第314話 戦闘準備

 ゴブリンの群れは、南下する川の東側に沿うように移動していた。

 これは連中が南にあるラウムの首都を、明確に目指している証でもある。

 むやみに森の中を進むと、方向を見失って迷ってしまう可能性があった。そこで空の開けた場所、すなわち川沿いを選んで進んだ結果だろう。


 しかし、流れの穏やかなラウム近辺では簡単に川を渡れてしまう。川の両側に展開されてしまうと、監視が難しくなってしまう可能性があった。

 そこで飛行できる魔術師を川の上空に配置し、渡河しようとしているゴブリンを爆撃させて、それを防いでいる。

 飛翔フライトの使えない術者でも、使い魔ファミリアを使用して、監視することで、討伐に貢献していた。コルティナなども、この部類に入る。


 対するゴブリンは、小規模な魔法を使えるゴブリンシャーマンや弓を使うゴブリンアーチャーという種が存在していたが、射程距離の拡大を行いつつ上空から爆撃する魔術師にはとても攻撃が届かない。

 ましてや、射撃攻撃をできる戦力を一方的な攻撃に晒される場所に出すわけにもいかない。

 戦力の維持を優先した結果、ゴブリンたちは川沿いをそのまま進むに留まっていた。


 そしてそこには、冒険者たちが仕掛けた致命的な罠が存在する。

 これを数の力で踏み潰しながら、ゴブリンの群れは南下した。被害の数は五十体を超えるが、それ以上の数が繁殖され成育している。

 この再生力こそ、ゴブリンロードの恐ろしいところである。


 本来ゴブリンは、受胎して一週間もあれば出産を迎え、その日のうちに立ち上がり、三日もすれば獲物を襲うようになる。

 だがゴブリンロードの補助があればこの期間は大幅に短縮された。

 三日もあれば生まれ、半日で立ち上がり、そして三日もあれば充分戦力になる。


 ゴブリンは元々、群れによって抱えられる個体の数に限界がある。得られる餌の量に限界があるからだ。

 増え過ぎたゴブリンは餌を確保することができず、飢えて死んでしまう。

 高い繁殖力を持つがゆえに、その限界を迎えた集落は飢えて、一定以上の数には増えないのが普通だった。


 しかしゴブリンロードがいれば、その上限は突破される。飢えて死んだ仲間を喰らってさらに仲間を増やしてしまうのだ。

 繁殖速度が消費される食糧量を超えてしまう。だから膨大な群れを維持できてしまう。

 その数の暴力こそ、ゴブリンロードの恐ろしいところでもあるのだ。




「で、現在の数はおよそ四百五十匹。軽く百は減らしたはずなんだけど、逆に増えているのよね」


 コルティナは冒険者ギルドの長机の上で頭を抱えていた。

 彼女もゴブリンロードの相手をしたのは初めてのことだ。殺しても殺してもそれ以上の速度で増える相手というのは経験したことがない。

 作戦会議はこの正面ホールと、別室の会議室の二つで行われる。

 これは内密に進めないといけない場合と、そうでない場合を考えて分けられている。

 俺はホールでの会議を、例によって幻覚で変装して覗いていた。


「ですが、罠や空襲が行われなければ、五百を超えてましたよ」

「それはわかっているんだけどね。それで、マクスウェルの方はどうなの?」

「それが、どうもどこかで連絡が寸断されているみたいで……」

「このタイミングで、それは――誰かが手を回してる可能性もあるわね」

「誰かって……このままじゃ、ラウムが大きな被害を受けてしまうのに!」

「それを望む勢力に心当たりは? ちなみに私はいくつか……というか、いくつ『も』思いつくけど」


 考え付く限りでは、北部のタルカシールの残党や、奴隷商の関係者、そして魔神復活を目論む連中。

 俺が考えられるだけでも、それだけの数がいる。

 さらに過去にまで遡れば、コルティナ個人に恨みを持つ者や、マクスウェルに恨みを持つ者まで多岐に渡る。


「でもゴブリンロードなんて、人の意思でどうにかなる存在じゃないですよ」

「そうね。そもそも出現自体が稀な存在だし。どうやったのかしら?」


 ゴブリンロードを自在に生み出せるのなら、それは近隣に大きな被害を与えることができる。

 これを人の手で制御できるのなら、充分に兵器としての運用が可能になる。

 そんな手段を放置するわけにはいかない。


「とにかく今は目の前の対処が先決ね。ゴブリンの進行速度は?」

「もう、明日には到着しそうです」

「もはや罠を敷き直す時間もないわね……間に合うといいけど」

「なにが、です?」

「こっちのことよ。防衛の布陣は?」

「はい。予定通り、迎撃に向かっていた冒険者は市内に戻すように指示を出しました」

「『壁』の方はどう?」

「設置準備は順調です。朝には完成するはずかと」

「そう。街路沿いの民家の窓や玄関は厳重に封鎖しておいてね。街を荒らされるのは元より、そこがダダ漏れだと意味を成さないから」

「了解です」


 コルティナとて、罠や奇襲だけでどうにかなるとは最初から考えていない。

 七倍の戦力差というのは、本来ならば戦わずに撤退を考えるレベルの兵力差だ。

 それがいまや九倍にまで膨れ上がっている。


「市民の避難は順調?」

「既に完了しております。ですが、環境があまり良くありませんので、長くは持たないかと」

「あと三日以内には終わるから安心して。勝つにしても負けるにしても、ね」


 むりやり狭い場所に収容されている市民が、長く保つはずがない。

 商売もできず、生活の基盤も成り立っていない。不満が爆発するのも時間の問題と言えた。

 それでも指示に従っているのは、コルティナの実績と名声のおかげだろう。


「まぁ、それはいずれにしても先の話ね。それより、ケイル君だっけ?」

「は、はい!」


 コルティナに名指しされ、緊張の面持ちで返事をするケイル。

 ホールでの会議なので、一般の冒険者も話に参加している。五階位の彼は、このラウムで実質最強の戦力でもあった。


「あなたとその仲間には、特別にやって欲しいことがあるのだけれど?」


 ニヤリと、人の悪い笑みを浮かべ、前のめりに乗り出してきたのだった。

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