第6話 もう一人の兄

ウィルとお喋りを楽しんだ後、私は再び屋敷の散策を開始した。


庭を一通り歩き、広い厨房を覗き、屋敷で働く沢山の使用人達に挨拶をしながらひたすら歩く。


挨拶をする度、使用人達が驚愕の表情になって固まるのがなんだかなって感じだが、我が儘なお嬢様がいきなり気安く声をかけてくれば、そりゃ驚くだろう。


「お嬢様、お嬢様自ら私達などに挨拶される必要などないのですよ」


とウィルは言うけれど、元々体育会系で生きてきたから、無意識に挨拶が出ちゃうんだよ。


だって相手は明らかに年上の人達なんだよ?


なのに挨拶されて返事もせず、偉そうにふんぞり返ってるなんて、私の性に合わない。体育会系の名が泣く。というか、人間としてダメだ。失格だ。


挨拶は人間関係の基本中の基本だ。されて嫌な気分になる人なんていない。…筈。少なくとも私は嬉しい。


まあ、貴族のご令嬢らしくはないかもしれないけど、これに関して私は変える気無い。だから皆には慣れてもらうしかない。


「私は皆に挨拶したいからするのです。もちろん、皆が嫌なら止めますけど…」


「お、お嬢様!いいえ!嫌などとそのような事は決して!身に余る喜びです!」


「そ、そうですか?ならよかったです」


ああ、ウィル。また歩き方がよろめいてる。あ、待って、目の前に段差が…ああ、こけた。でもまあ、幸せそうだからいいかな。


それにしても私、何気にサラッとお嬢様口調で喋れているな。

中身が真山里奈でエレノアとしての記憶は無くなっても、身体にはしっかりエレノアの言動が染み付いてるって事なのかもしれない。






そして屋敷中を散策し、私はとある事実に愕然とした。


――イケメンしかいない。


「ねえ、ウィル」


「はい、お嬢様」


「あの…。ウィルは街とか市場とか行ったことある?」


「え?あ、はい。よく行きますよ。元々私は平民の出ですし」


「そうなんだ!じゃあウィル、街にいた時はモテたんじゃない?」


オリヴァーお兄様は別格として、ウィルだってそこそこのイケメンだしね。


「え?い、いえ。そのような事は。でもお嬢様、何故いきなりそのような事を?」


「え?だってウィル、カッコいいから」


「は?!…お、お嬢様?!」


ウィルの顔が真っ赤に染まった。え?そんな照れるような事言ったか?


「あ、有り難う御座います。お世辞でも嬉しいです」


「え?お世辞じゃないですよ?実際カッコイイですよね?」


「いえいえ、お気を使わないで下さい。私など、ごく一般的な顔だと自分自身で分かっておりますから」


――このレベルで一般的?マジですか!


てっきり貴族の屋敷だから、イケメンを取り揃えているのかと思った。

なのにウィルの顔が一般的って、この世界、顔面偏差値高すぎる!


「あ…ひょっとして」


女性が少ない→男選びたい放題→必然、イケメンが選ばれる→フツメン及びそれ以下の男が淘汰される→結果、イケメンだらけになる。


…って事…なのかな?


ちなみに、今朝着替えの際、姿見で確認した私の容姿だが、真山里奈の時より断然可愛い。


光の加減で緑ががかって見える、サラサラふわりとした茶色い光沢のある髪。瞳は大きくキラキラしていて、透き通るようなオレンジがかった黄色。黄褐色ってやつかな?顔立ちも美人というよりも可愛い系だ。


けれど、この世界の男どもの常軌を逸した顔面偏差値と比べれば、わりと普通顔だ。あの超絶美少年な兄と並んだら、確実に見劣りするレベル。


何故だ?やはり女と違い、男は次代を残さんと、自然にイケメンに生まれるよう、DNAが進化したのだろうか。


そういえば、パプアニューギニアとかの極彩色な鳥達は全部雄だった。オシドリなんかも雄はド派手なのに対し、メスは滅茶苦茶地味な色合いだったし。


私のいた世界では、人間だけむしろ女性がよい男をゲットする為、美しさを磨いて競い合っていた。

でも野生動物の世界では『種を残す』為、雌に何とか自分の子を産んでもらおうと、雄たちが涙ぐましい努力と進化を繰り広げていたっけ。相手を選ぶ権利も圧倒的に雌にあったし。


…そう考えるとこの国はある意味、野生に近いのかもしれない。そして自分を磨かなくても勝手に男がやってくるので、女は地味のまま…。成程ね。そう考えると、私のいた世界の女性達にとって、この世界は楽園ですな。


でも、権利には義務が伴う。


ようは、女性はいっぱい甘やかされて、いっぱい遊んでもいい。その代わりに、いっぱい子供を産めよ…って事だ。


もし…もしもだが、それを拒否したらどうなるんだろう。それこそそんな女性、いらない存在だよね。権利だけ謳歌して、義務を果たさないなんて、それってどんな税金泥棒だよって感じだし。


でもなぁ…。


私はいくらイケメンが大挙として傅いて奉仕してくれても、出来れば一人の男性とだけ結ばれ、愛し愛される穏やかで温かい家庭を築きたい。でもそんな考えって、この世界では異端なんだろう。はぁ…。






そうして三時のおやつの時間が過ぎ、ちょっと日が傾いた頃、昨夜言っていた通り、オリヴァー兄様がバッシュ邸へとやって来た。その傍らには、執事服を着たオリヴァー兄様よりもやや背の高い男性が控えている。


『うぐっ…!こ、これは…っ!!』


これまた顔面偏差値を更に底上げする美形、来ました!


キラキラ眩いばかりに輝く銀髪を襟足で整え、少し長めに整えられた前髪から覗く切れ長の瞳は、晴れ渡る空よりも蒼いスカイ・ブルー。更には貧弱さを感じさせない、精悍で男性らしい容姿をしている。穏やかで知的なオリヴァー兄様とは対極な風貌だが、オリヴァー兄様と張る超美少年だ。


いや~、こんな超絶美少年が二人も並ぶとは…。眼福なんて言葉で済ませられない。拝みたい。あまりにも眩し過ぎて目が痛い。これは…そう、視覚の暴力だ!


そんな事をつらつら心で呟き、ぼーっとしている私に、オリヴァー兄様がにこやかな笑顔を浮かべながら口を開いた。


「エレノア。帰って来る時、もう一人連れて来るって言っただろう?彼はクライヴ・オルセン。オルセン男爵の一人息子であり、僕の一つ違いの兄だ。つまり、君の兄様でもある」


――なんと!兄様とな!?数多いるという、兄弟のうちの一人ですか!?お母様…。あんた、本当に面食いだな!


「クライヴだ。お前とは既に数回会っているが、記憶を失くしているんだろう?じゃあ『初めまして』でいいな。エレノア?」


終始笑顔を浮かべているオリヴァー兄様と違い、クライヴ…兄様はぶっきらぼうな口調で不愛想に私へと話しかけて来た。何だろう。ちょっと言葉に棘があるみたいな気がする。それに兄様、なんで執事服なんて着ているんだ?


「エレノア、どうしたの?」


「あ、あの…。何で執事服なのだろうかと…」


「ああ。オリヴァーやお前と違って、俺の家は男爵とは言っても、親父の武勲で貰った一代限りの爵位だ。つまり俺の立場は平民と同じって訳さ」


すかさずオリヴァー兄様ではなく、クライヴ兄様が説明をしてくれた。


成程、だからオリヴァー兄様の元で働いてるんですか。苦労人なんだね、兄様。にしても、兄妹だからか元々の性格なのか、この人の気安い話し方、和むな~。


こちとら、元は庶民ですからね。下にも置かないお嬢様扱い、実は結構気を使っていたんだよ。主にボロが出るのを防ぐ為に。なんせ私、見た目9歳児でも、中身は19歳の喪女だからさ。


「どうした?黙り込んじまって。ああ、こんな平民と血が繋がっているって言われてショック受けたんだろ。以前のお前は俺の事、兄とは絶対認めなかったからな」


皮肉気な口調。そうか、さっきから言葉に棘があると思っていたけど、以前の私、この人の事兄様として認めていなかったのか。身分が違うとか、酷い事言っていた可能性すらある。あ~、そりゃ嫌われるわ。


だって、仮にも兄妹なんだよ。実の妹に拒絶されるなんて、そりゃあ傷付くって。そういえばエレノア、オリヴァー兄様も嫌がっていたって言ってたな。全く、なんて我儘幼女なんだ。こんな素敵な兄がいたら、私だったら感激して咽び泣くぞ。


なんせ私は一人っ子だったからさ。兄弟姉妹のいる友達がずっと羨ましかったんだ。

それなのに、こんな視覚に優しくない程の超美形な兄達を粗末にしていたなんて…!けしからん!全くもってけしからんぞ!


「あの…」


「ん?」


「以前の事はその…。覚えていないのですが、色々と申し訳ありませんでした。それでその…今更なのですが…」


「…うん?」


「これからは『クライヴお兄様』…と、お呼びしてよろしいでしょうか?」


「――ッ!?」


途端、クライヴ兄様の顔が真っ赤になった。そりゃもう、ボンッって感じで一瞬に。


「…あ…え…お、お前…」


なんか、さっきまでのクールな雰囲気が一瞬にして霧散してしまっている。真っ赤になって慌てふためく兄様、年相応に見えてなんか可愛いな。


「ダメですか?」


身長差がある為、思い切り顔を上げながらお伺いをする。…クッ!この体勢、首が痛い。


「――っ…!…だ、駄目って訳じゃ…」


「それじゃあ、良いのですね!?」


「………」


「兄様?」


やっぱり、我儘で自分を見下していた妹がいきなりこんな事言ったって、安易に受け入れられないよね。でも、出来れば私はオリヴァー兄様ともこの兄とも仲良くなりたい。


「…好きに…呼べばいい…」


まだ赤い顔で私から目を逸らしながら、ぶっきらぼうに返された言葉に、私の胸は歓喜で一杯になる。


「有難う御座います!クライヴ兄様!」


あれ?兄様の顔が更に赤くなってないか?ありゃ、耳も真っ赤だよ。


「ふふ…良かった。二人とも、無事仲良くなれたみたいだね」


オリヴァー兄様が凄く嬉しそう。私達の歩み寄り第一歩が嬉しくてたまらないって顔してる。オリヴァー兄様、クライヴ兄様と仲が良いんだね。


「仲良くなったところで、実はエレノアに頼みがあるんだ」


「べ、別に仲良くなった訳じゃ…」と、クライヴ兄様が何か小声で呟いていたが、オリヴァー兄様は気にせず話を続ける。


「頼み?なんでしょうか」


「うん。クライヴをね、君の婚約者の一人に加えて欲しいんだ」


「はい?」


「お、おい!オリヴァー!?」


なんですと!?オリヴァー兄様に引き続き、クライヴ兄様とも婚約しろとな!?


「オリヴァー!何をいきなりそんな馬鹿なことを!」


「馬鹿なことじゃないよ。僕はエレノアの筆頭婚約者だ。エレノアの相手を選ぶ権利と義務がある。それもこれもエレノアを守る為だ。クライヴ、君もその目で確認しただろう?以前のエレノアならともかく、今のエレノアは…危険だ。多分将来、僕一人だけでは守りきる事が出来なくなる。だから君に僕と一緒にエレノアを守って欲しいんだ。信頼できる守り手は多ければ多い程いい」


オリヴァー兄様の言葉を受け、クライヴ兄様は難しい顔で私を見た。


うん、確かにこの世界の常識や知識をスッポリ無くした私では、なんのドジを踏むか分からないからな。お守りは多いにこしたことはないだろう。


「…だが、侯爵様がなんと言うか…」


「侯爵様も、今のエレノアを見ればきっと賛同してくれるよ。それに、最終的に決める権利はあくまでエレノアにある」


え?私ですか?

まあ、男選ぶ権利は女子にあるってのは理解したけどさ。


でも、オリヴァー兄様に続けてクライヴ兄様まで私の婚約者にするって、なんか申し訳ない。だって、いくら女子が不足してるったって、こんだけのハイスペック男子なんだから、むしろ選びたい放題だろうに。何が悲しくて二人揃って妹と婚約しなければならないのか。


「それに、婚約は君を守る為でもある。そろそろ、君を狙っているご令嬢方をはぐらかすのも限界だろう?パリス伯爵令嬢とか、ノウマン公爵令嬢とか。僕と違って、君はとっくに成人してるし」


途端、物凄いしかめっ面になったクライヴ兄様。


やはりご令嬢方から猛アプローチされていたご様子。しかも成人していたら、要するにHな事するのOKって事で…。


――はっ!そ、そうか!確かに婚約者がいれば、お誘いをお断りする大義名分が得られるじゃないか。つまり、オリヴァー兄様は自分同様、私にクライヴ兄様の防波堤になって欲しいと言っているのだ。


分かりました兄様。不肖エレノア、防波堤のお役目、見事果たしてご覧にいれましょう!


「オリヴァー兄様。私、クライヴ兄様と婚約します!」


「エレノア!?」


「ああ、エレノア有り難う」


驚愕するクライヴ兄様と、ホッとした様子のオリヴァー兄様。


「エレノア…。お前、本当にそれで良いのか?」


「はいっ!お任せくださいクライヴ兄様!私、これから妹として、兄様達の立派な防波堤となるべく、完璧な淑女目指して頑張ります!」


そうとも。思いがけず出来た大切な兄達だ。そんな彼らを自堕落な痴女の毒牙にかけてなるものか!


「「防波堤…?」」


兄様達が揃って首をかしげる。あ、仕草がそっくり。見た目全然似てなくても、やっぱ兄弟なんだね。


私が微笑ましい気持ちになってると、いきなり身体が浮遊感に包まれた。そして目の前には顔面破壊力半端ない、クライヴ兄様のドアップが!し、しかも…物凄くいい笑顔だよ!うぉぉお…目が…!目がぁ!!


「うひゃあ!」


思わぬ不意打ちに、頭の中が真っ白になってしまい、またしても令嬢らしくない声を上げてしまう。


「有り難う、エレノア。これから俺はお前を愛し、生涯守り抜くと誓う。…この命にかけて」


な、何か耳元で囁かれているけど、パニック状態の私の耳に、その内容は入ってこない。


意味も分からず、反射的にコクコクと頷くと、クスリと小さな笑い声と共に、柔らかい感触が頬に…。


キスされたと分かった瞬間、私は再び盛大に鼻血を噴き、昨夜同様、侯爵邸を阿鼻叫喚の大パニック状態に突き落としたのだった。


はぁ…。淑女への道のり、遠いなぁ…。

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