヒヒヒヒ……」


 ダラダラと涎を垂れ流しながら、男は血走った眼をフィニアたちに向ける。

 その顔には一片の理性も残されてはいなかった。


「三度、使える、『クスリ』、一気に、使った。これでお前、たち、くびる、簡単――」


 濁りの混じった発音で、話しかけてきた。首周りの筋肉も異常に膨張しているため、まともな発音はすでにできていない。その様子から、当初はフィニアをもてあそぼうと考えていた記憶など、欠片も残されていなかった。


「殺す……殺す、殺すコロス壊す壊して潰して、終わらせてやるるるるるるぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 絶叫と共に振り下ろされる剣。

 同時にデンはフィニアを蹴り飛ばし、その反動で反対側に跳躍していた。


「失礼を」

「きゃっ!?」


 直後、二人のいた空間を剣撃が通り過ぎる。

 奇妙に伸びた腕から振り下ろされた一撃は、容易く石畳を粉砕し、衝撃波を発生させていた。

 波紋のように石畳が波打ち、同時に転がっていた二人の男がバラバラになって吹き飛んでいく。

 安全圏に離脱したフィニアたちが見たのは、反動で腕が粉々になった男の姿だった。


「もはや人にあらず、というところですか。なら遠慮はいりませんね」


 小さく呟いたデンは、声とは反対に大きく踏み出し、強く、激しく地面を踏みつける。

 鼻先が触れるほど男に接近し、拳を縦にしたまま、独特の拳打を流れるように男に叩き込む。

 その震脚から生み出された破壊力は、男の剣撃と同格……いや、さらに激しく、しかも衝撃が一点に集約されていた。

 直後、まるで破城槌にでも貫かれたかのように、男の身体が爆ぜ、胴体に大穴が空いた。


「ぐぅ?」


 肺から横隔膜の辺りを吹き飛ばされた男は、言葉を発することができず、イビキのような唸りを上げて自分の身体を見下ろす。

 まるで、夢から覚めてようやく自分の状況に気付いたような顔。


「う、うそ、だ……」


 ようやくそれだけを言い残し、男は崩れ落ちた。


「ふぅ。どうやら事なきを得たようですね」

「って、デンさん、すっごい強いじゃないですか!?」

「え? ああ、はい。一応ハスタール様から鍛えられましたので。それより、早くこの場を離れた方がいいかもしれませんよ」


 デンの指摘にフィニアは初めて周囲の状況に気付いた。

 騒動と呼ぶにはあまりにも大きな戦闘音と破壊痕。さすがにそれを恐れて、周囲の住人が様子を見ようと顔を覗かせていた。

 このままでは衛兵に連行され、根掘り葉掘り聞かれることになってしまう。

 それはニコルたちにも悪影響があるかもしれなかった。


「い、いきましょう」

「それがいいですね」


 二人は男たちの死骸を放置したまま、その場を立ち去ったのだった。

 どのみち、視線を逸らすようにして『見なかった振り』をしていた住人たちは、こちらの顔なんて覚えていないだろうと確信して。



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