第261話 家令なる執事の正体

結局、私は鼻腔内毛細血管が決壊した事により、逆上せやすい温泉を却下されてしまいました(無念!)


「ではエレノアお嬢様。また明日、こちらに伺います。今夜はごゆるりとお寛ぎくださいませ。食欲が戻られましたら、離れに常駐しておりますシェフにご用命下さいませ」


木と花の香り漂う豪華なサロンにて、楽な部屋着に着替え、クライヴ兄様に膝抱っこされてグッタリしている私にそう告げると、イーサンは恭しく一礼した後、クリス副団長らと共に部屋を後にした。


本来であるなら、護衛騎士であるクリス副団長らは主寝室に近い部屋で待機、もしくは護衛として扉の前に立つのが一般的だ。


でもうちの召使達ってば全員騎士だったし、王宮から派遣されている近衛騎士様方もいる。何より一番強いであろうクライヴ兄様が続き部屋に控えている……という事で、クリス副団長率いる騎士達は、外出する際の護衛として私の傍にいる事となったのだった。


「えぇ~!!そんなぁ!俺、もっとエレノアお嬢様のお傍にいたいっす!!」


「はっはっは!残念だったな!エレノアお嬢様のお傍には俺達がいる!新参者が入り込む隙など皆無なのだよ!!」


「きぃっ!今に見てるっすよ!?絶対下剋上してやるっすからね!!」


……なんて、ティルはうちの召使達とすっかり意気投合していて、何やら楽しそうに言い合をしていた。


うん。つくづく逸材だな、ティル。なんかクリス副団長が苦労してそうで気の毒だったけど、あの今までにない気安いノリ、大好きだ!


「それにしてもクライヴ様!!あのイーサンという家令、お嬢様に対して当たりがきつ過ぎですよ!!お嬢様に対する数々の無礼といい……。何とかならないのですか!?」


イーサン達の気配が完全に無くなってすぐ、ウィルがクワッと口火を切った。


ちなみに他の召使達や近衛騎士様達は、この建物の間取りや配置、仕掛け等の探索をしている為、この場には私とクライヴ兄様、ウィルとミアさんしかいない。


私を膝の上に乗せながら、フカフカのクッションに座っているクライヴ兄様に、ウィルがプンスカしながら紅茶を差し出す。あ、私にはミアさんがミックスフルーツジュースを手渡してくれました。うん、美味しい!


「……いや。俺も最初はろうかと思っていたんだが……。あいつ見てたら、なんっつーか、こう……。誰かを思い出すというか、なんというか……」


「は?誰かですか?」


「……俺の気のせいかもしれんが……」


クライヴ兄様のお言葉に、ウィルと一緒に私も首を傾げる。はて?クライヴ兄様。誰を思い出すんでしょうか?というかクライヴ兄様!最初る気だったんですか!?あ、危なかった……!


そこで私はふと気が付いた。あれっ?そういえばぴぃちゃんは?

着替えの際、パタパタ飛んで行ってから姿が見えないな?


「あぁ、ぴぃか?あいつ多分、帰ったぞ」


「へ……?帰った……?」


「ここに着いてからの事の次第を、主人に報告に行ったんだろ。お前をないがしろにされて、えらく憤慨している様子だったからな」


「えっ?……ええっ!?」


そ……そいういえば、ぴぃちゃん。なんか胸元で、やたらピーピー囀っていたけど……。でも主人って、マテオの所だよね?でもって、それ絶対にリアムやアシュル様達も聞くよね?ウィル達があれだけ怒っていたのだから、彼等も間違いなく怒る……筈。


エレノアはゴクリ……と喉を鳴らした後、クライヴをおずおずと見上げた。


「ク、クライヴ兄様!殿下方が空間転移で乗り込んで来ちゃったらどうしましょうか……?」


「その前に、宰相様や聖女様が止めてくれるだろ。……それに公爵様も……。案外、ご存じなのかもしれないな……」


「え?クライヴ兄様。何か言いましたか?」


「いや……。何でもねぇ」








イーサンは、バッシュ公爵家本邸にある自身の執務室へと戻るなり、その場にガクリと崩れ落ちた。


「……くぅっ……!!な、何とか耐えきりましたね……!!」


両手両膝を床につけ、暫しの間、痛みに耐える様に震えていたイーサンは、己のかけていた眼鏡をおもむろに胸ポケットへとしまうと固く目を閉じ、クッキリと眉間に寄った皺を指でほぐした。


「はぁ……。それにしても、エレノアお嬢様……!馬車から降りて来たお姿を拝した時は、あまりの愛らしさと尊さに心臓が止まるかと思いましたよ!!しかも、我々などに対してカーテシーをなさるなんて……!なんという気高さ!!そして尊さか!!ああ……!あのような天使が我が主だなんて……!天にも昇る心地とは、まさにこの事か!!?」


「……あの~……。主はアイザック様じゃないんですか?ってか、うっとり頬染めて、お嬢様の素晴らしさを語りまくるの止めてもらえません?視覚的にきついんですけど」


部屋の暗がりから声がかかる。そして闇から切り離されるように、黒いフードをかぶった男がゆったりとその姿を現した。


一人身悶えていたイーサンだが、何事も無かったかのようにその場からスッと立ち上がると、鋭い視線を男へと向けた。


「……お黙りなさい!……そう。確かにアイザック様は、このバッシュ公爵領を統べる頂点たるお方。ですが私の忠誠は、エレノアお嬢様がお生まれになった時点で、あの方へと移行しているのです。……ッ!それにッ!!」


バンッ!と、イーサンが自分の執務机に手をつくと、ピシリとどこかにヒビが入った音が聞こえた。


「アイザック様は十三年前、私からお嬢様を引き離し、王都へと逃亡されたのです……!エレノアお嬢様の心の父を自負する私に対し、何たる鬼畜な所業!!あの時の私の絶望が貴方に分かりますか!?いいえ、分かる筈が無い!!……私は生涯、あの時の恨みを忘れないでしょう……!!」


「……いや、それ完全に逆恨みですから。不敬ですから。そこらへん、分かってます?」


黒フードの男は、呆れたような声で、イーサンに冷静にツッコんだ。が、その言葉を完璧に無視したイーサンの熱いパトスは止まらなかった。


「はぁ……。それにしても。アイザック様の命により、心ならずもあのような態度を取らねばならなかった私に対し、慈悲深き女神のごとき、寛容で優しいお言葉の数々。あの愛らしい態度……!!しかも自分に非礼を働いた騎士達を諫めた時の、あの凛としたお姿……!まさに由緒正しきバッシュ公爵家のご令嬢の名に相応しい……!!あああ……!!今思い出すだけで、動悸息切れ眩暈が……!!女神様はなぜあのような、罪深き程に尊い御方を、この地上へ遣わす事をご決断されたのか……!!きっと、我々に対する深き愛と慈悲ゆえですね!ああ、女神様!!今ここに改めて、万感の感謝をお捧げ致します!!」


「………ソウデスネー」


黑フードの男の口から、抑揚のない声が発せられる。


この上司、自分の前でエレノアお嬢様の事を語りだすと、いつでもこういう状態になるのである。もはや一々ツッコむ事もめんどくさい。


まあ……。実際にエレノアお嬢様を目にした今となっては、自分もこの上司の妄言が、実は真実であったと心の底から賛同するしかない状況だ。


……愛らしかった……。まさに、上司達が「この世の天使!」と呼ぶに相応しいお方だった。


あれならば、『バッシュ公爵家の懐刀』と言われるこの上司や、側近中の側近と謳われるジョゼフ様を筆頭に、お嬢様の傍にいる者達全てが、ことごとく傾倒してしまう筈である。



――そう。実はイーサン。エレノアをめっちゃ溺愛しているガチ勢の一人なのである。


エレノアを怯えさせていたあの態度は、ともすれば溢れてしまいそうなエレノアへの愛を堰き止めようと、ツンデレならぬハイパーツンツンになってしまった結果であった。


イーサンはエレノアが生まれる前からバッシュ公爵家に絶対の忠誠を誓っている側近達の一人であり、代々バッシュ公爵家に仕えている一族の長であるジョゼフの甥っ子でもあった。


アイザックと年が近い事もあり、幼馴染の様に育った彼は、やがて頭角を現し、家令として本邸を取り仕切るまでに成長した。

そして、エレノアが生まれた時は「天使がこの世に降臨した!」と、我が事のように喜び、アイザックが「やっぱり子育ては自然溢れる環境が一番だよね!」と、本邸で子育てする事を決めると泣いて喜び、主の育児を献身的にサポートしたのである。


だが、とある日の午後。エレノアと触れ合って癒されようと、仕事を抜け出したアイザックは、衝撃的な光景を覗き見てしまった。


「は~い、お嬢様~♡今日から離乳食を召し上がりましょう。はい、パパが食べさせてあげますよ~♡」


「あー?きゃー!」


「ああ、美味しいですか?ふふ……。この調子でモリモリ食べて、一日でも早く私をパパと呼んで下さいねー♡♡」


「あーう!」


アイザックの身体が小刻みに震え出す。


「イ……イーサン……!君って奴は……!!」


そう。エレノアへの溺愛がいき過ぎるあまり、イーサンはアイザックの部下にあるまじき願望……。『初パパ呼びをエレノアにさせたい』を抱いてしまったのである。


そしてそれを察したアイザックは、衝撃を受けると共に強い危機感を抱いた。


『アイザック様、ご安心ください。アイザック様がお忙しい時は、私がしっかり、お嬢様のお世話をさせて頂きますから!』


なんて力強く宣言され、「わぁ!流石はイーサン。頼もしい!」なんて単純に喜んでいたけれど……。そういえば、最近微妙に仕事が増えて、エレノアの育児に携わる時間が微妙に減った気がする。……まさか……。あれは自分とエレノアを引き裂く為にわざと……!?


信じていた幼馴染のまさかの裏切り(?)に、アイザックは唇を噛み締め、拳を強く握り締めた。


「――ッ!ダメだ!!エレノアの初めて(のパパ呼び)は僕のものだ!!」


聞きようによっては非常に誤解を生む言葉を叫んだ後、イーサンの執務机に『追わないで下さい』との書置きを残したアイザックは、生後半年のエレノアと手と手を取り合い(というか抱っこして)、愛の逃避行(という名の王都邸逃亡)を決行したのであった。


余談だが、その半年後。本邸に『エレノアに「とーたま」と呼ばれました♡』との手紙が届けられ、イーサンは血の涙を流したそうな。



===============



イーサン、エレノアガチ勢でした(^^)

そしてエレノアを巡って、奥様愛の劇場もどきをやらかしている主従。周囲から見れば「こいつら馬鹿か?」案件。

バッシュ公爵家は、今も昔もこんな感じです。

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