第290話 ニコル、堕ちる
久しぶりの自宅で一泊し、翌朝になっても俺はフィーナに張り付いていた。
俺にとって前世も含めて、本当の意味の家族を得たのだから、この行動も仕方ない。
前世は孤児院育ちだったし、今世の両親は昔の仲間。家族と呼ぶには何かが違う。
その点、フィーナは紛う事なき俺の妹だ。
その妹は真新しい赤子用のベッドですやすやと眠っている。
俺はその脇に座り込み、安らかな寝顔をただひたすらに見つめていた。
マリアが言っていたように、最初はしわくちゃに見えたフィーナだが、汚れを落とし数日もすればその姿は驚くほど愛らしく変貌していた。
まさに天使の寝顔というべき愛らしさだ。
思わすそのぷくぷくとした頬に指を伸ばし、感触を楽しんでしまう。
「ニコル、あまり触れると起きちゃうわよ?」
「ん、もうちょっとだけ」
フィーナは俺の安眠妨害も気にせず、ただひたすらに惰眠を貪っている。それをいいことに俺は柔らかな感触を思う存分に堪能していた。
マリアはそんな俺に向けて注意を飛ばしていたが、無理に止めるような真似はせず微笑んで見逃してくれている。
つまり、まだ安全圏ということなのだろう。
「んふー♪」
寝顔を眺めているだけなのに、俺の顔はだらしなく崩れていくのを自覚する。きっと他人が見れば、それはもう蕩けそうな位、やに下がっていたことだろう。
すると、俺の指が気になったのか、フィーナは俺の指先に手を持ってきて、きゅっとそれを握りしめる。
「ママ、ママ! フィーナがわたしの手を握った!」
「そう、よかったわねぇ」
慌ててマリアに報告したが、彼女は暖炉脇のソファで寝そべったまま、起きようとはしない。
やはり出産という難事を成し遂げたことで、身体が弱っているのだろう。
いつもならば家のことを何かとこなしているはずなのだ。
一応マクスウェルが女王華の蜜をマリアに渡して、滋養強壮に励んではいるはずなのだが、その効果も一朝一夕には現れないというところか。
俺のように生命の危機があるほどの衰弱ではなさそうなので、そこは安心である。
フィーナは俺の指先を握りしめ、しかし何をするでもなくそのまま眠っている。
俺もまた、そんなフィーナの手を振り払ったりせず、そのままの体勢で寝顔を見つめ続けていた。
どれくらいそのままでいただろうか。実際は三十分かそこらかもしれない。それほどの時間が経った頃、玄関口で呼び鈴が鳴る音が聞こえてきた。
「あ、お客さんだ。見てくる」
「そう、お願いね」
マリアの容態はあまりいいとは言えない。なので通いの家政婦はもちろん雇っている。
だが、今日は俺が帰ってくるということもあって、家族水入らずで楽しむため休みを取ってもらっていた。
もっとも、ライエルは衛士の仕事に出ていて不在なわけだが。
俺が玄関までやってくると、ドアを開いてマクスウェルが入ってきた。
奴ならば家族同然なので、出入りもほとんど自由だ。
「いらっしゃい、マクスウェル。フィーナの顔見ていく?」
「最初の一言目がそれか。まったくお主ときたら……」
「どうかしたのか?」
いつになく不機嫌そうに鼻を鳴らしたマクスウェルに、俺は妙な危機感を感じた。
なんとなく、このままでは藪をつついて蛇を出しそうな悪寒だ。
「まあよい、とりあえずマリアの様子を見てからお主の妹にも挨拶していくかの」
「ああ、ぜひそうしてくれ。言っとくけど、すっげー可愛いぞ」
「完全に魅了されておるの。まあ気持ちもわからんでもないが」
「うちの妹は天使だから仕方ないな」
「その発言、ライエルそっくりじゃな」
マクスウェルの発言に、俺は思わず硬直した。
いや、確かに血のつながりは存在するが、中身が俺なのに親子が似るということはあるのだろうか?
「それとマリアと少し話がしたい。お主にも聞かせたいのでそばにいてもらえるかの?」
「あ、ああ……ならフィーナを見てる振りして話を聞いておくよ。マリアは今、暖炉の前で横になっているから」
「そうしておいてくれ」
それから俺は、北部三か国連合に巣食う過激思想の連中の話を聞いた。
そいつらは人身売買のルートとも関係を持っていて、そういった組織から生贄の子供を調達していることなどを聞かされた。
「この北部に関してだけ奴隷商が多いのは、最も邪竜の被害を受けて治安が悪いからだと思っていたけど……そういう連中がいたのね」
「うむ、どうもかなり悪質な連中らしいな。それと――エリオットが動いておってな」
「エリオット? ああ、ハウメアって人のことね?」
「そうじゃ。一応あやつはワシの駒じゃから、あまり深入りしてもらえんと助かるんじゃが」
「それをライエルに進言してくれと?」
「まあ、ライエルも王宮に向かう機会は少ないのじゃが、それでもワシよりは多いじゃろ? 機会があれば言っておいてくれると助かる」
「それにしても、やはりコルティナが言う通り、レイドの生まれ変わりは彼女なのね」
「あやつもいろいろと思うところがあるようでな。しばらくは姿を見せんと決めておるようじゃが……」
「それはコルティナにとって惨いことだと思うわ」
「ワシも多少はそう思っておるよ」
そう答えると意味ありげな視線をこちらに向けてくるマクスウェル。
その想いは俺も理解できる。だが応えることは今のところできない。
そんな後ろめたさをごまかすように、俺は素知らぬ顔でフィーナの頬をつつき続けていたのだった。
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