第262話 偽物には本物を
イーサンの恨み節はまだまだ終わらない。
「私も王都邸にお供したかったというのに……!ジョゼフ伯父上の教育的指導(という名の鉄拳制裁)により、本邸から離れる事を許されず……!本邸で陰ながら見守り続けた苦節十数年……!!」
「でもその間、アイザック様のお慈悲で、お嬢様のあらゆる情報を肖像画付きで送って頂いていたそうじゃないですか。(多分、イーサン様の暴走封じの為でしょうけど)」
「それぐらいして頂かなければやってられません!!……だいたい、エレノアお嬢様を洗脳した、あの許されざる忌々しい男……!私がもしお傍にいれば、お嬢様をあんな野生の子猿になんてさせたりはしなかったのに……!!ああっ、お嬢様!なんとおいたわしい!!」
「…………(いや。もしイーサン様がご一緒だったら、やっぱお嬢様をめっちゃ甘やかして堕落させてそうですよね……)」
ジョゼフ様が、エレノアお嬢様との直接接触を禁止したのは、まさにそこだったんじゃ……。と、黑フードの男は思ったが、余計な地雷を回避すべく、その考えは心の中でのみ呟くに留めた。
そう。イーサンのエレノアへの溢れんばかりの父性(パパ愛)は、共に過ごせなかったこの十三年間で拗れに拗れていた。
『万年番狂い』と称される程のヤンデレ気質な弟を持つクライヴは、本能的にイーサンに、弟と同じヤバいモノを感じていたという訳なのである。
もしイーサンとオリヴァーが共に本邸に在ったとしたら、まさに『混ぜるな危険』状態であった事だろう。つくづくジョゼフの妨害はグッジョブであったと言わずにはおれない。
「……ところで、皆の反応はどうでしたか?」
「エレノアお嬢様が子猿だった時の事を覚えている者達や、あの娘に心酔していた連中はまだ多少懐疑的ですが、反応は上々です。それとあの母娘、性懲りもなく、何かやろうとしていますね」
「ふむ。概ね予想通りですね。よろしい。引き続き、各所に配置した他の『影』達と共に、周囲の反応を逐一報告して下さい。同時にアイザック様への報告も忘れずに」
「は。では、失礼致します。あ、それとイーサン様。演技とはいえ、あんまりツンツンしていると、エレノアお嬢様に嫌われちゃいますよ?」
その言葉を聞くや、イーサンの目が驚愕に見開かれた。
「――ッ!き……嫌われる……!?わ、私は嫌われているんですか!?」
「(自覚ないのか?)まあ、嫌われているかどうかは分かりませんが、既に恐れられてはいますよね。それと、あんまりああいった態度取って、婚約者様や護衛達を刺激しないで下さいよ!?いつバッサリ
「……そんな状況だったのですか?」
眉根を寄せ、首を傾げるイーサンを見て、黑フード男改め『影』は愕然とした。あんなに分かりやすく敵意剥き出しにされていたのに!?スルーしてたんじゃなくて、単純に気が付かなかったのかよこの人!?
「まさかイーサン様、あの殺気に気が付かなかったんですか!?」
「……エレノアお嬢様の尊さに耐えるのに必死でしたからね……。ついでにお嬢様のお言葉や仕草の一つ一つを胸に刻むのに忙しくて、あまり周囲を見ていませんでした」
『影』がガックリと肩を落とした。流石は我が上司。ガチ勢ぱない。
「……お嬢様以外は、ジャガイモかカボチャですか。私はさしずめピーマンてトコですかね。はぁ……。イーサン様、長年拗らせただけあって、ある意味最強ですね」
常にズケズケと、失礼発言をぶちかます部下に対し、イーサンのこめかみにビキリと青筋が浮かんだ。
「ごちゃごちゃ言っていないで、さっさと行きなさい!」
「はっ。それでは失礼致します」
スウッと、影に溶け込むように『影』の姿が視界から消えた。
イーサンは重厚な執務机に見劣りしない、机同様重厚な見た目ながら座り心地の良い椅子へと腰かけると、机の上に飾られていた小さな額縁を手に取り、微笑む。そこには赤子のエレノアを腕に抱く自分の姿が描かれていた。
「……それにしても……。久々に厄介なのが出てきましたね」
再び眼鏡を装着したイーサンの唇から、小さな呟きが零れる。
その瞳には、見る者をゾッとさせる程の冷たい色が浮かんでいた。
三年前に起こった、前代未聞のあの事件。
リンチャウ国の奴隷商人達と裏で手を組み、自国の女性を売り捌いていた貴族達の大粛清。
それにより、空席となった貴族枠を埋める要員として、多くの家が爵位を賜り、そして我がバッシュ公爵家のように陞爵された。ゾラ男爵家もその爵位を賜り、貴族となった家の一つである。
だがこのバッシュ公爵領において、爵位を賜り貴族となる事は始まりでしかない。
いかに領地と領民を守り、発展させていくか。その与えられた権力をどう使うか……。新興貴族は必ずバッシュ公爵家の家長によって、それが試される。
爵位を賜ったばかりの男爵家に、バッシュ公爵家本邸への出入りを許し、管理者としての権限を与える事も、その試し行為の一つであった。
――エルモア・ゾラ男爵。
彼は確かに優秀であった。そしてそれを支える賢妻と名高い妻も。
だが妻の方は、小賢しい欲望を抱いていたようで……。娘の方も容姿だけでなく、そういった小賢しさを母親からしっかりと受け継いでいるようだった。
たおやかな花の姿を纏いながら、バッシュ公爵家の内部へと入り込み、自分自身の価値を上げて有力貴族達へのテコ入れを行う。……ひょっとしたら、その有力貴族の中には、エレノアお嬢様の婚約者様方も含まれているのかもしれない。
だがもし、そんな事を目論んでいるとしたら、愚かだとしか言い様がない。
お嬢様を溺愛しているあの方々が、表面だけ取り繕った女を所望される筈がない。まさに愚者の浅知恵と言うべき稚拙な計画だ……。
まあ、それだけなら、母娘を監視対象とするだけで済む話だった。何より彼女らは、アルバの男が守るべき『女性』である。たとえ野心を抱いていたとしても、犯罪を犯している訳でも無いのだから裁く訳にもいかない。
だが愚かにも、あの娘はバッシュ公爵家直系の姫が受ける権利を強請ってきたのだった。これは明らかに許容範囲を超えている。
本邸に出入りしている間に、多くの召使や騎士達の心を篭絡して自信をつけていたのであろう。だがまさか、この私までをも虜に出来たと勘違いするとは……。
「やれやれ……。私も舐められたものですね」
ひょっとして、お嬢様が以前の我儘な方だという話を信じた上での行動かもしれないが……。まあ、アイザック様の命で、敢えてそう勘違いするよう、王都からの情報を規制し、エレノアお嬢様の情報を入手し辛くしていたので、誤解するのも仕方がないのかもしれない。
それでもきちんと調べれば、そのような事は無いのだと分かる筈。つまり、その情報収集を怠った時点で、ゾラ家の評価は致命的なものとなったのである。
少しだけ逡巡するフリをして、お嬢様のお部屋を使う事を認めてやったのは、相手の思っていた通りの行動を取り、徹底的に油断させる為だ。
そして、エルモア・ゾラ男爵がお嬢様の出迎えに参ずることが出来なかったのも、余計な邪魔が入らないよう、仕掛けたある事が原因である。
「中々、見どころがあると思っていたんですけどねぇ……。あの程度の女性に手玉に取られた時点で、チェック・メイトですよ。エルモア・ゾラ。ああそれと、娘の教育にも失敗しているようですしね」
――フローレンス・ゾラ。あの娘を放置していれば、将来必ずエレノアお嬢様の害となる。
私は直ちに王都邸におられるアイザック様へ連絡を取ると、事の次第を報告し、指示を仰いだ。
「……うん。そういう子は放置していると危険だね。かといって、普通の方法で排除すれば、彼女を崇拝する男達を中心に、禍根が残るだろう。なにせ『被害者』を演じるのがとても上手い子みたいだしね。エレノアを『加害者』にされるのは困るからなぁ……。将来、オリヴァー達とバッシュ公爵領を守っていくのはあの子だ。悪い芽は残したくない。……さて、どうするか……」
そう言って、アイザック様は、ひとまず彼女らを泳がせる事を私に命じた。
丁度、シャニヴァ王国との水面下の攻防で手一杯だった事もあったのだろうが、逆にあの娘を利用し、将来的に不穏分子になりそうな者達をあぶり出そうとしたのであろう。
確かに女性は国の宝である。だが、その大前提に惑わされ、真に優先すべき事を見誤る惰弱は、この領地には必要ない。
そうして、あの娘に傾倒する者が増えていく中、アイザック様は敢えてエレノアお嬢様をバッシュ公爵領へと送る事を決められたのだった。
「……成程。流石はアイザック様。確かに正面切って排除できないのであれば、『本物』をぶつけてしまえばいい」
イーサンの口角が自然と上がる。
「精々、エレノアお嬢様との格の違いを知り、足掻いて頂きましょう。その上で、己の分というものを悟れば良し。そうでないならば……」
そこまで言って、ふとイーサンは言葉を切り、顎に手をかけ思案する。
「……ですが、それよりも重要な問題が発生してしまいました……。計画上、お嬢様に対する態度を変える事はまだ出来ませんし……困りましたね」
理由はどうあれ、折角最愛のお嬢様が本邸に戻って来て下さったのだ。出来れば嫌われたくない。というか仲良くしたい。叶う事なら、とことん甘やかしたい!
「……取り敢えず。エレノアお嬢様には、許される範囲内で優しく接するようにしてみましょう」
寧ろ、その狙った態度が相手を誤解させる原因なのだと、的確にツッコむ部下がいない今、イーサンは一人そう決意すると、無意識に眼鏡のフレームを指で押し上げたのだった。
===============
王国一の治安を誇る理由は、バッシュ公爵家の努力の賜物です。
イーサンに贈られたエレノアの肖像画は、誰の目にも触れさせないよう、秘密のお部屋に収納しております。
エレノアを愛する数多の野郎共にとって、それらはお宝の山ですが、もし誰かに取られるぐらいなら跡形もなく燃やす覚悟でいるようです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます