第284話 泣かせた責任は取りなさい

「……さま。……イヴ様」


ぼんやりとした意識の端に、誰かの声が聞こえてくる。……が、俺の頭の中は先程泣きながら走り去っていったエレノアで一杯だった為、気に留める事もなくスルーしてしまう。


『クライヴ兄様なんて、イーサンと楽しくフローレンス様の事を話せばいいんだ!!兄様のバカ!!大嫌い!!』


宝石のようにキラキラ光る、俺の大好きな瞳から大粒の涙を零しながらそう叫んだエレノアの顔を思い返す。


あの言葉も、あの涙も……。俺の事で男爵令嬢に嫉妬したからなんて……。


自然と口元が緩む。どうしよう。嬉し過ぎる。


もしこんな事をオリヴァーやアシュル達に知られでもしたら……。そう思うと恐ろしい限りではあるが、それでも降って湧いたようなご褒美的幸運に酔いしれてしまう。


「クライヴ様!」


そんな俺の耳に、ハッキリと名を呼ぶ声が聞こえ、瞬時に意識が覚醒した。


「あ、ああ。済まないイーサン」


少しだけ呆れを含んだ眼差しを向けて来る家令に、慌てて詫びを入れる。そう、今現在俺はイーサンと話し合いを行うべく、離れから本邸へと向かっている最中だった。


その話し合いの内容はといえば、勿論あのゾラ男爵令嬢の事だ。


初対面からエレノアに対し、含む所のある女だとは思っていた。その上、自分に対してのあの態度……。まるで自分こそが俺に相応しいと言わんばかりのあの振る舞いに、不愉快が臨界点を突破しそうになった。


イーサンや公爵様の思惑があるのだろうと我慢をしていたが、これ以上あの勘違いな猫かぶり女をここに留め置くのはエレノアの為にならない。

それになにより、エレノアの事になると理性を失う万年番狂いの弟と、脳筋殿下がバッシュ公爵領にやって来てアレを目の当たりにしたら……。そう思うだけでゾッとする。


幸か不幸かエレノアのやらかしで、あの女は自ら墓穴を掘った。エレノアの素晴らしさも十分領民にアピールする事が出来たし、いい加減さっさとあの母娘を本邸ここから追い出せ。……イーサンにはそう話をするつもりだったのだ。


それをまさかエレノアが聞いていたうえに、あろう事か誤解して嫉妬するなんて……。おっといかん。また頬が緩んできた。


「……そうそう、クライヴ様。実はお伝えし忘れていたのですが、ゾラ男爵夫人とその娘であるフローレンス嬢には、本邸から退去して頂きました」


「――……はぁ?!」


突然サラリと告げられた言葉に、口から思わず間の抜けた声が出てしまった。俺達に付いて来たクリスとティルからも、息を飲む様な音が聞こえてくる。


「部下達に命じ、お帰りになるタイミングに合わせて荷造りをさせ、フローレンス嬢の到着と同時に、彼女の乗っていた馬車に母親と荷物を載せて出立させました。これから筆頭婚約者様方や、王族の方々を迎え入れるにあたり、あの親子は不要……いえ、害にしかなりませんからね」


そう言いながら、イーサンは指でフレームを押し上げる。


その顔はあくまで無表情であるが、纏う空気にピリリとした負のオーラが揺蕩っている気がする。……ああ、そういえばこいつ、『影』に俺達の動向を探らせていたのだったな。

ならば冷徹な家令の皮の中に、エレノアへの凶愛とも言える程に深い愛情を隠し持っている(というか、もう既に隠し切れていない)この男が、あの娘のやらかしに怒らない筈がない。


「ですので、今から貴方様と行う予定の話し合いは全くの無意味という事になります」


「だったら、最初からそれ言っとけよ!!」


「後々の細かい打ち合わせは必要かと思いましたので。……まあでもそれを行うのは明日でも問題ありませんし、心ここにあらずなお方と有益な会話が出来るとも思えません。ですのでどうぞ、このままエレノアお嬢様の元にお戻りになって下さい」


「……いいのか?」


「良いも何も……。お嬢様を泣かせた責任を、ご自身で取って頂きたいだけですよ」


――なんか最後らへん、妙に言葉にドスが効いていた気がするな……。


『私の大切なお嬢様を泣かせやがって……この青二才が!』という副音声が透けて見えるようだ。


「分かった。クリス、ティル。お前達は他の連中共々、今夜はゆっくり休め」


「警護はよろしいのですか?」


「ああ。エレノアの傍には俺がついているし、これから数日後には他の奴らだけでなく、王家の方々も来訪される。だからお前達は今のうちに休んでおけ」


「御意」


騎士の礼を取り、離れに戻っていくクライヴの後ろ姿を見送るクリスに、イーサンが声をかけた。


「そう言えば貴方がた、近衛騎士から聖典バイブルを貸し出すと言われたみたいですが……。今は却下します」


「はぁぁ!?何でだよ!!ってか、あいつらにも言われたけど、なんで僕らバッシュ公爵領の騎士がお嬢様の事をなにも知らないんだ!?ってか、彼らがお嬢様の事を『姫騎士』って言っていたけど、それも一体何なんだよ!?」


突然にべもなく却下を喰らい、思わずクリスは素のまま怒鳴りつけてしまう。それに対し、イーサンは無表情を崩す事無く淡々と告げる。


「『今は』と言ったでしょう。近いうちに情報制限は解除します」


「やっぱ情報抑えてたのか!!」


「それに貴方達はその目で実際のお嬢様を見て知った。ならばそれで十分なのではないですか?」


イーサンの言葉に、クリスはグッと声を詰まらせた。確かに自分は今日一日、エレノアの傍にいて実際の彼女を目の当たりにした。

幼いころの子猿だったお嬢様がよくぞこのような……と、その成長ぶりを何度噛み締め、彼女の騎士である事をどれ程誇りに思った事か。


「……それにお嬢様が『姫騎士』と言われている件に関しては、明日になれば分かります。楽しみに待っていなさい」


そう言って眼鏡のフレームを指クイしているイーサンを見れば、驚く事に口元が吊り上がり、あろう事か喉奥で小さく笑っている。……先程の怜悧な雰囲気が跡形も無くなっているのは結構な事だが、どこをどう見ても何かを企んでいる悪役そのものである。


『薄々思っていたが……。こいつ、お嬢様の事大好きだよな……』


「楽しみにしてろ」と自分達に言いつつ、自分の方こそがめっちゃ楽しみにしている。そう言えばクライヴ様が「朝練」とか何とか言っていたが、まさかそれの事か?ってか、朝練ってなにをするんだろう?


未だにクックッと邪悪に笑っている不気味な家令を見ながら、そんな事を考えているクリスの横で、ティルはドン引いた様子で「キモッ!」と呟いていた。





「ああ、そうそう。お前達」


執務室に戻ったイーサンが何か・・に向けて声を発した瞬間、ザワリと空気が震える。


「クライヴ様に貼り付いていなさい。多少の事は見逃すとして、もしお嬢様に万が一・・・の事があれば、殺すつもりで攻撃をするように」


次の瞬間、気配が跡形もなく消え去った。


「……伯父上からの報告によれば、婚約者教育は一向に進んでおられないとの事。本来であれば後押ししたい所ではありますが、王族が絡んでいては、それもままなりませんし……。悩ましい限りですね……」


それに、兄に先に出し抜かれたとあっては、あの『万年番狂い』と称される筆頭婚約者がどれ程荒ぶるか。……いや、王家直系達も黙ってはいないだろう。


「エレノアお嬢様。面倒な殿方ばかりに好かれますね」


――……いや。というより自分を含め、アルバの男が総じて面倒な性質なのかもしれないが……。


そう心の中で呟きながら、イーサンは今日の視察で起こったあれこれをアイザックに報告すべく、魔道通信の準備を開始した。



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クライヴ兄様、まさかのイーサンの後押しでエレノアの元に戻りました!

……でもあまり信用されていないみたいですね(笑)

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