第108話 最終警告

――王族や王族に準ずる者のみが使用を許されるとされている、豪華な貴賓室。


学院内という事もあり、華美過ぎない装飾が施されているものの、そこに置かれている調度品一つ取っても、一目で値の張るものであるという事が分かる。


我がシャニヴァ王国の更なる栄華と繁栄の足掛かりとして選んだこの国は、人族の中でも一際繁栄しているようだ。歴史も古く、国民性も穏やかで、ここ数百年、戦らしい戦をした事がないとの事であった。


――平和ボケをした、富める国。しかも人族国家の中でも女の数が最も多く、男達もみな、目を見張る程美しい者達が多い。…まさに隷属させるのにうってつけの国だ。


「よう参ったの。オリヴァー・クロス。妾は非常に嬉しく思うぞ」


鈴の鳴るような声に、思考を停止し我に返る。


この貴賓室の中心にある、豪華な革張りのソファーにて寛がれているのは、我が国の至宝とも呼ぶべき、シャニヴァ王国が誇る美妃である、第一王女レナーニャ殿下。俺が生涯愛し、忠誠を誓った尊き御方だ。


その殿下の美しい黄金色の瞳は、忌々しい事に、狂おしい程の恋情を帯び、真っすぐと目の前に座っている人族の男へと向けられていた。


ギリ…と、奥歯を強く噛み締め、レナーニャ殿下と対峙している男を射殺さんばかりに睨み付ける。あまりに強く噛み締めた所為か、口腔内に錆びた味が広がった。


――オリヴァー・クロス。


艶やかな光を含んだ黒曜石のような髪と瞳を持ち、男である自分でさえも一瞬釘付けになった程の美貌を持つ男。優雅な身のこなしと穏やかな口調は、その美しさに更なる彩を添えている。


有力貴族の一つであるクロス伯爵家の長男であり、あの何かと目障りな醜女の筆頭婚約者。異常なまでに男の容姿が美しいこの国においても、群を抜いているその美しさと存在感は、『貴族の中の貴族』と称されているらしい。…そんな男が、我が愛するレナーニャ殿下の『運命の番』


『こんな…人族の男などが、レナーニャ様の番なんて…!』


いくら美しく、気品に満ち溢れているとは言え、魔力もさほどなく、見るからに弱弱しい貧相な体躯の優男。しかも自分達亜人種よりも遥かに劣る、劣等種族の筆頭である人族だ。

なのに『運命の番』であるというだけで、レナーニャ殿下のお心を一瞬で奪い去った。嬲り殺しにしてやっても飽き足らない程の憎しみが、胸中でとぐろを巻いている。


『レナーニャ様…!』


シャニヴァ王国の軍事をその手に司る、虎の獣人である大将軍の息子として生を受け、後継者として初めてお姿を拝したその瞬間から、自分の心はこのお方に捕らわれたままだ。


お傍付きとなり、筆頭の愛人として傍に侍る事が、どれ程自分を幸福感で満たしていた事か…。


なのに今、レナーニャ様のお心は、この目の前に座る優男に全て奪われてしまった。


この男に恋い焦がれるレナーニャ様のお姿は息を飲む程に美しく、だがそんなレナーニャ様に対し、恐れ多くもすげない態度を取り続けるこの男を、何度縊り殺してやろうかと思ったか知れない。…いや、実際手の者を放った事もあったが、運の良い事に、この男は未だ五体満足で過ごしている。


レナーニャ様のご寵愛を受けるだけでも許しがたいのに、あんな醜女の婚約者である事を盾にその想いを受けないなど、万死に値する行為だ。


『そもそも人族などが、誇り高き獣人の番である訳がない。いずれレナーニャ様の目も醒めよう。その時は…この身の程知らずにたっぷりと地獄を見せてやる…!』


この国を手中に収め、全ての人族を隷属させた後、この男には最も酷い屈辱的な地獄を見せてやるのだ。鎖に繋ぎ、その女よりも美しい顔と身体を汚辱と屈辱に塗れさせてやる。決して一思いには死なせない。


「…ガイン殿。何か私の顏についていますか?」


唐突にオリヴァー・クロスが声をかけてきて、思わず動揺してしまった。その表情は穏やかで、薄く微笑んでさえいるようで…。だが、何か得体の知れない嫌な感じを受け、俺は増々顔を顰めさせた。


「ガイン。何をしておるのだ。もう少し奥に控えていよ!」


レナーニャ様が不機嫌そうな声で、自分に指示を与える。まるで自分の番が自分以外の者を気にかけるのが気に入らないとでも言わんばかりのその態度に、胸中のどす黒いうねりが酷くなった。だが、想い人の言葉に大人しく従い、後方へと控え直した。





◇◇◇◇





「さて、オリヴァー・クロス。妾の誘いに応じてくれたという事は、妾の想いにようやっと応えてくれるという事であろう?ここには妾達しかおらぬゆえ、そなたの心の内を存分に明かすがよい」


「………」


ねっとりと、絡み付く様な不快な声音と視線に、気が付かれないように小さく溜息をつく。


念入りに磨き込まれた美貌。絹糸のごときサラリと伸びる白金の髪。男の欲をこれでもかと煽る、豊満な肢体。…成程。こうしてじっくり観察すれば、獣人の男達が心酔する様子も、自身の美貌に絶大な自信を持つのも納得してしまう。確かに、絶世の美女と呼んで遜色のない女性だ。


だが自分にとって、目の前の女性は「美しいがそれだけしか取り柄の無い女性」…としか思う事が出来ない。


『エレノア…』


その名を心の中で口ずさむだけで、胸の奥が甘やかに疼く。


脳裏に浮かぶのは、心の底から愛する愛しい少女の姿。

初めて出逢った時から心奪われ、今日に至るまで囚われ続けている、唯一無二と定めた最愛の人。


キラキラ輝く、インペリアルトパーズのような極上の瞳に見つめられ、桜色の唇が自分の名を呼ぶだけで、胸が張り裂けそうな程に愛しい気持ちが湧き上がってくる。


今、エレノアは何をしているのだろうか。こんな人工的な甘ったるい香りではなく、あの小さく柔らかい身体を思い切り抱き締め、エレノア自身が纏う、甘く優しい香りに包まれたい。


愛を囁くたび、愛しさを込めて触れるたび、真っ赤に染まった顔で恥じらいながら笑いかけてくれる、あの愛らしい顔が見たい…。


「…レナーニャ王女殿下。ええ、このままズルズルと先延ばしにしていても、お互いにとって益がないと判断致しました。ゆえに、この場をお借りして、私の本心をご説明したいと思っております」


期待に顔を紅潮させるレナーニャの顏を真っすぐに見つめ、オリヴァーはゆっくりと口を開いた。


「貴女は私を『番』だと仰る」


「――ッ!そうじゃ!そなたは妾の唯一無二…!愛おしい運命の番なのじゃ!」


「そうですか。…ですが私は貴女を愛しいと思った事など、ただの一度もありません」


レナーニャの顏から、一瞬で笑みが消えた。


「そも、『番』という概念自体、我ら人族には感知できないもの。それは以前もお伝えしましたね。そして私にとって命よりも大切な女性は、妹であり、婚約者でもあるエレノアただ一人であるという事も。…ですが貴女は私の申し上げた事をまるで理解されておられず、未だに私に『番』としての恋情を押し付けてくる。…迷惑なのですよ。とてもね」


表情も口調も、変わらず穏やか。だがその言葉はどこまでも冷たく、レナーニャを容赦なく抉っていく。


「そ…そなたは…。それほどまでに、この国の男としての矜持に捕らわれているのか…!?」


青褪め、震え声で言われた言葉に、オリヴァーの眉がピクリと上がる。


「矜持?…やれやれ。貴女は未だに、私がエレノアの筆頭婚約者だから彼女を裏切れないのだと、本気で思われているのですか?」


「そうじゃ!それ以外で、そなたがあの女を選ぶ理由などないではないか!?」


ここにきて、オリヴァーの顏から一切の表情が抜け落ちる。


「以前から思っておりましたが…。貴女のその自信はどこからやって来るのでしょうか?レナーニャ王女殿下。確かに貴女は美しい。第一王女でその上力も備わっている。だから私も貴女を愛する筈だと?…ふふ…。獣人とは、どこまでおめでたい種族なのでしょうかね」


オリヴァーは冷笑を浮かべる。…だが、その瞳は少しも笑ってはいなかった。


「オ…リ…」


「貴女がた獣人達の価値観を勝手に当て嵌めないで頂きたい。私にとりまして、貴女は自分の力と容姿に奢り、他人を平気で見下し傷付ける事の出来る最低最悪な女性としか映りません。全くもって、私のエレノアとは比べるべくもない」


「お、おのれ貴様!黙って聞いていれば…!レナーニャ様に対し、なんという無礼な!!」


容赦のない言葉の数々に、レナーニャの背後に控えていた虎の獣人と狼の獣人が牙を剥きながら抜刀する。


「ほぉ…。この王立学院で、血の粛清を決行されると?良いですよ。どうぞお好きになさるがいい。勿論、私も全力で抵抗させて頂きますがね。ですが万が一、この場で私を殺したら、全てが・・・終わりますが…。それでも実行されますか?」


『――くっ!な、何なんだ!?この男の余裕の態度は!』


抜刀し、今にも襲い掛かられそうな状況において、オリヴァーは少しも乱れる事無く、真っすぐにレナーニャやガイン達側近を見据える。


ビリビリと、空気が震える程の殺気を浴びせ掛けられていると言うのにまるで動じず、それどころか優雅に寛ぎ、微笑みすら浮かべるその姿は、限りなく異質で不気味なものに映った。


「私が言いたかった事は以上です。レナーニャ王女殿下。私にもエレノアにも今後一切、お近付きになりませんよう…」


「ま、待って!オリヴァー・クロ…」


席を立ったオリヴァーを見て、慌ててソファーから立ち上がり、取りすがろうとするレナーニャを、オリヴァーは冷たく一瞥する。


「レナーニャ王女殿下。私の愛しいエレノアに、今後少しでも手を出そうとしたならば、私はそれが誰であろうが一切の容赦をしない。その事を、ゆめお忘れなきよう。…これは最終警告です」


そう言い放つと、オリヴァーは優雅な所作でレナーニャに一礼した後、貴賓室から出て行ってしまった。


「あぁ…!」


その場に崩れ落ちたレナーニャに、ガイン達が慌てて駆け寄る。


「な…何故…。何故じゃ!?番なのに…。妾はこんなにもそなたを愛していると言うのに…。そなたは妾を愛していない…と?そんな事…そんな事、認められぬ!…あの…小娘…!そうじゃ!あの女…あの女が私の番に、あのような戯言を言わせておるのだ!そうに決まっておる!!」


『番』という、獣人達にとって絶対的な絆に縋り、無理矢理そう結論付けたレナーニャの金色の瞳が怪しく輝く。獣そのもののように瞳孔をぎらつかせたその表情には、エレノアに対する抑えきれない憎しみに満ち溢れていた。


「隷属させた暁には、殺すのではなく、ヴェインに下賜してやろうかと思うていたが…。この手で嬲り殺してやらなくては気が済まぬ!妾の番を使い、妾にこのような恥辱を与えた罪…その命で償ってもらおうぞ!貴様を殺し、我が番を解放する!覚悟するがよいわ!」


紅い唇を歪め、エレノアへの呪詛を呟くレナーニャの狂気に満ちたその姿に、ガイン達は息を飲み、見守る事しか出来なかった。



==================



あちらとこちら、想う女性は違えども、抱く想いは同じな模様。

外面的な魅力でしか相手を測れない肉食獣人達にとって、

オリヴァーがエレノアを愛する気持ちは分からないのでしょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る