第107話 有り得ない疑惑
「…エレノア、遅いな」
「本当だね。どうしちゃったんだろ?」
リアムとセドリックは、互いに剣を使っての軽い打ち合いを終え、何時まで経っても演習場に現れないエレノアに首を傾げていた。
「まあ、クライヴ兄上が付いているから大丈夫だと思うけどね」
「だが、エレノアが着替えに向かったのは
「そうなんだよね。まあ、クライヴ兄上がいなくても『影』が付いているし」
セドリックの言葉に、リアムも「それはそうか」と心の中で納得する。エレノアには密かに、王家直轄の『影』も付いているのだ。しかも、『あの男』が直々に。だからよっぽどの事が無い限り、エレノアの身に滅多なことは起こるまい。
「…むしろ問題は、エレノアとお前の兄が、
冗談のように言いながら笑うリアムにつられて、セドリックも笑顔を浮かべた。
「あはは!まさか、そんな…こと…」
冗談のつもりで言った筈なのに、何となく互いに無言になってしまった。
…いや、落ち着け。大体エレノアは初潮を迎えたものの、まだ成人を迎えていない。いくら婚約者であろうと、未成年者に手を出すなどという男の風上にも置けない行為を、あのクライヴがする筈が無いではないか。
…だが女性の方から誘ったり、誘いを承諾したとしたら話は別だ。エレノアはなんだかんだ言って、クライヴに一番気を許して甘えてる。もしクライヴが強く望んで迫ったとしたら、兄大好きなエレノアはどう出るか…。
「…いや、大丈夫…だと思うよ?もしそんな事したらクライヴ兄上、オリヴァー兄上に殺されちゃうだろうし」
「…そうだよな。あのオリヴァー・クロスに黙って抜け駆けする程、クライヴ・オルセンも命知らずじゃないよな」
そう。一番エレノアを溺愛し、執着しているあの筆頭婚約者がいる限り、クライヴであろうが、どっかの不届き者であろうが、エレノアの身にそういう危機が訪れる事はまず無いだろう。惜しむらくはその鉄壁の防御力が自分に対しても向けられているという事であるが。
「…まあ、なんにせよ、この状況だから寧ろ、エレノアがここに来なくて正解だけど」
セドリックの言葉に、リアムは演習場の中央をチラリと見やった。
そこには何故か、ヴェイン王子とその取り巻き達が、クラスメイト達を相手に、剣を振るったり、格闘技の技を仕掛けたりしていたのだ。
本来であれば、別のクラスの生徒が実技の授業に乱入するなど有り得ないのだが、同学年であろうが別学年のクラスであろうが、こうして実技授業を行っていると、彼らはこのように奇襲をかけてくるのである。そしてまるで己の力を誇示するように暴れまわっていくのだ。
今迄は王族であるリアムのいるこのクラスには、騒動を起こした結果の懲罰を恐れてか、乱入して来なかったのだが…。
勿論、クラスメイト達も必死に応戦しているが、かなり劣勢で怪我人も出始めているようだ。
魔力を使えない…という事ももちろんあるが、そこは流石は獣人と言うべきか、身体能力の高さ…特に反射速度が半端ないのだ。
今現在も、ヴェインが対峙しているクラスメイトの模擬刀を叩き落とした後、目にも止まらぬスピードで複数個所打ち込んで叩きのめしている。他の取り巻き達も、大なり小なり、同じ様にクラスメイト達を次々と倒していっていた。
だが、一発入れて終わりにすればいいものの、相手が戦意喪失しているにも関わらず、まるで自分の力を誇示する様に、執拗に甚振るその様は、見ていて気分の良いものではない。
講師であるマロウも、一応「これも修行」と割り切り、ギリギリになるまで彼らの暴挙を止めはしないが、内心快くは思っていないようだ。それを証拠に、いつもの飄々とした表情が抜け落ち、無表情になっている。
眉を顰めてその様子を伺っていると、ヴェインがこちらに気が付き、挑発するような笑みを浮かべながらやって来た。
「弱い奴らを嬲るのも飽きた。なあ、お前らだったら、もっと俺達を楽しませてもらえるんだろう?」
何時もの挑発めいた口調に、リアムは溜息をついた。ここで断っても、また何かしら絡んで来るに違いない。それに、これ以上クラスメイト達に怪我を負わせるわけにはいかない。
「…分かった。相手をしてやろう」
そう言って剣を構えた次の瞬間、ヴェインが一瞬で間合いに入り込んで来る。
寸での所で模擬刀をかわし、逆に下から自分の模擬刀を振り上げると、ヴェインはそれを驚くべき柔軟性でもっで軽くかわした。
『…魔力無しでこの強さ…か。伊達に皇太子を名乗ってはいないな』
チラリとセドリックを盗み見ると、彼もヴェインの取り巻き達に絡まれていた。
だが、困ったような表情を浮かべたセドリックを侮り、先に仕掛けた狐の獣人が勢いよく宙を飛び、地面に叩き付けられる。
『…馬鹿だろあいつら』
セドリックは
――…しかもあの狐、エレノアを侮辱した奴だからな。セドリックの奴、思った以上に手加減をしていない。未だに立ち上がれない所を見ると、あちこちの骨、イッてんじゃないかな?
「他に気を取られているとは、余裕だな!?」
ヴェインの模擬刀が腕を掠め、服に切れ目が入る。リアムは改めてヴェインの攻撃に集中した。
『それにしてもこいつ…なんで俺やセドリックに執拗に絡みやがるんだ?』
最初、執拗に絡まれていたのはエレノアの方で、それを庇う自分達と衝突する…というのがパターンだったのだが、今現在、気が付けばエレノアよりも寧ろ、自分達の方に絡んで来る事がおおくなっているのだ。
しかも、自分達を睨み付けるその瞳の奥にあるのは、紛れもない『憎悪』
いくら人族が気に入らないとはいえ、何故侮蔑ではなく、憎しみを向けてくるのか理解が出来ない。
当然、エレノア自身に絡む事もあるが、最初のような罵詈雑言は影を潜めている。しかも、よく観察してみれば、何かとエレノアを視線で追っているのが丸わかりだ。
自分の姉の障壁であるエレノアを憎んでいるのかと思いきや、その鋭い瞳に宿るのは、自分達に向ける憎しみや侮蔑といった感情ではない。
…上手くは言えないが、決して負の感情だけではない『何か』があるような気がしてならない。
そもそも、彼が『憎悪』を向けてきたり、絡んできたりするのは、エレノアと親しくしている自分や、婚約者であるセドリックやクライヴ、そしてオリヴァーに対してのみだ。…いや、たまに訪れる兄のアシュルに対しても、憎悪の視線を向けている。
『そこから導き出されるのは…。いや、まさか…な。あんなに人族を見下している奴だぞ?有り得ないだろそれは』
――そう、まさかこの王子が、エレノアと親しくしている者達に対し『嫉妬』しているなんて。だが、そう考えれば一連の不可解な行動に説明がついてしまうのだ。
『…だがもし、本当にそうだとして…。エレノアがこいつを受け入れる事は無いだろうな』
あの優しい少女は、他人に対して理不尽な暴力を振るう輩を一番嫌っている。例えばヴェインが今迄の行動や考え方を真摯に悔い改めれば話は別であろうが、あの徹底した選民意識は、今後も直る事はあるまい。
ましてや、こんな歪んだ形で自分や自分の大切な者達を攻撃していれば、どんどん嫌われていくだけだ。
実際、エレノアは「生ケモミミ!」と、獣人達の耳や尻尾に異常なまでの執着心と愛情を向けているが、ヴェインを始めとした肉食系獣人達の事は嫌っている。だから例えヴェインが「好きなだけ耳と尻尾に触っても良い」と言ったとしても、彼女が心動かされる事は無いだろう。
だが、その所為で、彼の歪んだ執着心が暴走したとしたら…。いや、問題ない。こうして獣人達が良い気になって傍若無人に振舞っている間に、こちらの策は静かに進行しているのだ。あの王女達が、密かに刺客をエレノアに放っている事も知っているが、泳がせる意味もあり、バッシュ公爵家側も軽くいなすだけに留めているようだ。
正直、それを知った時には腸が煮えくり返りそうになったが…。父親や婚約者達が我慢しているのに、自分が爆発する訳にはいかない。
だが、これ以上の行動を起こせば、流石に堪忍袋の緒がぶち切れる自信はある。とにもかくにも、自分の目の行き届く範囲では、エレノアには絶対に手出しをさせない。
『こちらの謀が成就する迄の間…。せいぜい掌の上で踊り狂っていればいい』
…にしてもだ。
エレノアはヴェイン達は嫌っているが、そのお供の草食系獣人達の事は好いている。…というか、寧ろ愛していると言っても過言ではない。
なんせ獣人のメイド達に群がる男子生徒達を羨ましそうに見ていたり、彼女らにフラフラ近付こうとしては、クライヴ・オルセンに首根っこを掴まれて連れ戻されていたりする姿をよく見ているのだ。挙句、エレノア本人からも『ケモミミ』とやらについての熱い思いを語られてもいる。正直俺にはよく分からん感覚ではあるが…。
ある時など、そんなエレノアを見ながら「あのウサギの獣人に向ける情熱の半分でも自分に向けてくれたら…」と、セドリックの奴が愚痴っていたっけ。
確かにエレノアのケモミミに対するあの態度は、まるで恋する乙女そのものだ。あんな熱くウットリとした眼差し、自分の婚約者達にすら向けてないよな。
クライヴ・オルセンもオリヴァー・クロスも、エレノアのそんな様子を凄く面白くなさそうな顔で見ているし。…というか俺も面白くない。熱視線を向けているのが女の子という点だけが救いだけど。
リアムは別の意味での鬱憤と嫉妬を込めて、模擬刀を振るう。
ヴェインと自分の模擬刀がぶつかり合い、火花が散った。
――そして、時を同じくした貴賓室では。
自分の側近を左右に侍らせ、豪華な革張りのソファーに座って優雅に寛ぐ第一王女レナーニャと、それを前にし、同じくソファーに腰かけているオリヴァーの姿があったのだった。
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所変わって、リアムとセドリックです。こちらも獣人に絡まれておりました。そしてオリヴァー兄様もです。絡まれ率半端ないですね!
何気に、ヴェインを相手にアレコレ頭の中で考え事が出来る、余裕なリアムです。
そして、ケモミミに悶えるエレノアに、兄様達が向けていた視線は、「蔑み」ではなく「嫉妬」なのでした。
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