第75話 交渉
女王華から否定の言葉を突き付けられ、コルティナは一瞬継ぐ言葉を失った。
無論、こちらが無条件で蜜をよこせと言っていた訳ではない。コルティナも相応の対価を提示していた。
森の中に住むトレント達に金銭は報酬にならない。
だからコルティナが提示したのは良質な肥料。正確には、先程のファイアジャイアントの死骸だ。
強いモンスターはそれだけ高い魔力を内包する。
それを発酵させれば、高い魔力を内包する肥料になるはずだった。これはトレントにとってご馳走と言ってもいい。蜜と充分に釣り合うはずの報酬だ。
それでも女王華は拒否してきた。
「なぜです? 充分な対価になるはず……」
「まぁ待て、説明する。まず我等は、今繁殖期にあってな」
トレントの繁殖。それはつまり、女王華が種を孵す時期という事だ。
他にも、魔力に満ちた土地で古木がトレント化する事象などもあるが、それは狙って増える現象ではない。
「孵った若木達に蜜を与えねばならぬ。人に分ける量はないのだ」
「しかし……ファイアジャイアントを肥料化すれば、その栄養で蜜を増産できるのでは?」
「無論、それも可能だ。しかし土地が悪い。この痩せた地では効果は薄い」
確かに周囲が岩場だらけの高山地帯では、植物の養分は薄かろう。
だが、ならばなぜ、彼女達はこの地にやってきたのだ? ファイアジャイアントの住処を奪ってまで。
俺に気付く矛盾を、コルティナが気付かないはずもない。彼女も、その疑問を口にした。
「なぜこの地に? 養分ならば麓の森の方が豊富なはず」
「数週間前にな、賊が侵入したのだ」
「賊? トレントの領域に?」
「うむ。しかも我等の種を数粒奪って行きおった。故に監視のため、見晴らしの良いこの場に移動してきたのだ。幼子を守るためにな。おかげで予定よりも蜜の貯まりが遅い」
「それなら私達もこの子を守るために、あなたの蜜が必要なのです。それはお分かりでしょう?」
コルティナもここは譲る訳にはいかない。子供の命が掛かっていることは互いに同じだ。
無論、力ずくで奪う事もできる。だが言葉を交わし合える相手を蹂躙するというのは、俺達だって気分のいい物じゃない。
「子を守りたいのは互いに同じ。ですが力で奪い取る真似はしたくない」
「むぅ……」
女王華も、こちらが邪竜を倒した強者である事は理解している。
護衛として上位種のトレントを二体残してはいるが、その程度で押さえられる人材ではない。
俺たちが力に訴えれば、彼等は蹂躙されるしかないだろう。
「待て待て、コルティナ。お主らしくもなく焦っておるな?」
「え……あ、そうかも……?」
暢気に声を掛けるマクスウェルに、ようやくコルティナは切羽詰まっていた自分に気が付いた。
彼女にとって、俺の命が掛かっているという事はそれほど重要な事だったのだ。
「落ち着いてね、コルティナ。ニコルの事はもちろん大事だけど、あなたがそこまで気負う事は無いのよ?」
「そうもいかないわよ。もう仲間を死なせたくないもの――」
マリアが肩を叩き、コルティナを落ち着かせる。
それに答えた彼女の小さな呟きに、俺は気負いの原因を悟った。
やはり俺の死だ。それが彼女に、『誰も死なせない』というプレッシャーを与えている。
「ならば……こうしよう」
そこへ女王華から、新たな提言が持ちかけられた。
彼女としても、自分達が不利である事は理解している。俺達が実力行使に出ればなすすべもなく蹂躙されるのだから、強硬に反対しても利益はない。
そこで交換条件を出す事で、事態を打開しようと考えたのだろう。
「我等とて、進んで滅びたい訳ではない。だが種の為の蜜は残しておきたい」
「それは理解してるわ」
「そう急くな。そしてお主達もまた、蜜を必要としておる。そこの幼子のためにな」
「ええ」
そこで女王華は麓の方に視線を向けた。
そこには、大地の滋養溢れる森林地帯が広がっている。
「我等が麓に戻れば、蜜の増産は可能じゃろう。巨人の死骸もあるでな」
「なら――」
「急くなと言うに。じゃが無防備に麓に戻っては、また種を奪われてしまうかもしれぬ。奴等は一度、我らの目を掻い潜っておるのだ」
女王華の生み出す種は、女王華の幼生――つまりアルラウネを生み出す。アルラウネがドリアードへと進化し、やがてその中の一体が女王華へと到るのだ。
そしてその女王華の種は寿命を延ばす秘薬としても使用される物だ。すなわち、大金になる。
強奪者は既に一度、彼等の警戒を掻い潜って種を奪っている。
一度掻い潜った警戒ならば、もう一度掻い潜るのも可能だろう。
それは女王華としても避けたい事態だ。
「そこでお主たちには、犯人を捕らえて欲しい。殺してもよいし、捕縛してもよい。つまりは二度とここへ来れぬようにしてほしいのだ」
「なるほど。犯人がいなくなれば、種を奪われる心配はなくなるから、麓に戻れる」
「麓に戻れれば、滋養溢れる大地の力と巨人を糧に、蜜を増産できる――という訳じゃな」
「確かにそれなら……でも時間が……」
「この辺りで手打ちにしてくれれば、ありがたいんじゃがの」
そもそもの原因はきっかけとなる強奪を行った側……つまり人間にあると言っていい。
その尻拭いをするのは業腹ではあるが、力ずくは本意ではない。
ならばこの辺りで妥協するのが適当だろう。問題は犯人逮捕まで俺が持つかだが、俺の症状はそれほど切羽詰まった状態ではない。
「コルティナ、わたしは大丈夫」
「ニコルちゃん……そうね、この辺が妥協点かもね。わかったわ、犯人をぶちのめすのはこちらでやってあげる」
「ブチのめせとまでは言っておらんのじゃが……まぁ、同じことかの」
コルティナと女王華は握手を交わし、契約を終えた。
こうして俺達は、この森から種を奪い取った犯人捜しを行う事になったのだ。
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