第37話 乱戦

 ここに助けが来る可能性は、せいぜい二つ。

 ミシェルちゃんを送り届けたフィニアが俺を探しに来てくれるか、コルティナが異常を察知してくれるか。

 しかし、どちらも期待薄だ。フィニアは確実に俺を探しに来るだろうが、彼女は一般人に毛が生えた程度の戦力でしかない。

 最悪、彼女も捕まって酷い真似をされる可能性すらある。


「おとなしくしろ、このガキ!」

「んなろっ!」


 手足を狙って斬りかかる男と、それを受け止め、斬り返す俺。

 結局俺が逃げる隙は、俺自身が作らねばならない。幸い、俺には手段を選ばなければ、打つ手は多彩にある。

 常に懐に持ち歩くようにしている毛糸玉を取り出し、糸を垂らした。

 こんな毛糸程度では、男達の脅威にはならない。それは男達にも理解できたのか、毛糸を取り出した俺を鼻で笑うような態度を示す。


 だがこの操糸のギフトで、俺は生前の苦境を切り抜けてきたのだ。

 伸ばした糸を振って目潰しを仕掛け、一気に懐へ潜り込もうとした。

 吊切鉈は刃渡りが短いため、今の俺でも片手で保持する事ができる。


 だが、俺の鉈は男の剣にあっさりと受け止められた。しかし俺の持っているのは先端がL字に曲がった鉈である。

 そのまま剣を引っかけて引っ張る事で体勢を崩しにかかる。

 突如普段ではありえない方向に力を掛けられ、前のめりにたたらを踏む男。

 そのまま俺は鉈で足元を払うように振るった。


 懐に入られ、体勢を崩した男にとって、俺の取り回しについて来る事はできない。

 先端部分を太股に引っ掛けられ、深々と肉を抉った。


「ぎゃああああぁぁぁぁ!?」


 切れ味の悪い鉈では、剣のように綺麗に切り裂く事ができない。肉はまるで牙で噛み付かれたかのように抉られ、派手に血飛沫が飛び散った。

 俺はその返り血を浴びないように大きく飛び退って距離を取る。

 このまま反転して逃げ出す事も考慮しての行動だ。しかし、もう一人がその行動を妨げた。

 鉈を回り込むように俺に近付き、着地して体勢を崩していた俺の腕を掴みあげる。

 そしてそのまま鉈を取り上げようと捻り上げた。


「いたっ、放――せ!」


 貧弱な腕はあっさりと捻り上げられ、鉈を取り落とした。

 剣士にとって握力は生命線だ。武器を落としてしまえば、その段階で勝率は大きく下がる。


 しかしそれも状況次第の話である。

 俺が鉈を取り落としたのを見て、男は剣を捨て懐に手を突っ込んだ。

 何を取り出そうとしているのかは分からないが、相手の殺傷力が落ちたのは事実。

 そして俺はまだ、戦闘力を失っていない。これは相手の判断ミスと言える。


 反対側に持った毛糸を操り、小さな石に巻き付け、それを投げ飛ばす。

 操糸のギフトで操れる糸の力は、一本につき俺の筋力分程度。小石程度ならばともかく、男を無力化させる程の力は発揮できない。

 だがここには俺と男達以外に存在する者がいた。残念ながら人ではないが。


 それは馬車に繋がれたままの馬である。

 すでに馬車の車軸を壊してあるし、繋がれているので、馬車そのものは数メートル進むのがせいぜいだろう。

 だがその数メートルの範囲内に、男はいる。


 繋がれた馬車馬は、俺がぶつけた石に驚き、いななきを上げて進みだした。それも勢いよく。

 結果、男は馬車に引かれるのを避けるために飛び退る。その拍子に俺の腕も解放された。

 そして擦れ違いざまに車軸が限界に達し、馬車は音を立てて馬ごと横転する――男に向かって。


「うわ!? うぎゃあああぁぁぁぁぁ!」


 空洞になっているとは言え、大木を四本も積み込んだ荷馬車である。

 その下敷きになって、無事で済むはずがなかった。

 かろうじてその崩落から逃れた俺の元に、馬車の下から流れ出た血溜まりが流れてくる。

 この出血量ならば、おそらくは即死だろう。


「こ、このガキ……ぶっ殺してやる……」


 そのタイミングで、ようやく足を切られた男が立ち上がっていた。

 だがすでに勝負はついている。

 片足を深く抉られ、リズミカルに血を吹き出すさまを見ると、かなり大きな血管を傷付けた可能性がある。

 放置しておけば、おそらく男は息絶える。

 もっともそれを見逃してやるほど、俺も大人しくはないのだ。


 片足で立っている男は、非常に不安定な状況にある。ならばそれをひっくり返してやれば、こちらの勝利だ。

 毛糸を地面に沿って走らせ、男の軸足に絡め引っ張る。


 そしてさらに操作して、横転してもがている馬に絡めておいた。

 馬の脚がじたばたと動き、毛糸を絡め捕っていく。それはやがて、男の足を引っ張る形になって、引き摺り倒す結果となった。


「なんだ――ぐおっ!?」


 俺はその隙に吊切鉈を拾い上げ、毛糸を切り離した。

 切れ味が悪いのでスッパリとは行かないが、それでも毛糸を切る程度の事はできる。このままでは俺も巻き込まれてしまうからだ。

 そして倒れてもがいている男に近付き、吊切鉈の背を使って頭部を強打した。


「ぐふぉっ!?」


 男はくぐもった声を出して、気を失った。

 これで当面の戦力は無力化できた。


「ふぅ……どうにかなったか」


 相手が男三人だったら、おそらく危なかっただろう。

 だが一人が詰所に戻った事で、俺に余裕ができた。おかげで命拾いしたと言える。

 それに男二人もこちらを完全に舐めていた。当たり前の話ではあるが、おかげでその油断を突いて速攻で倒す事ができた。


「さて、さっさとトンズラして……」

「おっと、そう簡単に逃がすと思ったかい?」


 俺が逃げ出そうとしたその時、詰所から最後の一人が顔を出した。

 胸甲に大盾を装備したきた男は、どうやら他の二人とは違い、油断は無さそうだ。

 しかし状況は変わらない。男と俺の距離は大きく開いている。俺の逃亡を妨げる事はできないはずだ。


「無論逃げさせてもらうさ。この距離なら俺の方が早いからな」

「俺……? 口が悪いガキだな。まぁいい。なら俺は、この『棺桶』に火をつけて逃げさせてもらうかな」

「なっ!?」


 倒した男の一人から刺激臭が漂っている。

 恐らく攫われたエルフ達は、薬によって昏睡させられ、あの木に閉じ込められている。

 そこへ火を放ったりしたら……


「殺す気か!?」

「無論。顔も見られているからな。生かしておく理由は無いだろう。だが、お前がこの場に残るなら話は別だ」

「つまり……戦えって事かよ」

「別に『大人しく降参する』でもいいんだぜ?」

「断固拒否するね!」


 一言そう叫んで、俺は男に向かって踏み出していった。

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