第109話 波乱の幕開け

あの後、私は医務室に寄る事無く、クライヴ兄様に無理矢理早退させられ、バッシュ公爵家へと帰る事となった。何故か馬車には体操着のままのセドリックが待っていて、私の顏を見るなり心配そうに…そして労わる様にそっと私の身体を抱き締めた。


「エレノア、大丈夫?…背中、痛い?」


「セ、セドリック!?何で知ってるの?!」


「うん、影から聞いた。屋敷に帰ったら治療するから、暫く我慢していてね」


ああ、成程。それでセドリックが馬車で待っていたのか。でも…。


「あの…多分私の背中、痣になってる程度だから、医務の先生にすぐ治してもらえたんじゃ…」


「「他の男にお前(エレノア)の身体を見せたくない!」」


――あ、婚約者の独占欲ですか。そうですか。そういやうちの学校の治療師ヒーラー、まだ若い先生だったな。…うん、先生の無事の為にも、大人しく帰った方が良さそうだ。


「それに…。あのまま学院に残っていたら、不味い事になるかもしれないからな」


「不味い事?また王女方が絡んで来るとか、そういう事でしょうか?」


「それもあるかもしれねぇが、それ以上にヤバイ奴らが来る恐れがある」


――はい?アレ以上にヤバイ奴らって、誰の事なんでしょうか?


「兄上…。そう言えばリアムも王家の影が迎えに来ておりました」


「チッ!やっぱりそうか」


「え?リアム?…あの…?」


戸惑うエレノアだったが、クライヴもセドリックもそれ以上は何を言わない。

馬車の中が、ピリピリとした空気に包まれる中、馬車がバッシュ公爵邸へと到着した。


歩けると言うのに、それを却下したクライヴ兄様に横抱きにされたまま馬車を降りる。


実は馬車の中でも、振動が傷に悪いと、セドリックの膝の上にずっと座らされていたのである。本当に大丈夫だからと言っても、二人とも聞く耳を持ってくれなかった。本当に過保護だなぁと思うけど、心配をかけた手前、大人しくされるがままでいました。


「エレノアお嬢様、クライヴ様、セドリック様、お帰りなさいませ」


馬車から降りると、何時もの通りジョゼフを筆頭に、バッシュ公爵家に仕えている召使達が勢揃いで私達を出迎えてくれる。…が…あれ?何かいつもよりも人数多くないですかね?それとなんか…ジョゼフの顏が、いつもの五割り増し程厳格に…。ってかぶっちゃけ、怒っていませんか?


「あ、あの…。ただいま帰りました」


戸惑いながら挨拶をする。そんな私に歩み寄ったジョゼフは、怒りの表情を心配顔に替え、私の頬にそっと手を当てた。


「お嬢様…ああ…なんておいたわしい…!お背中は?酷く痛みますか?」


――おいー!!何でジョゼフ、私の怪我の事知ってんの!?


ひょっとして、影が超特急で知らせたとか!?あ、よく見てみたら、ウィルを筆頭に、控えている召使達の顏がめっちゃ能面!ああっ!彼らの背後にどす黒いオーラが!!怒ってる…。怒ってますよ!


――はっ!ひ、ひょっとして…父様方も私が蹴られた事、知ってる…とか?ヤバイ!こんなん知られたら大変な事になる!たかが痣一つで最終決戦アルマゲドンが引き起こされてしまったら、死んでお詫びしても足りない!


「お嬢様、ご安心下さい。旦那様方にはお知らせしておりません。今帰って来られたら、各方面に多大なるご迷惑がかかりますので」


おおぅ、流石は有能執事!抜かりはないね。ってか、私の表情見て何言いたいか読み取らないで下さい。有能過ぎて恐いです。え?何考えているのか手に取るように分かるだけ?…そうですか。


「ジョゼフ。オリヴァーにも、エレノアの怪我の事は知らせてないな?」


「はい。勿論で御座います。オリヴァー様にはお帰りになられてからご説明致します所存」


…うん。ここら辺もよく分かっているよね。寧ろ父様方より、オリヴァー兄様の方が要注意人物だからな。もし学院内でそれ知ったら、間違いなくロジェ王女を燃やしに行きそうだもん。そんな事になっちゃったら、外交問題なんてレベルじゃないですよ!


――にしても、何でオリヴァー兄様、私達と一緒に帰らなかったんだろう?


「オリヴァーの奴は野暮用があったんだ。心配しなくても、じきに帰ってくる。それよりも一刻も早く、お前の背中を治療するぞ!」


そう言うと、クライヴ兄様は私を抱く手に力を込めた。


…御免なさい兄様。いつもいつも心配かけて。セドリックもジョゼフもウィルもみんなにも…。


「ごめんなさい…」


謝罪しながらクライヴ兄様の胸に顔を寄せると、クライヴ兄様は私の頬に優しく口付けを落とし、屋敷へと歩き出した。





「エレノア!!」


セドリックに背中の痣を治療してもらってから暫くして、血相を変えたオリヴァー兄様が私の部屋へと駆け込んで来た。


自分では見れなかったけど、セドリックが私の背中を見た瞬間息を飲んでいたから、思った以上に痣は広範囲に及んでいたようだ。私が咄嗟に受け身を取らなかったら、背中だけじゃなくて色々な所も怪我をしていただろうって、クライヴ兄様が言っていたけど…。

治療中、その場に居たセドリックだけでなく、クライヴ兄様やジョゼフの怒りのオーラが半端なくて、思わず身体が震えてしまいましたよ。


セドリックには「大丈夫!?ひょっとして別の所も痛むんじゃ!?」って心配されたけど、そうじゃなくて貴方がたの怒りの波動が恐いんです!


「エレノア…ああ…なんて可哀想に…!痛みは?気分は悪くない?」


心配そうな様子で、(無理矢理)ベッドに寝かされている私の顏を覗き込むオリヴァー兄様。罪悪感と申し訳なさに、私は慌ててベッドから飛び起きると、ペコリと頭を下げた。


「大丈夫です!セドリックにちゃんと治してもらいました。…あの…。すぐにクライヴ兄様呼ばなくて…御免なさい!」


「…うん…。その事は、後でたっぷりお説教するからいいよ…」


ひぃっ!オリヴァー兄様の声が滅茶苦茶低くなった!!黒い波動もビシバシ感じる。こ…恐い…!恐くて顔が上げられない!


「はぁ…。それにしても、まさか最終通告に行った時に、エレノアに手を出されるとは思ってもみなかった。全くもって、あの連中はどうしようもない」


呆れたような口調に、恐る恐る顔を上げると、オリヴァー兄様が額に手を当て、溜息をついていた。

そう言えばオリヴァー兄様、ここ最近はよく王城に行かれているよね。学院を休んでいたりする事もしばしばだし、帰ってくるのも深夜過ぎだ。…疲れているんだよね。


「オリヴァー兄様。お疲れのところを、私のせいでご心労おかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」


そう言って、オリヴァー兄様の首に腕を回して抱き着くと、オリヴァー兄様の纏う空気が穏やかで心地の良いものへと変わった。


兄様…。いつも思うのですが、私に対して甘々過ぎではないですかね?抱き付いただけでこの喜びよう…。妹は兄様のチョロさが心配です。


「エレノア…。それじゃあ少しだけ、君に癒してもらおうかな?」


そう言うと、兄様は優しく私を抱き締めた。その声色の甘さに、私は内心ギクリとする。


――あ…不味い。これ、ヤバいやつだ…。


身構える間も無く額に、頬に、キスの雨を降らせた後、兄様は真っ赤になった私の唇へと吸い付いた。


「ん…」


のっけからディープなキスを繰り返される。それに必死に応えつつ、教え込まれた通り、入ってくる舌に、おずおずと自分の舌を絡ませると、口付けがより一層深く濃厚になっていって、不覚にも胸の奥が熱くなってしまう。


くそぅ…兄様、流石です!男子の嗜み以外でイタした事ないのに、めっちゃテクニシャンですよね!


「…っは…」


オリヴァー兄様が満足したのか、漸く唇を離され、私は思わず小さな吐息を漏らした。――と、そんな私の顏を見ながら、オリヴァー兄様が固まっているのに気が付く。


「オリヴァー兄様?」


コテンと首を傾げながら名を呼ぶと、オリヴァー兄様は慌てて立ち上がり、ベッドから離れた場所で控えていたクライヴ兄様やセドリックの元へと行ってしまった。


「…大丈夫か、オリヴァー」


何かを耐えるように、深く溜息をついたオリヴァーに、少しジト目のクライヴが声をかける。


「…御免。エレノア不足だったものだから…つい調子に乗った。でも、あの潤んだ上目遣いは反則だろう!?」


「ああ、あれは凶悪だよな…。じゃなくて!エレノア不足の時にがっつくからこうなるんだよ!ったく…」


「オリヴァー兄上が正気に戻って下さって助かりました。エレノアの貞操を守る為とはいえ、オリヴァー兄上を攻撃するのは忍びなかったですからね」


「…うん、そうか…。攻撃ね…。セドリック、お前も立派な婚約者となったな…」


「はいっ!有難う御座います!」


…兄様方とセドリック、何をコソコソ話しているんだろうか?しかもオリヴァー兄様、何かめっちゃ微妙な顔しているんだけど。


こちらを不思議そうに見ているエレノアの視線に気が付いたクライヴが、更に声を顰めた。


「…オリヴァー。話は聞いていると思うが…」


その瞬間、オリヴァーの顏がいつもの冷静なそれへと戻った。


「ああ。ディラン殿下が学院にいらしたんだったね。で?気が付かれたのかな?」


「いや。薄々何かを察しておられた様子だったが、かろうじて気が付かれなかった。…だが、『あいつ』には、間違いなく気付かれた筈だ」


「…ヒューバード・クラインだね。フィンレー殿下の来訪といい、彼が関わっているとは思っていたけど…。流石は王家直轄の『影』を取り仕切る総帥だね。彼はディラン殿下と共にエレノアと直接接している。多分だが、エレノアを観察していて、あの時の少女がエレノアではないかと疑ったのだろう。…まあ、いつかは知られる事だったが…。ちょっと早すぎるな」


「幸いと言うのも妙だが、今は時期が悪いからな。知ったとして、あちらもすぐには行動出来ないだろう。…が…。どうする?エレノアの奴、暫く学院を休ませるか?」


「その方が良いだろうね。殿下方の事がなくとも、今回の騒動もあるし、レナーニャ王女にも引導を渡したから、あちらも何をしてくるか分からない。事が片付くまでは、エレノアは学院を休ませる事にしよう」


「僕もそれに賛成です。…オリヴァー兄上、クライヴ兄上。リアムとも話したのですが…。ヴェイン王子の事なのですが…」


「ヴェイン王子?」


「…失礼致します。オリヴァー様、宜しいでしょうか?」


その時だった。ドアがノックされ、固い表情のジョゼフが部屋の中に入ってくる。その手には、何かを乗せた銀のお盆を持っている。


「ジョゼフ?どうしたの?」


ひょっとして、自分にお茶を持って来てくれたのかと思ったのだが、お盆に乗っかっている『何か』を見て顔色を変えた兄様方からして、どうやら違うようだ。


「エレノア、ちょっと用事が出来た。君はこのまま大人しく休んでいなさい」


「え?オリヴァー兄様?」


それだけを言うと、兄様方とセドリックはジョゼフと共に、慌ただしく部屋を出て行ってしまった。


「…何なんだろう…?」


そんな皆の行動に首を傾げる私の傍に、入れ替わるようにウィルが紅茶を持って来てくれた。


「さあ、エレノアお嬢様。お好きなアプリコットティーですよ。これをお飲みになって、もうお休みください」


ニッコリと、いつもの優しい笑顔を浮かべるウィル。だけど何となく、その頬が強張っているように見えて…。突然、私の胸に嫌な予感がせり上がってくるのを感じた。


「エレノアお嬢様!?」


私はベッドから飛び起きると、慌てるウィルに構わず、廊下に飛び出し兄様方を追い掛けた。…なんだろう…。嫌な予感がどんどん湧き上がって来て、胸がざわめく。


「兄様!ジョゼフ!」


私の声に驚き、足を止めたジョゼフに、勢い余って思いきり体当たりする。バランスを崩したジョゼフの持ったお盆が傾げ、乗っていた『何か』が床に広がった。


「――ッ!?」


床一面に広がったもの。それは明らかに人の髪の毛だった。しかも髪の毛の色は一つではない。様々な色が混ざっている。つまりは複数の人間の髪の毛…という事だ。


私は驚愕に目を見開き、呆然とソレを見つめたのだった。



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エレノア、オリヴァー兄様への余計なツッコミ炸裂です(口に出してたらお仕置きですねv)

そしてついに、あちら側にバレた予感…。なのに、それについて対策を練る前に、突如として火サスが降臨しました。カオスです。

次回はエレノアブチ切れの回です。

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