第283話 色々とやらかしました
……私は何を言ってしまったのだろうか?
耳が痛くなる程の静寂漂う空気の中、ゴクリと鳴った自分の喉の音がやけに大きく聞こえる。
そして「凄ぇ!エレノアお嬢様!攻めるっすね!」というティルの興奮声と、何かが床に叩き付けられた音が同時に響き渡る。……が、それに気を取られている暇など今の私には皆無だった。
「……エレノア……」
名を呼ばれ、おずおずと見上げれば、暫し硬直していたクライヴ兄様が目を見開いた状態で私を見下ろしていた。
その瞳には、驚愕や期待……そして喜びの色が浮かんでいて、思わず私の頬も赤く染まる。
「お……まえ……。今言った事、冗談……か?」
「……じ……冗談……です!」
照れの為、思わずクライヴ兄様の言葉に乗っかってしまう。するとクライヴ兄様の額にビキリと大きく青筋が浮かんだ。
「あーそうかよ!期待した俺が大馬鹿だった!ったく……俺は忙しいんだ!くだらねぇ冗談言ってねぇで、お前もとっとと寝ろ!……それと、明日の朝練は覚悟しておけよ……!?」
顔を赤から青に変え、あわあわしている私にそう言い放ったクライヴ兄様は、自分に引っ付いていた私をベリッと剥がし、ポイッとウィルに向かって放り投げた。ウィルもナイスキャッチで私を受け取る。
「ク、クライヴ兄様!申し訳ありません!嘘です!冗談じゃありません!!真面目です!真面目に添い寝希望です!!」
怒りに任せ、大股で出て行こうとしたクライヴ兄様の足がピタリと止まった。
「……は?添い寝?」
「は、はいっ!添い寝です!!」
「……寝るって、そういう意味か……」
明らかにガックリと脱力したクライヴ兄様。それを同情のこもった眼差しで見つめるクリス副団長含めた護衛騎士の皆さん。
あっ!皆今度は私を生温い眼差しで見つめてくる!ティルに至っては「うわぁ……お嬢様ってば鬼畜ー!」って、多分だが皆の心の声を代弁してくる。しかも今回に限ってクリス副団長がティルを〆ない!!わ、私、そんなに許されない事を言いましたかね!?……うん。言ったんだろうな。
で、でもですね!!まだ十三歳の成人前の女の子が異性に対して「一緒に寝ましょう♡」なんて言ったら、普通は「なんという事を!」「貴族の娘がはしたない!」って、責めるよね!?なのに実際は、健全に添い寝する方を責めるなんておかしいでしょ!?いくら恋愛事情がレディース文庫の世界だからって、もっと慎みっつーか、貞操観念っつーか、そういうの大切にしようよ!!
「エレノアお嬢様……」
あっ!イーサンが眼鏡を指クイしている!
「そのような男心を弄ぶようなご冗談を仰るとは……。クライヴ様は分別がおありになりますから良いとして、例えばこれが余裕のないご婚約者様であったとします」
余裕のない婚約者?……な、なんかやけに具体的ですね?
「そういう方は大抵、お嬢様が仰った冗談を逆手に、なし崩し的にコトに及ぼうとされる筈です。……宜しいですか?己の身を護る為にも、今後は不用意に迂闊な事は仰らぬようになさいませ!」
「ううう……は、はい……」
意外にも、普通に「貞操気を付けろ」なお叱りを受けてしまった。……だ、だけど、イーサンの背後に夜叉が見える!……しかもその夜叉、ジョゼフに似ている気がするのは気のせいだろうか?
「……という訳だ。お前、くれぐれもあいつに同じ冗談言うなよ!?」
あ……あいつ……!?あいつって……誰!?……はっ……!(察し)
「は、はい!オリヴァー兄様を犯罪者にさせない為にも、今後気を付けます!!」
途端、再び場の空気が凍り付いた。
「……エレノア……お前……」
「え?……あっ!」
――し、しまった!!クライヴ兄様が、あえて名前を伏せた意味がっ!!
「……おい。オリヴァー様って、お嬢様の筆頭婚約者様……だよな?」
「余裕がないご婚約者様って……まさか……」
「ってか、犯罪者って何!?」
などといった護衛騎士達のヒソヒソ声に、私は己の失言を悟った。……ヤバイ。彼らの中でオリヴァー兄様の株がだだ下がっている……気がする。
い、今の状況をオリヴァー兄様が知ったとしたら……。
その瞬間。暗黒オーラをまとって微笑む、超絶麗しい兄の美貌が脳裏に浮かんだ。
『へぇ……。僕ってそんなに余裕がないんだ。それじゃあエレノア。君ならそんな僕を優しく慰めてくれるよね……?』
――あわわ……!!げ、幻聴まで聞こえてくる!つ……詰んだ!?私、詰んじゃったの!?
「お、お嬢様!大丈夫です!!不詳ウィル、今この場で起こった事は、記憶から抹消致します!どんな事があっても口を割りません!!」
「ウ、ウィル。ありがとう……!でも口を割らなくても、表情で読まれちゃったらどうしよう!?」
「そ……っ、それは……!!」
あっ、ウィルも青褪めてる。そうだよね。私達って二人揃って分かり易い上にチョロいから。
「……あの、クライヴ様。オリヴァー様とは一体……」
コソリと尋ねて来るクリスに対し、クライヴは目の前のお馬鹿主従をジト目で見つめながら口を開く。
「エレノアが絡まなければ、あの男ほど良識があって有能な男はいない」
「お嬢様が絡まなければ……ですか」
「そうだ」
「それって……」
――ヤバイお人だ!!
クリスは心の中で叫んだ。
オリヴァー・クロス伯爵令息。……彼は絶世の美貌と優雅な物腰、未来の宰相候補と言われる程の才覚を持ち、父親であるクロス伯爵と共に『貴族の中の貴族』と称される貴人と噂で聞いている。そして婚約者であるエレノアお嬢様を熱愛していると評判の人物だ。
そんな彼が、お嬢様と絡まない時などあるのだろうか?……いや、んな訳ない。つまり彼は、最重要危険人物という事だ。
「大丈夫だ。奴はエレノアを害そうとする者や、卑怯な手段で近付こうとする奴に対しては冷酷で、どんな手段を使っても徹底的に潰すが、正々堂々ぶち当たってくる奴には寛大だからな」
「……ちなみに、どのように寛大なのですか?」
「礼儀として、正々堂々真正面からぶっ潰しにくる」
――超、超、危険人物だ!!
愛する者に対する執着心が強いのはアルバ男の性ではあるが、聞いている限りオリヴァー様というお方の執着心は底無しのようだ。……まあでもあのお嬢様相手なら、そこまで溺愛を拗らせてしまうのも分からなくはないが……。
『とにかく、筆頭婚約者様には絶対に逆らわないでおこう』クリス以下一同は、そう心の中で決意した。
「さて、それじゃあエレノアの警護は頼んだぞ」
「はっ!お任せ下さ……」
「クライヴ兄様!行かないで!!」
ウィルの腕から逃れたエレノアに、再び背後からタックルを喰らったクライヴは遂にブチ切れた。
「いい加減にしろ!!お前、本気で俺を怒らせたいのか!?」
鋭い叱責に、ビクリとエレノアの肩が竦んだ。
「――ッ……!?」
途端、ブワッとエレノアの瞳に涙が盛り上がり、ボロボロと零れ落ちていく。そんなエレノアを見て、クライヴを含めた周囲の者達が一様にギョッとする。
「エ、エレ……」
「もう……いいです!!クライヴ兄様なんて、イーサンと楽しくフローレンス様の事を話していればいいんだ!!兄様のバカ!!大嫌い!!」
わーんと泣きながら、エレノアが部屋から走り去って行くのを、ウィルやミア達が慌てて追いかける。その姿を呆然と見送っていたクライヴの横で、イーサンが「おやおや……」と呟いた。
「エレノアお嬢様が
「は!?悋気!?」
「ええ。どうやらお嬢様は、私とクライヴ様がゾラ男爵令嬢の事を話し合うのをご存じだったようですね。それが嫌で、あのような行動を取られていたのでしょう。……罪なお方だ」
無表情にそう告げ、クイッと眼鏡のフレームを指で押し上げたイーサンは、赤らんだ顔で口元を覆うクライヴを見ながら、目を細める。
その瞳には揶揄うような色が浮かんでいたのだが、エレノアから初めて激しく嫉妬された事実に軽くパニックを起こしていたクライヴは、その事に気が付く余裕は無かった。
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クライヴ兄様にのみならず、今現在いない筈のオリヴァー兄様さえ(知らずに)被弾させられている、恐ろしい天然砲炸裂!
そして添い寝迄の道のりはやや遠し……|д゜)
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