第229話 束の間の平穏と自覚する気持ち

「はい、エレノア。あーんして」


麗しい兄の柔らかい口調に、私は大人しく口を開くと、口元に持ってこられたチョコレートマカロンを口に含んだ。


「可愛い僕のエレノア。…はぁ…。癒やされる…!」


溜息交じりにそう呟きながら、オリヴァー兄様は自分の膝の上に乗せた私の身体を抱き締め、頭に何度も口付けを落とした。


「………」


――…この世界の顔面偏差値に、そろそろ慣れて来た。…そう思った時期が、私にもありました…。


でも、こうしてオリヴァー兄様の超ド級な顔面偏差値と色気たっぷりの甘々ボイス攻撃を我が身に喰らい、妹はその認識が誤りであった事に気が付きました。



――慣れるかー!!こんな人外レベルのご尊顔!!



今だって、この注がれる甘やかな視線を直視出来ずに俯きながら、味のあんまり分からないマカロンをモソモソ食べている始末。

幸い、私のティータイムを邪魔しないよう、敢えて唇にはキスが降って来ないが、それ以外の部分(首から上だけだけど)には、もう余す事無くキスの嵐ですよ!


兄様…もうちょっと…。もうちょっとだけ、手加減願えませんかね?!こ、婚約者同士の甘いひと時を味わうには、妹はまだあまりにも修行不足なのです!


「おい、オリヴァー。お前一体何回目だ?その台詞」


「正味15回ですよ、クライヴ兄上。まあでも、気持ちは分かりますけどね」


「だな」


真っ赤になって恥じらうエレノアと、そんなエレノアを心ゆくまで堪能しているオリヴァーを見ながら、クライヴはセドリックの台詞に頷きつつ、苦笑を漏らした。


思えばシャニヴァ王国との諍いからこっち、色々あった上に、今回は下手をすればエレノアを永久に失いかねない状況だったのだ。


しかも、あの戦闘の後で改めて聞いた話によれば、オリヴァーが負った傷はまさに瀕死の重傷と言えるもので、真面目にあと少し治療が遅ければ、命を失うものだったのだそうだ。


つまり、自分は最愛の少女と大切な弟を、同時に失っていたかもしれなかったのだ。そう考えれば、愛する家族が楽しそうにしている姿を見ていられるこの瞬間が、とても愛おしい。


「…でもそろそろ俺達にも、エレノアを貸して欲しいんだがな…」


「無理でしょうね。ああなったオリヴァー兄上を止めるのは難しい…というより、不可能です」


「…そうだな。まあ、やっとこうして、ゆっくり出来るようになったんだ。暫くはあいつに譲ってやるか」


「その方がよろしいかと思われます」


そう、触らぬ『万年番狂い』に祟りなしである。


クライヴとセドリックがそんな話をしている時、エレノアもこの、バッシュ公爵家で愛しい人達と過ごす事の出来るいつもの時間に、とても幸せを感じていた。





実はエレノア達。あのエプロン騒動のあった日から暫くして、王宮からバッシュ公爵邸へと戻って来ていたのだった。


まあ、例によって王家が「えー、帰っちゃうの?それじゃあエレノアだけでも、王宮にいたら?」という、ふざけた事をのたまっていたそうだが、アイザックがブチ切れし、「はぁ?ふざけてんじゃねーよ!!退職すんぞ!?」…という言葉を、綺麗な貴族言葉に変換しつつ、強引に全員仲良く帰宅する事と相成ったのだそうだ。


「お帰り、エレノア!」


「エレノアお嬢様…よくぞご無事で!」


一足先にバッシュ公爵邸に戻り、待ち構えていたアイザックと、安堵の表情で目を潤ませるジョゼフから、エレノアは涙ながらの抱擁を受けた。(メルヴィルとグラントはと言うと、ワイアット宰相に取っ捕まって不在である)


『それにしても父様…。何で私達と一緒に帰らないんだろう?』


なんせ父の職場は王宮である。いちいち自分達が帰る前に家に戻って、わざわざ出迎える意味はあるのだろうか?


そう疑問に思ったエレノアだったが、彼にとっては『無事に帰って来た娘を自宅で迎える父』という、その様式こそが重要なのだそうだ。

よく分からないこだわりだが、きっと父にとってそれは、譲れぬ大事な一線なのだろう。


「父様!私、お家に帰れて凄く嬉しいです!…それと、御免ねジョゼフ。いつも心配かけて…」


「宜しいのですよ、お嬢様。このジョゼフ、例え過労や心労で死しても、影ながらお嬢様をお支えし、守っていく所存!」


…ジョゼフ。何気に「やんちゃで心労増やすな。過労死するぞ!」って言っていませんか?しかもどさくさ紛れに、私の背後霊になる宣言していませんかね?

いや、いいんですけどね。どんな悪いモノも呪い殺す、最強の守護霊になりそうだし。でも出来れば私の孫の代まで、ずーっと長生きして欲しい。


そう言ったら、「分かりました!このジョゼフ、エレノアお嬢様のひ孫様の代までお仕えすべく、頑張ります!」って号泣されましたが、そこまで頑張んなくてもいいです。


その後、召使いの皆さんからも熱烈歓迎を受け、私は改めて、自分や兄様方が無事だった事への喜びを噛みしめたのだった。


ちなみにマリア母様はと言うと、子供が生まれるまでは、「まだ心身の傷が癒えず、聖女様から治療を受けている」といった体で、王宮に留め置かれる事となっているのである。

パトリック姉様は、そんな母様の傍に寄り添っていて、話し相手になったり、日常生活の面倒を見てくれているのだ。


そういえば、以前から「いー加減、エレノアちゃんの無事な姿を見せに来なさい!」と、父様方がせっつかれていたとの事で、バッシュ公爵邸に帰って早々、私と父様方とで『紫の薔薇ヴァイオレット・ローズ』に行く事になった。(兄様方とセドリックは欠席)

その時気分転換になればと、パト姉様も誘ったんだけど、パト姉様…。メイデン母様にめっちゃ気に入られて「是非ともうちで働いて頂戴!」って、猛烈に勧誘されていたっけ。


姉様も満更でもなさそうだったから、ひょっとして次に『紫の薔薇ヴァイオレット・ローズ』に行った時、姉様が働いていたりして…。うん、なんかめっちゃ違和感ないわー!


『それにしても…』


私はチラリと、オリヴァー兄様の顔を盗み見た。


多少は慣れた筈の兄様とのスキンシップに、再びドギマギしてしまっているのは…。実は、グロリス伯爵邸でのあの時の事・・・・・を思い出してしまったからなのだ。


『オリヴァー兄様。もし私が廃嫡され、肩書も何もない、ただのエレノアになったとしても…。私の婚約者でいて下さいますか?』


――うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!


逆プロポーズ以外の何ものでもない、あの時の台詞。思い出す度、顔から火を噴いてしまう。


勢いで言ってしまったあの言葉に、兄達もセドリックも、「当然だ。ずっと傍にいる」と誓ってくれた。

その時、私は改めて彼らを愛しているのだと、心の底からそう実感したのだった。


だが、実感したからと言って、すぐ恋人みたいにキャッキャウフフと出来るかといえば、そうではない。というか、そんな事したら、常に鼻腔内毛細血管が決壊して、万年貧血状態になってしまうだろう。

それになんとなくだけど…。私が自分の恋心を自覚したと、兄様方やセドリックに知られるのは不味いような気がして仕方が無いのだ。


恥ずかしながら、身近で信頼のできる唯一の同性であるミアさんにその事を相談した時、「お嬢様。それこそが、我々非力な草食動物だけが持つ、自己防衛本能なのです」と、よく分からない事を言って頷いていた。ついでに、暫くは誰にもその事を言わない方が良いと、アドバイスも貰った。


「エレノア…」


甘く、熱のこもった声で耳元に囁かれ、我に返った私は、うっかりオリヴァー兄様と目を合わせてしまった。


美しい、黒曜石の様な瞳。蕩けそうな程、甘く微笑む絶世の美貌に優しく見つめられ、ドキドキと胸の鼓動が早くなっていってしまう。

羞恥心で頭がくらくらするのに、見つめるその瞳に甘く絡め取られて、目を逸らす事が出来ない。


「愛しているよ…僕のエレノア…」


「オリヴァー…にいさま…」


『私も愛しています』


そんな声にならない言葉を、だけど聞こえているような幸せそうな表情。その黒曜石の瞳の中に、何かが灯った


――キスをされる…。


そう感じ、そっと目を伏せた。その時だった。


「ご歓談中、失礼致します」


どこか表情の硬いジョゼフが、サロンへと入って来る。ちなみにこの部屋の中には、いつの間にやら召使が一人もいなくなっていた。

多分だが、私の恥じらいを察し、気を利かせてくれたのだろう。相変わらずバッシュ公爵家の面々は皆、召使の鑑達である。


「ジョゼフ。何か用かな?」


「は…。王城より、エレノアお嬢様並びに、オリヴァー様、クライヴ様、セドリック様に招集がかかりました。明日、全員で登城する様に…との、ご下命に御座います」


ジョゼフの言葉を聞いた途端、オリヴァー兄様の顔から笑顔が消えた。



===============



あ、パト兄様、紫の薔薇行ったのね、とか、最強の守護霊爆誕!…!とか、色々ツッコミどころがありますが…。取り敢えず一番は、エレノアに、ようやっと情緒が…( ;∀;)という所でしょうか?

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