第260話 話に聞いてたのと違う【フローレンス視点】
「どういう事なの!?話に聞いていたのと違うじゃない!!」
フローレンスとその母親であるマディナの部屋は、本来屋敷を管理する者に与えられる場所へと移されていた。
大貴族の邸宅の一室。それは下位貴族が使用する部屋にしては、破格な程に上等だった。
調度品も室内の広さに至るまで……。だが、今迄使用してきた部屋のものとは比べようもない。それが彼女を増々苛立たせた。
フローレンスは手近にあったクッションを、思い切りベッドに投げつける。
上質で、実家のベッドとは雲泥の……。だが、明らかにあの部屋のベッドよりも劣るベッドに。
そんな彼女に、憂鬱そうな表情でソファーに腰かけていたマディナ・ゾラ男爵夫人が声をかける。
「落ち着きなさい、フローレンス」
「でもっ!お母様!!」
「今回は、お嬢様にしてやられたけど……。それは仕方のない事なのかもしれないわ。だって彼女はアルバの女であり、貴族の最上位である公爵令嬢。本性を隠す事など容易いでしょう」
そんな母の言葉に、フローレンスは清楚で純真だと誰もが評する美貌を歪め、ギリ……と、奥歯を噛み締めた。
三年程前に起こった、貴族達の大粛清。
それを機に、優秀とされる地方貴族や、有力な商人達が次々と取り立てられ、陞爵されたり、爵位を賜ったりした。
ゾラ家もその恩恵を受けた新興貴族で、元はバッシュ公爵領で名を馳せ、成り上がった大商人の家系である。
そしてゾラ家を大商人にのし上げた影の功労者は誰あろう、母であるマディナであったのだ。
彼女は世にありがちな奔放で我儘な女性達と違い、下の者や女に相手にされないような容姿の者にも、優しい態度や言葉で接し、常に控えめな態度を貫いていた。
しかもその儚げで可憐な容姿も彼女達の魅力に拍車をかけ、マディナは『白百合の君』と呼ばれ、彼女の夫であるエルモア・ゾラの商売と名声に一役買っていたのだった。
――だが、当然というべきか。彼女がそう振舞っていたのは、己の利になる為である。
夫や恋人を複数持たず、ただひたすらに夫であるエルモアただ一人を愛し、尽くす美貌の妻……。
そんな仮面をかぶりながら、マディナは陰で有能な男や下位貴族達を篭絡して己の信奉者とし、その繋がりを巧みに利用し、夫を男爵に至るまで盛り立てたのだ。それもこれもみな、己の地位と価値を高める為である。
そして娘であるフローレンスも、成長するにつれ母に倣い、周囲の男達を自分の信奉者になるように上手く誘導し、自身の評判を高めていったのだった。
――貴族の仲間入りは果たした。次はその身分を利用し、どれだけ自分達にとって有益な男を得るか……。
その最も最短なのは、娘である自分が国中の貴族が通うとされる王立学院に入学し、有力貴族に見初められる事である。
だが、いくら美しくとも、それだけで良縁を得られるかと言えばそうではない。高位貴族相手では、せいぜい恋人の一人になれれば良い方だろう。
しかも貴族女性の悋気と良い男に対する執着心は、平民の女の比ではない。
彼女らに睨まれ、埋没するぐらいなら、「この地を愛するが故、王立学院には行かない」という大義名分を得た方が、余程周囲への印象も評判も良くなる。
その上で、父であるゾラ男爵にも仕事面で成果を出してもらう。
愛する娘と妻の願いを叶えるべく、ゾラ男爵は元大商人だった伝手を活かし、バッシュ公爵領からの販路を大幅に拡大させる事に成功していった。
結果、ゾラ男爵家はバッシュ公爵家の本邸への直接の出入りを許されたのである。これは新興貴族としては異例の大出世であった。
フローレンスは父母と共にバッシュ公爵家本邸に度々訪れ、巧みに使用人や騎士達と打ち解け、交流を深めていった。
そして、このバッシュ公爵家本邸を管理するという大役を賜った際、バッシュ公爵家本邸の完全なる人心掌握に向けて動いたのだった。
既に屋敷内のほぼ全ての者達の心を掴んでいたフローレンスは、一か八かの賭けで、イーサンに主家の姫の部屋を自分と母が使用する事を願った。
勿論、下手をすれば不敬であるとして叩き出されてもおかしくはない。だがイーサンは暫くの間黙り込んだ後、「……良いでしょう」と、部屋を使用する許可を出したのだった。
その時、フローレンスは賭けに勝った事を確信した。
バッシュ公爵より絶大な信頼を受け、主人の代わりに本邸とバッシュ公爵領を取り仕切り、辣腕を振るう懐刀。その彼を懐柔できたという事。それはすなわち、このバッシュ公爵家本邸を手中に収めたと言っても過言ではない。
そしてあの家令は、自分の主君の娘であるエレノア・バッシュ公爵令嬢に対し、良い感情を持ち合わせていないのだとも悟った。
エレノア・バッシュ公爵令嬢は、貴族令嬢にありがちな我儘で放漫な女であると噂されている。
しかも田舎だからとこの領地を嫌い、殆どこちらを訪れないとも噂されていた。
そんな彼女を、表向きはどうあれ、領民もこの本邸の者達も、内心快くは思っていないのだろう。全くもって、好都合な土壌だ。
バッシュ公爵家本邸の家令を筆頭に、使用人や騎士達までもが心酔する女神。そんな自分を、有力貴族であるバッシュ公爵や、その周囲の高位貴族が放っておく筈がない。
上手くすれば、最上級とも噂される、バッシュ公爵令嬢の婚約者達も、自分に興味を持つだろう。いや、絶対にそうなるに違いない。
狙いは、エレノア・バッシュ公爵令嬢が、この本邸にやって来る時。それまでにこの本邸の全ての男達を、しっかり自分の虜にしておかなくては。
そうして機会は思いがけず、すぐに訪れた。なんとバッシュ公爵令嬢が婚約者全員と、このバッシュ公爵領へ視察にやってくるというのだ。
しかも今回、共にこの領内にやってくるのは、バッシュ公爵令嬢がその美しさに目を付け、公爵家の権力を用いて、無理矢理婚約者にしたとされている、クライヴ・オルセン子爵令息である。
バッシュ公爵令嬢を溺愛する異父兄の筆頭婚約者、オリヴァー・クロス伯爵令息。彼であれば篭絡するのは難しかったかもしれないが、彼女の我儘に辟易しているであろう、オルセン子爵令息。彼ならばきっと、自分に対して興味を持つに違いない。
イーサンはバッシュ公爵令嬢に、離れを使わせるつもりのようだ。
これは多分、領地を顧みない主家の姫への意趣返しであろう。しかも私が主家の姫の部屋を使用していた事により、改修工事を行わざるを得なくなったとのオマケ付き。
あの我儘で傲慢とされるバッシュ公爵令嬢ならば、きっと激昂し、私を罵りまくるに違いない。その時、私はせいぜいか弱く泣きながら、哀れに許しを請えばよい。
この本邸の者達は一部を除き、全員私の味方だ。
きっと、バッシュ公爵令嬢への反感と負の感情を増長させるだろう。対して私の価値は増々高まる。
――……そう、思っていたのに……!
現れた婚約者のクライヴ・オルセン子爵令息は、銀色の輝きを纏う、噂通りの……いや、それ以上に美しい男性で、私は一目で魅了されてしまった。
そんな彼が、大切そうにエスコートするエレノア・バッシュ公爵令嬢。
たいした事のない平凡な容姿……いや、寧ろ醜女だと一部で噂されていた彼女は、その噂とは真逆の、まるで暖かい日差しの様な明るい雰囲気を纏う、愛らしい容姿をしていた。
しかも使用人達に対し、貴族の敬意の証、カーテシーをしてのけたのだった。
本邸の召使や騎士達の多くが、彼女のその態度に衝撃を受け、一瞬で心を奪われたのが分かった。
しかもイーサンの辛辣とも言える対応に対し、なんら含む事無く穏やかに対応している。何なの?この子。噂とはまるで違うじゃない!
――このままではいけない!
そう思い、先手を仕掛けてみたのに……。
「あの頭の固い騎士団長、余計な事をして……!!」
まさか、主家の姫に敵意を向ける様な行動を取るなど……。あれでは却って、私の立場が悪くなってしまう。
しかも、私を良く思っていない副団長までしゃしゃり出て来るなんて……!
「それにしても、なんなのよ!あの女!?」
あんな事をされたにもかかわらず、怒るどころか、あんなに寛容で優しい態度を……。
あの余裕ぶった笑顔。今思い出しても胸がむかついてくる。その上、あの美の化身のような貴公子も、私に対して少しも心動かす様子が無かった。
あのキラキラした、宝石の様な瞳。確かにあそこだけは美しいかもしれない。だけどその他は、豪華なドレスと宝飾品で誤魔化しているだけで、明らかに私と並べて見劣りしている。
なのに……!あれだけ私に心酔していた本邸の召使や騎士達の多くが、私を見つめるのと同じ……ううん、それよりも熱い眼差しをあの女に向けていた。なんて腹立たしい……!
「大丈夫よ、フローレンス」
「お母様」
「いくら、バッシュ公爵令嬢が上手くやったとして、そういつまでも演技を続けられる訳が無い。いずれ必ずボロが出るわ。その時の為にも、貴女は取り乱しては駄目。フローレンス。貴女は美しい上に才能がある。それになにより、あの家令が味方なのだから。きっと今に何もかも上手くいくわ」
母の言葉に、急速に心が落ち着いていく。
そうよ。私は幼い頃より、この国の男の理想そのものの女を演じてきたのだもの。あんなポッと出の、私よりも見劣りする子供になんて負けるものですか。
「それに、今回は王族もいらっしゃるのだもの……!」
なんとしてでも、あの女との差を見せ付け、高貴なる方々の目にとまるようにしなければ。
フローレンスは自分の輝かしい未来に思いを馳せ、うっとりと笑みを浮かべた。
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ゾラ夫人とフローレンス。誰よりもアルバの女性でした(頭脳系肉食獣)
果たして、差を見せ付けられるのはどちらでしょうか?
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