第6話 幼女、大地(ベッド)に立つ



 あれから、またしばらく経った。

 俺はようやく、自分が女として生まれた衝撃から立ち直りつつあった。


 ――女がなんだ。少しばかり胸が膨らんで凹凸が逆になったくらいじゃないか。


 半ば無理矢理そう自分を納得させ、再び修練の日々に戻る事にしたのだ。

 手足をピコピコと動かして筋力を鍛え、眠る前には魔力を操作する修練を積む。

 魔力に関しては、相変わらず手応えはないのだが、そこはマクスウェルにも『一朝一夕にはいかぬ』と警告を受けていた。

 そもそも現段階でも、全く魔力を感じ取れなかった前世より、遥かに先に進んでいるのだ。


「ううう~、だぅ~」

「もう、ニコルってば今日はお目々が堅いのね。そろそろ寝てもらわないと、こっちが眠くなっちゃう」


 夜になり、ベッドの上で俺は寝る前の魔力操作を練習していた。

 この日はなんとなくうまくいくような気がしていたので、少しばかり気合を入れてみたのだ。

 だが、マリアはそんな俺を寝付けないだけと思って、あやしにかかる。


「そうだな。俺もそろそろ寝てもらわないと、色々困る事態になる」

「あら、あなた。ニコルが見てるわよ」

「これくらいなら構わないだろう?」


 ベビーベッドのそばにあるダブルサイズのベッドにマリアを横抱きに運びながら、ライエルがそんな睦言を漏らしていた。

 テメェら、こっちが寝たらやる事やる気だな?

 こうなったら意地でも先に寝てやらん。カップル死すべし、慈悲はない。


 そう決心して――気が付いたら朝になっていた。

 赤ん坊の身体では夜ふかしすらロクにできないと、この時思い知ったのである。





 マリアは俺が死ぬ前は、辺境の教会で布教を行っていた。

 邪竜コルキスによって完膚なきまで滅ぼされた三か国は、すでに国としての態を為していない。

 そこでこの三つの国を一つに統合して、そこをマクスウェルを除く俺たち五人に治めさせようとしていたのだ。


 もちろん、俺たちの誰一人、権力に関しては無関心だった。

 幸い三か国の一つに、王の血筋を引く少年の生存が確認されたため、その少年を王に押し立てて、生き残った貴族たちを彼等の補佐に付けて、国家再建を投げっ放しにしているのだ。


 だが俺たちとて、無関係を装う程非情ではない。

 彼等から救援が申し込まれれば、即座に駆け付けて力を貸す気でいたのだ。


 マクスウェルはエルフの自国があるのでこの地にはいないが、それでも俺たち五人ならば、大抵の事態に対応できる。

 そもそも俺たちの名を出して、解決しない問題って言うのは、そう存在しない。

 俺の死因となった孤児院の視察も、そういった経緯から回されてきた仕事の一つだったのだ。


 だが今は違う。

 俺が死にショックを受けた、コルティナがこの地を去り、マリアが出産した事で、英雄達はほぼ壊滅状態である。

 だが年端も行かなかった少年王は、それまでの間に国体をかろうじて立て直しており、ライエルとマリアは心置きなく引退する事ができていた。

 今は平々凡々とした隠居生活を満喫してやがるのだ。俺の気も知らずに。


 ――踏ん張れ、俺。今ここで立ち上がらねば、いつ立つと言うのだ!


 俺は今、ベビーベッドの柵に必死にしがみ付き、足をカクカクと震わせながら立ち上がろうとしていた。

 ハイハイすらスッ飛ばした、スパルタ運動の成果である。


 マリアとて四六時中俺を監視している訳ではない。

 今、彼女は食事の買い出しに出かけている。

 無論その間に俺に何かあってはならないので、使用人を一人雇う事で育児の負担を減らしていた。


 年の頃、十五歳くらいのエルフの少女なのだが、こんな僻地で使用人に身をやつしているのがおかしいくらいの美少女だ。

 マリアが俺から目を離さねばならない時は、彼女が献身的に俺の面倒を見てくれる

 だがその彼女も、今はオムツの洗濯中で、俺は一人である。

 子守としてはあまり褒められたモノではないが、今の俺にはありがたい。


 誰の目も届かぬ今の内に、歩けるようになっておきたいのだ。


「あぅあー、ぬあー!」


 気合一閃、足を踏ん張り直立する。

 既にこの世界に生まれてほぼ一年が経った。ここまで這うのが精いっぱいで、まだ立てないのは普通の赤ん坊に比べてもやや遅い。

 通常の赤ん坊よりも遥かに早い段階から筋力トレーニングを積んでいるというのに、不甲斐ないばかりである。


 それもこれも、俺が偏食を極めたせいでもあるのだ。

 生まれてこの方、マリアの乳を頑なに拒み続けた俺は、身体が非常に弱く、成長もやや遅くなってしまった。

 おかげで頻繁に発熱を繰り返し、両親を心配させることになっていた。

 ライエルの野郎はどうでもいいが、マリアを心配させたのは心が痛い。


 その俺の体調もようやく整いつつあり、他者に任せても大丈夫だという判断から、使用人を雇用する事に踏み切ったのもある。


 兎にも角にも、今が数少ない人目のない時間である事は間違いない。

 よろよろとだが直立を果たした俺は、短い腕を振り上げて喜びの雄叫びを上げた!


「だぅ!」


 だがこれは、俺の最初の一歩に過ぎない。文字通り。

 ここから俺は様々なミッションが待っているのだ。

 まずはマリアの私室に向かい、彼女の持つ魔導書や聖書を読み漁り、魔法の勉強を積む必要がある。

 魔力を感知して半年、俺はいまだに魔力操作に成功していない。


 俺の修練法に間違いがあるかもしれない。

 魔法の適性に問題もあるかもしれない。

 それらを調べる方法を知らねばならなかった。


 俺はベビーベッドの縁を伝い歩き、つかまり立ちの練習を始めたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る