第322話 ミシェル無双
互いに勝利を確信した瞬間、唐突に強烈な横槍が入った。
どこからともなく飛来した鋼鉄の矢は、ゴブリンロードの頭部を貫き、木端微塵に粉砕し、数メートル離れた地面に着弾した。
一拍置いて猛烈な烈風が周辺を駆け抜け、幻覚を纏っただけの軽い俺の身体は、後方へと吹き飛ばされた。
とっさに受け身を取り、体勢を立て直してゴブリンロードへと向き直る。
そこには頭部を失い、血の噴水を上げながら倒れ込む巨体の姿があった。
「一体、どこから……」
この場所は首都の街壁からも遠く、援護の矢など届かないはず。
ゴブリンロードも、それを警戒して適度な距離を取っていた。
周辺には俺たちとゴブリン以外の気配はなかった。
だとすれば……俺の気配察知範囲外の長距離から狙撃ということになる。
素早く周辺に視線を飛ばし、そしてその大本を発見した。
それは王城よりも高いと噂の、魔術学院の尖塔の頂点付近。
そこに小さな人影が二つ、目についた。
白銀に輝く弓を持つ少女と、白銀に輝く髪を持つ少女。
俺にとっては見慣れた姿と印象深い姿の二人……ミシェルちゃんと破戒神だ。
「まさか、あの場所から? 有り得ねぇ……」
そこから俺たちが戦った位置まで、軽く五百メートル近くあるのではなかろうか。
この距離は、矢が届く範囲では到底有り得ない。
しかし、俺の目の前でゴブリンロードの頭部が粉砕された事実は変わらない。
そして、その推測が正しいことが、直後に判明した。
弓の辺りの光景が歪み、光が走ったと思ったら、近くで冒険者と戦っていたゴブリンが吹き飛んだ。
それはケイルが相手取っていたゴブリンのうちの一体であり、周囲の集団の指揮にあたっていた個体でもある。
さらに一秒後にまた閃光。
これも狙い過たず、一体のゴブリンを貫通していく。
そこから起こったことは、まさにミシェルちゃん無双と言っていい。
尖塔から光が走る度にゴブリンが吹き飛んでいった。
市街に侵入した個体や、壁を乗り越えようとしていた個体を的確に射抜き、侵攻を食い止めていく。
彼女が尖塔上から矢を放っていたのは、せいぜい三分かそこらだろう。
その三分で百を超えるゴブリンが射抜かれることとなった。
だが完全に殲滅する前に彼女の身体がぐらりと崩れ、破戒神に抱き止められる。
おそらく、筋力強化のバングルの効果が切れたのだろう。
しかし彼女のおかげで状況はかなりこちらに有利になった。
ゴブリンたちはその数を二百近くまで減らしており、しかも指揮官がいない。
街壁を守る冒険者の数も、それほど減ってはいないようなので、市街の被害はそれほど出ることはないはずだ。
だがそれでも、ゴブリンの数は冒険者の四倍近い。
負けは無くなったとはいえ、ここで連中を殲滅せねば禍根が残る。
逃げ散ったゴブリンは、首都周辺に点在する集落に襲い掛かり、近辺に膨大な被害を振りまくはずだ。
「街の防衛は成功したとは言え、被害は――ん?」
掃討戦に移るにはラウムの戦力は足りなさ過ぎる。
だがその時、ゴブリンの右側面、川の向こうから百人程度の集団がゴブリンの群れの脇腹に食らいついた。
その集団は半分程度がエルフで構成され、残りはおそらく冒険者という、ある意味ラウムらしく、ある意味歪な構成をしていた。
彼らは率先してゴブリンを分断し、さらに東西に分かれて散り散りになったゴブリンたちを殲滅していく。
◇◆◇◆◇
ゴブリンの横腹に食いついた集団を、城壁上で発見したコルティナは喝采を上げた。
その瞬間だけは周囲の視線も、見られているために取り繕っていた威厳も、すべてかなぐり捨ててしまったほどだ。
「よし、間に合った!」
何事かと、思わず
「温泉町からの救援が来たわよ! もたもたしてたら、首都の冒険者を舐められちゃうから、気合入れなさい!」
「え、援軍ですか!?」
「そう、首都の戦力が使えないなら他所に頼むしかないじゃない。あそこは目立った正規戦力は常駐していないけど、出入りする人が多い分、エルフたちや冒険者の数は多いわ。搔き集めれば充分に戦力になると見てたのよ」
「いつの間に……」
「使い魔なら往復にそれほど時間はかからない。それに私の名前を出せば、いくら排他的なエルフでも無視はできないでしょ?」
眼下の戦況は一気にひっくり返りつつある。
半分にまで減らされたゴブリンたちにとって、さらに百人の冒険者の追加は致命的と言えた。
コルティナはここが正念場と見据え、討って出ることを命じる。
「城門を開いてこっちから攻めるわよ。一番から二十番まで、正門に降りて討って出て。敵を引っ掻き回してやりなさい!」
意気上がるコルティナの命に、冒険者たちも歓声を上げる。
形勢は完全に逆転しており、これならば逃げ切れるゴブリンの数も少なそうだ。
そこで彼女は尖塔の上の二人の少女に視線を投げた。
「それにしても、やってくれたわね、ミシェルちゃん。これはこの後が大変よ? それと……」
続いてゴブリンロードのいた辺りにも視線を飛ばす。
そこには巨体をフードで隠した男の姿が見える。
「糸を使ったわね……見つけたわよ、レイド」
ぎゅっと胸の前で右手を握りしめ、そう宣言したのだった。
◇◆◇◆◇
「な、なんだ、こいつら……」
俺は突然現れた援軍に困惑していた。
いや、この数は援軍と言うには多すぎる。もはや軍隊と言っていい。いったいどこから湧いて出たのか?
その疑問に答えは、斬り込んできた冒険者の一人を見て、理解することができた。
冒険者の一人に見覚えがあったからだ。集団の中で短槍を操り、ゴブリンを屠るまだ年若い少年。
「あれ……ひょっとして、マイキー?」
カッちゃんを譲り受けるきっかけになった少年。温泉町で少しばかり縁のあった、あの少年だ。
今でもときおり、カッちゃんの様子を見せに温泉町まで出掛けているため、すでに顔馴染みになっている。
彼と出会った時、俺は七歳だったので、もう五年の付き合いになるだろうか。
俺より三つ年上だった彼は、今ではすっかり好青年と化し、冒険者として身を立てようとしていた。
その彼が、集団の中にいたのだ。
「となると……これは温泉町とエルフの集落からの援軍か!」
この近隣では最も大きな集落。だが排他的なエルフが大半ということもあって、援軍は期待できなかった。
なのに、この百を超える人数は驚きだ。
いや、マイキーだけではない。ハウメアとコールの姿も集団の中にあった。
「ああ、あの二人が動かしてくれたのかもな」
首都と温泉町を往復する商人の護衛が主の二人だ。
ラウムが戦乱で荒らされたとなれば、その生活にも影響が出る。二人とも結構な歳のようだったし、発言力が高かったのかもしれない。
そんなことを考えていると、ハウメアの視線がこちらに向けられた。
唐突に、しかも鋭く、こちらを射抜くように睨みつけてきている。
「ハウメア、どうした?」
「いえ、何か不快な視線を感じたから」
「あの男か? どうやらゴブリンロードは倒されたようだな」
「そのようね。美味しいところを食べ損ねちゃったわ」
口に出した記憶はないのだが、気配で俺の思考を読み取ったとでもいうのか?
とにかく、一刻も早くここを立ち去ることにしよう。
上空では今もコルティナの使い魔が地上を監視している。
最後の最後で俺は糸を使ってしまったため、おそらく正体を見抜かれたはずだ。
この乱戦を利用して身を隠さないと、元に戻る瞬間を見られる可能性がある。
俺が川に向かって移動すると、それをつけるように使い魔もついてきた。
これは完全に見抜かれているな。
しかし今俺が身に着けている魔道具は、こういう時のために姿を隠すためのものだ。変装は副次的な効果に過ぎない。
ゴブリンの死体を死角に使い、一瞬で効果を隠形へと切り替える。
隠密のギフトの効果と合わさり、この状態の俺を発見するのは不可能に近いだろう。
こうしてゴブリンどもはめでたく殲滅され、ラウムの危機は去ったのだった。
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