第209話 ごめんなさい
「ふ…。その言葉…。そっくりそのまま返してやろう…!」
「何ッ!?」
苦痛に顔を歪ませながらも口角を吊り上げ、オリヴァーは自分を刺し貫いた剣をガッシリと握りしめた。
「術式…発動!『灼熱の炎よ。紅炎の蛇となりて、敵を焼き尽くせ』…!!」
次の瞬間、ケイレブの剣が赤く染まった。そしてそこから炎がうねりを上げ、まるで蛇の様に剣を握っていたケイレブの腕に絡み付くと、その勢いを増した。
「ッチ!ウンディーネ!!」
すかさず、ケイレブが精霊召喚を行い、水の精霊を呼び寄せ、己の身を焼く炎を鎮火させる。
だが彼の左半身は腕を中心に焼けただれ、失った右腕の止血を行うものの、立っている事が出来ずに膝から崩れ落ちてしまう。
「オリヴァー兄様!!」
エレノアはフィンレーの腕から必死に抜け出し、未だ腹に剣を受けたままのオリヴァーへと駆け寄る。だがオリヴァーは、自分に駆け寄ろうとしたエレノアを片手で制した。
「オリヴァー兄様?」
次の瞬間、オリヴァーは自分の腹に埋まった剣を持ち、一息に引き抜いた。
「オリヴァー兄様!!何を!?」
「おい、馬鹿か!?そんな事をしたら、一気に出血が…!!」
「…先程の…攻撃のついでに、損傷部を焼いて…止血しました。いくら頭に血が昇っていても…。そんな子供でも分かるような馬鹿…なこと、やる訳…ないでしょう?」
「…それだって馬鹿だろ。いくらなんでも原始的過ぎる」
こんな状況だというのに、相変わらずの憎まれ口をたたくオリヴァーに、フィンレーは呆れ顔を浮かべたが、同時にホッとしたような表情を浮かべた。
「オリヴァー兄様!オリヴァー兄様!!」
エレノアは泣きじゃくりながら、全身ボロボロ状態のオリヴァーに縋りつく。
途端、苦痛に眉根を寄せたオリヴァーに、慌てて身体を離したエレノアは、急いでオリヴァーの腹に手を充て、治癒魔法を行おうとした。
「――ッ!!エレノア!オリヴァー!!」
――え…?
悲鳴にも似た叫び声に顔を上げれば、フィンレーが自分達を庇う様に立ち塞がり、衝撃波を『闇』の魔力で防いでくれている姿が目に入った。
「フィン…」
目を見開き、手を伸ばそうとした次の瞬間、フィンレーが衝撃波と共に吹き飛ばされ、クライヴ達同様、地面に激しくその身を叩き付けられる。
「フィン様ッ!!?」
「エレノア!伏せろぉ!!」
フィンレーが防いでくれてなお、襲い来る衝撃波からエレノアを庇う様に、オリヴァーがエレノアを胸に抱き、その場に蹲った。
「…オリヴァー…にいさま…?」
吹き荒れる衝撃波が収まり、自分を抱きしめる兄の腕の力が無くなったと同時に、その身体がグラリと傾ぎ、地面に崩れ落ちる。
「オ、オリヴァー兄様!?兄様!!」
急いで心音や脈を確かめると、思いのほかしっかりとした鼓動を感じてホッと安堵する。どうやら気を失っているだけのようだ。
「フィン様!?」
爆風により、巻き上がった土埃で周囲が霞んでいる中、目を凝らす。するとすぐ目の前に横たわっていたフィンレーを発見し、急いで駆け寄った。
オリヴァー同様、脈や息遣いを確認すると、叩き付けられた衝撃からか、オリヴァーよりも脈が弱く、息遣いも浅い。よく見れば、服が所々千切れ、細かい傷が無数に出来ていた。
幸い、致命傷は受けていないようだが、楽観視は出来ない状況だ。それにオリヴァーの方は、今は大丈夫だとしても酷い致命傷を受けており、いつ容体が急変するか分からない。
『クライヴ兄様と…アシュル様は…!?』
先程、フィンレー同様、衝撃波に吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた姿を見た。彼らは一体どこに…?
「――ッ!!」
目を凝らし、周囲を見回していると、晴れてきた視界の中、こちらに向かって歩いて来る人影に気が付く。
そしてその人物が誰なのかを確認した瞬間、エレノアの顔が恐怖に引き攣った。
――
濃紺であった長い髪は、毛先に向かうにつれ、どす黒い色へと変色し、紫紺の瞳は瞳孔が縦に割れた禍々しい金色に変わっている。
白目も黒く染まり、露呈した上半身には、先程クライヴから受けた傷を中心に、全身に紅脈が蜘蛛の巣の様に張り巡らされていた。元の端正な顔立ちが、その異形さを際立たせている。
そして彼の後方には、地面に倒れ伏している、クライヴとアシュルの姿が…。
「こ…ないで!!」
恐怖に震える身体を叱咤し、エレノアはブランシュを睨み付けたまま両手を広げ、その背にオリヴァーとフィンレーを庇うように立ち塞がった。
「エ…レノア…!あいつの…『瞳』を見るな…!!」
フィンレーの、ふり絞るような声を背に受けながら、それでもエレノアは真っすぐにブランシュの瞳を見つめた。
…そう、何故か
縦に割れた瞳孔。闇夜の肉食獣のごとくにぎらつく金色の瞳。
だがそれは、先程までの圧をこちらに与えるでもなく、ただ静かに…。まるで吸い込まれそうな深い感情の色を湛えていた。
――――!!?
エレノアの内に、様々な感情と記憶が流れ込んでくる。
それは今目の前に立つ男の記憶。
抗えぬ運命に翻弄され、暴走し、欲と力に飲み込まれてしまってなお残る、悲しみと後悔。…そして、自分への…気が狂いそうな程の渇望と、溺れんばかりの愛情。
エレノアの頬に、音もなく一筋の涙が零れ落ちる。
「ごめ…ん…なさい…」
異形と化した、獣の様な黒い手が、エレノアに触れる直前、ピタリと止まる。
「ごめん…なさい…。貴方の気持ちに…応えられなくて…。貴方を愛せなくて…救ってあげられなくて…ごめんなさい」
ポロポロと、とめどなく涙を流しながら、謝罪を繰り返す。
自分勝手な想いをぶつけられ、大切な人達を傷付けられた理不尽に対する怒りや憎しみは、今も当然胸にある。
だけど…。それでも彼の悲しみや、その身に宿った破滅の宿命を思うと、胸が締め付けられ、涙が止まらない。
安っぽい同情心だと罵られるかもしれない。目の前の彼だって、同情なんてされたいなどと思ってはいないだろう。
…だけど、それでも…。自分とさえ出逢わなければ、彼はここまで道を踏み外す事は無かった。そう思うと申し訳なさが湧き上がり、謝る事しか出来ない。
「ブラ…ンシュ…。もう…止めろ」
片腕を無くし、左半身が焼けただれたケイレブが、真っすぐにブランシュを見つめながら静かに声をかける。
「もう…いいだろう?…終わりに…しよう」
「ケ…イレブ…さん?」
ケイレブが、エレノアの方を向いて微笑む。それはとても静かで穏やかな…初めて見る表情だった。
そうして、ゆっくりとブランシュに近付いていくケイレブの目には、目の前の男への愛情と悲しみが湛えられていた。
だがケイレブの身体が、ブランシュにより吹き飛ばされる。
「――!ケイレブさん!?」
途端、覚えのある『圧』に身体が晒され、思わず呻き声を上げた。そして何とか顔を上げ、見つめたブランシュの瞳は野獣の様にぎらつき、先程の静けさは欠片も残ってはいなかった。
今ここで捕えられたら…。自分もこの場に居る人達も全て、命を失ってしまうだろう。
『駄目だ…!この人にはもう…罪を犯して欲しくない…!!』
だがこのままでは…。せめて、彼を止める手段があれば…。
その時、脳裏にある映像が浮かんだ。
数年前、訪れたダンジョン。
暴れるクリスタルドラゴンを絡め取り、動きを拘束した樹木の檻。あれを再び再現する事は出来ないだろうか?
『だけど、私の魔力はパト兄様の為にワーズに渡してあまり残っていない…。そうだ!』
自分の魔力が足りないのなら、大気に在る『魔素』を応用すればいいのではないかと思い至る。
『どのみち、後は無い…。兄様達を…殿下方を守る為にも、必ず成功させる!!』
圧が強まる中、エレノアは目を閉じ、意識を集中させた。
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フィン様まで倒れ、後はエレノアだけという絶体絶命の状況です!
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