第601話 それぞれの感情

 ライエルは俺との戦いを経て、奴はどうにか感情を落ち着けることができたようだった。

 しかし他にもコルティナとマリアがいる。この二人に関しては、マクスウェルやガドルス、ライエルのように簡単にはいかないだろう。

 マリアは腹を痛めて俺を生んだ母親であり、コルティナは前世から俺を想ってくれている。

 彼女たちを十五年に渡って騙し続けてきた俺は、簡単に許されることはないはずだ。


「あー、その――」

「……今はいいわ。ニコル、腕を出しなさい」

「へ?」

「今は非常事態だから、とにかく後回しにしてあげるって言ってるの。それに左腕はもう上がらなくなってるでしょ?」

「あ、うん」


 マリアが言う通り、俺の左腕は肘から先がピクリとも動かず、右手も手首から先がしびれて動かない。

 鈍い痛みがいまだ続いているところをみると、骨までダメージが入っているのかもしれない。


「もう、ライエルってば限度を知らないんだから。ニコルに傷が残ったらどうするのよ」

「いや、でもほら、レイドだし……俺もなんだかわけわかんなくなっちゃったし……」

「言い訳しないの! 中身がレイドでも女の子なのよ?」

「う、すまん」

「いや、そこで女の子とか言われると、俺もすげー微妙な気分になるんだが……」


 すでに十五年も女をやっていて、月の物まで来ている。その気になれば子供だって作れるのに、今さら『俺は男だ』と言い張るのも虚しい。

 それでも昔の仲間にだけは男の俺を認識してもらいたいというのは、贅沢なのだろうか?


「ほら、腕を出して、って動かないんだっけ。そのままじっとしてなさい」

「はーい」

「間延びした返事しないの!」


 いうが早いか、俺の両腕の鈍痛が消えていく。同時に左腕も右手も、思い通りに動くようになった。

 マリアのこの態度は、彼女なりの強がりなのだろう。それでもこうして、いつも通りに振舞ってくれるのは、俺にとってはありがたい。

 ライエルが惚れるだけあって、本当にいい女だと、俺も思う。

 しかしそれを知っても、俺の心は晴れない。それはマリアの横で無言で佇む、コルティナの存在のせいだ。

 一時の驚愕から覚め、眉間にしわを寄せ、こちらを睨むような視線で見つめてくる。

 もちろん彼女の気持ちもわかる。彼女の立場からすれば、俺はかなり酷いことをしてきたとも思う。

 しかしこれは、どうしようもないことだと俺は思っている。おそらくもう一度同じ状況に置かれたとしても、俺は彼女たちに打ち明けることはできないだろう。


「ニコルちゃん……いえ、レイド」

「は、ひゃい!?」


 そんなコルティナから、冷たい声を掛けられて、俺は飛び跳ねるようにして姿勢を正す。

 直立不動でコルティナの方を向き、正面を向く。それでいて視線を合わせることができないでいるのだから、俺も往生際が悪いと思う。

 正面を向き、それでいて視線だけを逸らし、冷や汗をだらだら流す俺を見て、コルティナは大きく溜息を吐いた。


「ハァ、そんなに見事に揺れるんじゃ、名乗り出れないのも無理ないわね……それに、そんな態度取られたら怒るに怒れないじゃない。いや、レイドのことは本当に怒ってるんだけど。両手に鈍器持ってボコボコにしたいくらい。その顔は殴れないけど」

「そ、その節は大変申し訳なく……」

「言い逃れできなくなると、無駄に慇懃な言葉遣いになるところは、ニコルちゃんのそのままなのね?」

「いや、これは前世からの癖だし」

「そうだったかしら? でもまぁ、考えてみれば共通点は多いのよね。無茶したがるところとか、詰めが甘くてドジなところとか、モテるくせに気付かない鈍感さとか。どうして気付かなかったのかと」

「やっぱ前世の俺ってモテてたの?」


 女性として転生して、方々でレイドの噂を聞いてきた。その評価は総じて悪いものではない。

 むしろ良いといっていい。ライエルとは別方向の高評価を受けていたことを、生まれ変わってから知った。

 こんな有様だと、鈍感と言われても返す言葉もない。


「気付いてなかったのはあなただけだったみたいだけど、そうね。私としては気が気じゃなかったわよ」

「それはその、申し訳ない」

「そのことはもういいわ、許したわけじゃないけど。それより話を戻しましょ。まずはあの魔神よ。あれって、考えるまでもなく……」

「ああ、クファルが召喚していた奴だな」

「世界樹に封印されていたんじゃなかったの? ってことは、抜け出してきたってことかしら?」

「そういうことになるかな。なんだかんだ言っても、バハムートも白いのの同類だしな。監視網に穴でもあったんだろう」

「あー、確かにあの子の知り合いじゃ、その可能性はあるわね」


 コルティナにまでこう言われるのだから、白いのの信頼性のほどが知れる。

 にしても、クファルがまた暗躍し始めたのだとすれば、俺たちものんびりとしていられなくなる。

 ライエルが言うには、ベリトに旅立つ前に大規模な襲撃事件もあったらしいし、この村に六英雄の俺たちがいると知っている以上、何らかの手出しをしてくるはずだ。


「ともあれ、防備は今以上に固めておかないとな。ガドルス、しばらくこっちにいられるか?」

「ストラールの街も襲撃を受けている。長々と居座るわけにはいかんだろう」

「ストラールもか! となると、今度はかなり大規模な襲撃になるのか?」

「それどころか、ストラールに来た魔神も双剣の奴だったわ」

「ベリトで複数出現するのは知っていたが、こうまで数を揃えられると厳しいな」


 双剣の魔神は六英雄クラスだと一対一でもどうにかできるが、一般的な冒険者の場合は手も足も出ない。


「ともあれ、数がいるならこの村だけ危険というわけでもないだろう。すぐにでも各地に連絡をしておこう」


 そう言ってライエルが席を立った時、屋敷に自警団の兵士が飛び込んできた。

 俺たちはその気配を察し、即座に玄関へと向かう。

 そこには狼狽した様子の若い兵士が一人、息を荒げて四つん這いになっていた。よほど慌てて駆け込んできたらしい。


「ラ、ライエル様! 北に……北に、新たな魔神が!」

「なんだと!?」


 更なる凶報を聞き、俺たちは、再びライエルの屋敷を飛び出したのだった。

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