第132話 まって!行かないで!

「よーし!んじゃ城の鍛錬場いくぞー!」


グラント父様の掛け声で、皆が一斉に私に背を向ける。


えっ!?唐突!待って!待って下さいグラント父様!陛下方!オリヴァー兄様、クライヴ兄様、セドリック!それにアシュル殿下方!


――制止の声を出す前に、身体の方が先に動いた。…そしてあろう事か、ベッドから落ちた。


そうだよね。考えてみたら私、二週間寝倒していたんだから、身体がまともに動く筈無かったんだよ。

気ばっかり焦ってしまった。馬鹿だな私。


それでも、長年の修行の成果か、ぎこちなくも咄嗟に受け身を取る事に成功した私は、転落の衝撃をあまり受けず、床にコロリンと転がった。


「あぅっ!」


…うん、でもやっぱりちょっと、地味に衝撃きた。床に毛足の長いラグ敷いてあって、本当に良かった。


「お、お嬢様ーッッ!!」


ウィルの悲鳴混じりの叫び声に、出て行こうとしていた面々が一斉に振り返った。そして、ベッドから転げ落ちている私を見た瞬間、真っ青になって目を見開く。


「エレノア!!」


「エレノア嬢!!」


皆が慌てふためく中、私の元に真っ先に駆け付けたのは、やはりというかオリヴァー兄様だった。


「エレノア!何でベッドから…!大丈夫?怪我は…」


そう言って、私のすぐ傍に来たオリヴァー兄様の足…というか、ほぼ太もも付近に、私は気力体力を総動員し、ガッチリと取りすがるように抱き着いた。


「えっ!?エ、エレ…」


「やめて下さい!行かないで兄様!!私、兄様が傷付くのなんて望んでいない!!クライヴ兄様もセドリックも、リアムもアシュル殿下もディラン殿下もフィンレー殿下も…!けじめを取るって…何でそんな事しようとするの!?わたし…わたし、みんなにそんな事して欲しくて戦った訳じゃないのに…!!」


そこまで言って、私はこみ上げてくる感情のまま、わぁぁぁん!と号泣してしまった。


皆の困惑したような、焦った様な空気を感じる。


ベッドから転げ落ちたり、人前で大泣きしたり。これって淑女としてあるまじき行為なんだろう。だけどそんな事どうだっていい。


「エ、エレノア…。あ、あの…ね、離し…」


「いやー!!」


オリヴァー兄様の、珍しく焦った声。


私は兄様に振り解かれないよう、足に巻き付けた腕に更に力を込めた。もはや、気分はコアラの子供かセミである。


…あれ?セミは簡単に捕まえられちゃうか。んじゃ、子猿に変更。とにかく絶対、この腕は離さない!


――あっ!オリヴァー兄様の足が僅かに左右に振られた!ふ、振り解こうって言うんですか?!そうは問屋が卸しませんよ!?


私は更にぎゅむぎゅむと兄様の足に身体を押し付けるように抱き着いた。


思い出すのは金色夜叉の寛一・お宮。…そう、某リゾート観光地に設置されているあの有名な像である。


徹底されたレディーファースターなアルバの男性が、あんな風に女性を足蹴になんて絶対にしないと分かってはいるが、万が一という事もある。この腕、決して離してなるものか!


…あれ?何かオリヴァー兄様の足がプルプル震え出した…?


「エレノアちゃん…!貴女って子は、そこまでしてこの子達の事を…!」


感極まった様子の聖女様の声が聞こえてくる。

そして更に、聖女様の言葉が続いた。


「アイゼイア、デーヴィス、フェリクス、レナルド…。そして、オルセン将軍にクロス魔導師団長。貴方達、良いの?このまま息子達を痛めつけたら…エレノアちゃんに嫌われちゃうわよ?」


「えっ!?」


「うっ!」


「いや…あのっ!」


「そ、そんな…!」


「エ…エレノア?…え~と、マジ…?」


「エレノア、そ…そんな事…ないよね?」


聖女様のお言葉脅しに明らかに狼狽えている国王陛下方や父様方の声が耳に聞こえてくる。…聖女様、私の言葉に乗っかりましたね?


私はしゃくり上げながらも、聖女様の言葉援護射撃を肯定するように頷いた。


「…はい…。大きらいになります…」


「「「「「「――ッ!!」」」」」」


あ、なんか部屋の温度が一気に降下した気がする。


「……にいさまがたや…セドリックやでんか方も…きらいになります…からっ!」


あっ!部屋の温度が更に氷点下に!「そんな…!」とか「嘘だろ…!?」とかいう悲壮な声も聞こえてくるけど、知るもんか!


「…エレノア、…分かった。降参だ。僕もクライヴもセドリックも…君の望む通りにする…よ」


「うん、僕らも右に同じく。まさか君がこんなに悲しむなんて、思ってもいなかったんだ。…御免ね」


オリヴァー兄様のふり絞るような言葉に続き、アシュル殿下の困ったような声も聞こえてきて、私はしがみ付いていたオリヴァー兄様の足からおずおずと顔を上げた。


「…ほんとう…?」


「――…ッ!……ああ…本当だ。…エレノア…君を…悲しませる事は、絶対に…しない…!」


見上げたオリヴァー兄様の顔は…あれ?何故か真っ赤になっている。口元も手で覆っちゃって…しかも全身ブルブル震えているよ。何故に?


「だ…だから…。そろそろ身体、離して…」と、なんか小さく聞こえてきた気がするが、私は確認の意味を込めて、クライヴ兄様やセドリック、そしてアシュル殿下方の方に、涙目なままの顔を向けた。


「――ッ!」


「う…っ!」


すると、何故か皆一斉に息を飲んだかと思うと、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げていく。


「本当に…けじめ…止める…?」


私の言葉に、その場の全員が真っ赤な顔のまま、コクコクコクと勢いよく頷いた。


「よ…よかったぁ…!」


そこでやっと私は安心し、へにゃりと笑った。


すると何故か、クライヴ兄様とセドリック、そしてアシュル殿下やディラン殿下、フィンレー殿下にリアムまでもが、バタバタバタッと床に崩れ落ち、膝を着いてしまったのだ。


「…っく…!久々だから…モロにきた…!」


「ク、クライヴ兄上…!あれがグラント様をも陥落せしめた『英雄殺し』…なのですね!?」


「『英雄殺し』…!?…た、確かに…ときめき過ぎて…死ぬかと思った…!」


「エル…!あの凶悪な潤んだ上目使い…。三年前と比べて、威力が半端ねぇ…!!し、しかも…涙に潤んだ心配顔なんて…!ちくしょう!どんなご褒美だこれ…?!」


「はぁ…。涙に濡れてキラキラしている蜂蜜色の瞳…!極上の飴玉みたいだ。薔薇色の頬を濡らす涙と一緒に舐めたら美味しそう…!」


「フィン兄上…相変わらず発想ヤバイ!…うう…で、でも、今はちょっとだけ気持ちが分かる…!…くそっ!幸せ過ぎて胸が…!ヒューや父上にしごかれた時より…甘辛あまつらい…!」


「え?あれ?…あ、あの…?」


顔を覆ったり、口元を隠して震えたり、胸を抑えていたりしながら、何やらブツブツ呟いたり…と、眼前に広がる異様な光景に、私はオリヴァー兄様に抱き着いたままの状態でオロオロしてしまう。


しかも彼らの後方では、国王陛下や王弟殿下方も、口元を抑えて俯き震えている。あっ!グラント父様とメル父様も一緒に俯いている。何故に?


「…お嬢様、そろそろオリヴァー様を解放して差し上げて下さい」


そう言ってジョゼフがやんわりと、オリヴァー兄様にしがみ付いていた私の身体をペリッと引き離した。


「あっ!」


すると、私が離れた途端、オリヴァー兄様が力尽きた様に膝から崩れ落ち、ウィルがいつもしている様に、床に蹲ってしまった。その顔は真っ赤で、心なし呼吸まで荒い。


「オ…オリヴァー兄様!?」


いつもとは明らかに違うその様子に、私は慌ててオリヴァー兄様の元に行こうとした。

だが、何故かジョゼフがやんわりと止める。


「お嬢様、行ってはなりません」


「で、でもジョゼフ!オリヴァー兄様が!」


「あれはまぁ…。男としての名誉の負傷と申しますか…。ともかく、お嬢様が行かれたら、何時まで経っても鎮まりません。今はそっとしておいて差し上げて下さい。…大丈夫、いずれ鎮火されますから」


「名誉の負傷…?鎮火?」


――はて?何を鎮火すると?…あれ?先程まで床に崩れ落ちていたクライヴ兄様とセドリックが、憐れみのこもった眼差しをオリヴァー兄様に向けている。


あれ?しかも殿下方、何故かオリヴァー兄様をジト目で睨み付けていますけど…何で?


「…オリヴァー…。君って割とむっつりだったんだね…」


「あんだけギュウギュウ胸押し付けられて、クソ羨ましい…。おい、後でサイズ教えろよ?」


「正直、いつまで堪能してんだよこの変態!…って思っていたけど…。君も普通の男だったって事だね。てっきり困ったフリして悦に浸っているのかとばかり…」


「えっ!?そんな下心があったのか!それをあんなにも自然な動作で隠すなんて…。オリヴァー・クロス、やはり筆頭婚約者の名は伊達ではないな!」


「殿下方!!さっきから黙って聞いていれば、人の事を好き放題…!僕はむっつりではありませんし、サイズは絶対教えません!堪能も…していませんからね!?それとリアム殿下!筆頭婚約者のなんたるかを勘違いなさらないように!僕には下心なんてありませんし、あれは事故です!」


「…でもさ、君の今の状態を見れば…ねぇ?クライヴ」


「ん~…まぁ…。説得力は薄いよな」


「アシュル殿下!それとクライヴ!!君、僕の味方なの!?敵なの!?」


「に、兄様方…殿下方も、落ち着いて下さい!」




「…やれやれ、あいつらすっかり手合わせの事を忘れているな」


ぎゃあわぁと喚き合っている息子達や、それをオロオロしながら宥めているエレノアを見ながら、アイゼイアや王弟達が苦笑する。


「ふふ…。真っ赤になってまぁ…。あのオリヴァーのあんな慌てて焦った様子、滅多に見られませんよ。殿下方やクライヴも、ここぞとばかりに嬉しそうに弄ってますねぇ」


クスクス笑いながら、オリヴァー達を見つめるメルヴィルは、すっかり『父親の』顔をしていた。


「まあ、もう手合わせの事はいいでしょう。もし強行したりすれば、エレノア嬢に嫌われてしまいますからね」


「本当だな!…ああ…。それにしても、大きな瞳をウルウルさせたエレノア嬢…めちゃくちゃ可愛かったなぁ…!あんな可愛い娘にあんな風におねだりなんてされたら、俺が父親だったらどんな事でも叶えてやりたくなるぜ!」


「そーだろそーだろ!うちの娘は超可愛くて、最っ高に良い子だからなー!!この間だって、非常に可愛くて笑えるネタ提供してくれてなぁ!」


「グラント…。お前の娘じゃあるまいし、そのドヤ顔はどうかと思うぞ?というか、その可愛くて笑えるネタ、是非とも聞かせてもらおうじゃないか」


「…あらあら、息子達に続いて父親達もまぁ…」


先程までの緊張感はどこへやら。今は全員がなんだかんだと楽しそうに言い合いをしていたり、語り合ったりしている。(一部、本気でムキになっている者もいるけど)


アイゼイア達もどこかホッとした様子だ。やはり息子達を甚振るのは、心のどこかで気乗りしていなかったのだろう。


そんな彼らの中心にいるのは、あのどこまでも真っすぐで優しい一人の少女。


「ふふ。本当にエレノアちゃんは凄い子だわ。あの頑固者達をあんな風にしてしまって…」


――この国は男性も女性も、ある意味偏った固定観念に縛り付けられている。


男性は女性を大切にするあまり、我が身を削ってでも女性に尽くし、どこまでも甘やかす。


そして、女性は男性の献身を当たり前のように受け取り、その想いを返そうともせず、甘受するばかり。


――でもあの子は違う。


諭すのでも怒るのでもなく、ただただ、相手を思いやるひたむきな優しさで周囲を変えていく…。この世界において、奇跡とも言える女の子。


――…でも彼女が異質なのは多分…。


「…息子達の為…というより、私があの子を欲しくなっちゃったわ!婚約者の子達には申し訳ないけど、私も全力で頑張らせてもらうわね」


クスリ、と笑いながらそう呟くと、アリアはエレノアを愛しそうに見つめた。



=================



エレノア、渾身のしがみ付きで抗議です!

これって、オリヴァー兄様にとって、ラッキースケベ…なんでしょうかね(笑)


こうやって徐々に、エレノアの言動で、アルバの『常識』が是正していっていけばと思います。

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