第241話 侵入開始
セディム近くの街道上に転移し、夜道を歩く。
ジーズ連邦の首都セディムはマタラ合従国との海上貿易で栄えた街であり、港が近い。
だが立地上、港町というほどではなく、むしろ崖の上の少し内地に街があると言っていい。
セディムから近くの港まで荷を運び、そこからマタラまで海上航路で輸送する方式を取っていた。
男たちの案内でセディムのそばまで寄った後、唐突に向きを変え、切り立った崖の上に向かっていく。
その進行方向には屋敷が一見存在しているのが、遠目から見えた。
「あそこか?」
「あ、ああ」
「クレインやお
「正面から忍び込むのは、さすがに無理があるか」
見張りの目に届かない距離まで近づき、そこで俺は男たちに屋敷の見取り図を聞き取りながら計画を立てる。
屋敷は切り立った崖というか、むしろ岬のような立地に立っているため、正面以外の三方は海に囲まれている。
そして正面は街道が通っており、見通しがいい。幻覚の指輪があるならともかく、今の状態では忍び込むのは難しそうだ。
「そういえばお前らの名前は? 俺はニコル」
「俺……? さっきはわたしって……」
「人前では取り繕っているんだよ」
「そうなのか、いや、俺の名前はアーガスだ」
「俺はバウマンだ。今日からよろしく頼む」
「ああ、よろしく。っていうか、俺はマクスウェルの手下じゃないからな?」
なんとなく同僚に向けるような親しみを感じたので、一応釘を刺しておく。
地面を短剣で削りながら見取り図を描き、進入路を検索していく。
「街道のこっち側なら、ここの植え込みが邪魔になって近付けるんじゃないか?」
「いや、そっちは途中までしか視界が塞がってないんだ。その先が無理」
「見張りは何人いるんだ?」
「中には奴隷商とクレインの旦那、それにお頭と部下が八人の予定だったはず」
「全部で十一人か、多いな。ならいっそ崖を登ってみるか。崖の高さはどれくらいだ?」
今の俺には新しい
「二十、いや三十メートルくらいはあるぞ」
「結構高いんだな」
「それに風も強くて、波も激しく打ち付けている。ここいらは海流が荒いから、下手をしたら登ってる最中に波にさらわれてしまう可能性もある」
「大体そのためには、一旦崖を下りないといけないからな。現実的じゃない」
「むぅ……面倒な」
さすがに非合法の奴隷を扱っている商人が拠点に使っているだけあり、妙に警戒が厳しい。
だが俺に取れる手段としたら、崖側からの潜入しかない。
「なんじゃ、別に登らんでも可能じゃろう?」
「マクスウェル、いい手があるのか?」
「飛べばよかろうなのじゃ」
「……ああ、その手が……」
マクスウェルには
「そうなると屋根からの侵入になるな。都合のいいことに今日は雲が出ている」
これが晴れていれば、月明かりで俺の影が浮き上がってしまうため、上空からの侵入は厳しくなっただろう。
しかし雲があれば影が落ちることが無いため、基本黒ずくめの俺は目立たない。
「とりあえず屋根の上まではワシも一緒に行く。いざというときにワシと合流すれば逃げることもできるじゃろ」
「確かに屋根の上ならば、見つかりにくいし、帰りも飛んで帰らないといけない可能性もあるか」
「屋敷の中はまず転移阻害されておると思っていい。じゃから、逃げるときは屋根の上まで来てくれ」
「承知した」
俺たちはアーガスたちに待機するように命じておき、マクスウェルの
流れる雲を背に、月光を避けるようにして屋敷に近付いていく。
そのまま、屋根の上に静かに舞い降り、周囲を警戒する。すぐ下のバルコニーには一人の見張りが存在していた。
俺は口に指を当て、マクスウェルに静かに行動するように促す。
マクスウェルも一つ頷き、懐から鳩を取り出した。鳩は俺の肩に移動して大人しく動きを止める。
これはおそらく、連れて行けということなのだろう。
俺もその意図を察して頷き返し、屋根の端に移動する。
すぐ下のバルコニーには見張りが一人。物音を立てればすぐにでも隠れていることがバレてしまう。
そこで俺は腰のケースから短剣を抜き、その反射を利用して屋根の下を窺う。鏡も持っているのだが、光を反射しすぎると発見される危険性もある。
この振動の能力を持つ短剣は、適度に光を反射してくれるので、鏡の代わりに使えた。
バルコニーの奥は広めの部屋になっており、そこに人影は存在しない。
見張りについているのは、この下にいる男一人のようだ。
ならばこいつだけを静かに始末すれば、進入を疑われることはない。
俺はさっそく屋根から糸を飛ばし、見張りの首にかける。そして筋力を強化してから、全力で引っ張り上げた。
前世ならば屋根の縁に糸をひっかけて飛び降りれば、吊るし上げることができたのだが、今の俺は体重があまりにも軽すぎる。石でも背負わない限り、男を吊り上げることは不可能だ。
だが筋力を強化し、力任せで引き上げれば絞め殺すことも可能。
「ん? ぐっ、がはっ!?」
男はくぐもった声しか上げることができず、首に食い込んだ糸を外そうと足掻く。
とっさに左手で短剣を引き抜き、糸を切ろうとしたところを見ると、結構訓練は積んでいるようだ。
右手で糸を外そうと首を掻き、左手を振って糸を切ろうとする。
これがいつものピアノ線だったら、それで切られていたかもしれない。しかし今はミスリルを加工した糸で釣り上げている。
そこらの短剣程度では、切り離すことはできない。
やがて男の足は床を離れ、もがく動きも止まる。血の混じった泡を吹き始めたのを見て、俺は糸を外した。
男は力なく床に倒れ、うつぶせに倒れる。ピクリともしていない。
俺はすぐさま男のそばに飛び降り、念のため首筋に短剣を突き立て、とどめを刺しておく。
「いいぞ、降りてこい」
「相変わらずの手際じゃな。恐ろしや、恐ろしや」
軽口を叩きながら、音もなく舞い降りてくるマクスウェル。
その動作に年齢は感じさせない。この爺さんもつくづく得体が知れない。
「マクスウェルはここで待っていてくれ。この先は俺一人で充分だ。っていうか、隠密の邪魔」
「そうか? まあ使い魔から状況は確認させてもらうが」
「かまわない。状況によってはそのまま合流せずに逃げることになるから」
「了解じゃ。武運を」
「任せておけ」
俺はマクスウェルにそう返し、部屋の扉を開いて廊下に出たのだった。
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