第64話 【閑話】エレノアお嬢様について(ウィル視点)

 「ウィル!今日はこのまま、ベンさんの所に行くね!」


王立学院からバッシュ公爵邸に帰ってすぐ。お出迎えの為に控えていた俺に向かって開口一番、エレノアお嬢様がそう仰られる。


「はい。かしこまりましたお嬢様」


俺は満面の笑みで、エレノアお嬢様に返事を返したのだった。





「わぁ!もう蕾が小さくついてきた!」


エレノアお嬢様のはしゃいだ声に、初老の庭師、ベンさんの顏が綻ぶ。


「ははは。お嬢様が『土』の魔力を注いで、丹精込めてお育てしてますからね。ほら、こちらの方も、そろそろ蕾がつきますよ」


「本当だ!これなら、オリヴァー兄様とクライヴ兄様のお誕生日に間に合いそうね!」


「ええ、ええ。お二人とも、大変お喜びになられましょうね」


ベンさんと楽しそうに話しているエレノアお嬢様の前には、小さめの花壇が作られていて、そこには黒百合と白百合の球根が沢山植えられているのである。


ベンさんの言う通り、エレノアお嬢様が毎日せっせと球根に『土』の魔力を与え、丹精込めてお世話をしているお陰で、百合は尋常ではない程の成長っぷりを見せ、もう既に蕾を付け始めている状態となっている。


実はお嬢様が初潮を迎えられて静養されていた時、様々な花束を贈られた事により、お嬢様は花言葉に興味を持たれ、退屈を紛らわす意味でも、色々な花の花言葉を俺やベンさんに聞いて来たのだった。


そこからお嬢様は、オリヴァー様とクライヴ様の誕生日に、自分で育てた花を贈る事を思い付かれたのである。


「兄様方、同じ日が誕生日なんだもの。だったら、兄様方の持つ色と同じで、素敵な花言葉を持っている花を贈りたいわ」


「それはとても素敵な試みですね。オリヴァー様もクライヴ様も、きっととても喜ばれましょう!」


「えへへ…。そうだったら嬉しいな!」


そう言って、お嬢様はまるで大輪の花が一斉に綻ぶように笑われたのだった。


ちなみに「色違いで同じお花…」と、お嬢様が悩みに悩んで決められたのが、黒百合と白百合である。当然と言うか、黒百合はオリヴァー様に。白百合はクライヴ様に贈られるのだそうだ。


「黒百合は花言葉が心配だったけど、ちゃんとした花言葉があって良かった!」


そう言うと、エレノアお嬢様は早速、ベンさんに球根と専用の花壇を用意してもらっていた。


――黒百合の花言葉は『狂おしい恋』、白百合の花言葉は『威厳』…。


うん、割と若様方にピッタリと言うか、まんまというかだった。特に黒百合。オリヴァー様のエレノアお嬢様に向けるお気持ちを表す言葉として、これ程相応しいものはないだろう。





◇◇◇◇





俺がエレノアお嬢様に初めてお会いしたのは、オリヴァー様がこのバッシュ公爵家を初めて訪れた時だった。


オリヴァー様はクロス伯爵領にいらっしゃった頃から、異父妹のエレノアお嬢様の筆頭婚約者となり、バッシュ公爵家を継ぐ事が、お母上様によって決められていた。

そして俺はというと、オリヴァー様を心配され、一緒に王立学院に入学される事を決めたクライヴ様と共に、オリヴァー様付きの従者として王都へとやって来たのだった。


まだエレノアお嬢様が幼いからと、王立学院に入学され、数年が経過した後、初めてオリヴァー様はエレノアお嬢様とお会いした。


その瞬間、オリヴァー様がエレノアお嬢様に一目で心を奪われたのが手に取るように分かった。


なんせ普段、どのように美しいご令嬢にお会いしても、眉一つ動かそうとしないオリヴァー様が、薄っすらと頬を染め、魅入られた様にエレノアお嬢様を見つめていらしたのだから。


お会いしたエレノアお嬢様を一言で言い表すのなら、『お人形のような少女』であろうか。


緩くウェーブのかかった、艶やかなヘーゼルブロンドの髪。キラキラとした、黄褐色の大きな瞳。ふっくらとしたバラ色の頬と、形の良い桜色の唇。


俺が今迄見てきた女性とは比べ物にならないぐらい愛らしいそのお姿に、不覚にもオリヴァー様同様、胸が高鳴ったものだった。


…まあ、尤も。その我儘っぷりも、今迄見てきた女性達とは比べ物にならなかったんだけどね。


「貴方が婚約者なんて嫌!私は王子様と結婚するのよ!」


そう言い張り、拒絶の態度を取り続けるエレノアお嬢様に、それでもオリヴァー様は愛情深く接せられた。


お嬢様の態度に激怒するクライヴ様を宥め、エレノアお嬢様が喜ばれそうな事は何でも実践された。例えどれ程邪険にされようとも、お嬢様に向ける愛情を、オリヴァー様が失う事は無かったのである。


俺はと言えば、いずれはバッシュ公爵家に入られるオリヴァー様にお仕えする為、召使としてバッシュ公爵家に入り、家令のジョゼフ様の元で学ぶ日々を送っていた。


休日を利用し、度々バッシュ公爵家を訪れる、お優しいオリヴァー様に対するお嬢様の態度は、正直見ていて気持ちの良いものではなかったが、お嬢様の態度はご令嬢としてはごく一般的な部類なのだとジョゼフ様に聞かされ、そんなものなのかと納得するしかなかった。


いずれはオリヴァー様のお気持ちが通じ、お嬢様のお心がほぐれる日が来る事を祈りつつ、オリヴァー様やクライヴ様がバッシュ公爵家に少しでも馴染める懸け橋になろうと、俺は心の中で誓ったのだった。


…尤も、俺がそんな努力をしなくても、オリヴァー様はあっという間にバッシュ公爵家の使用人全員の信頼と尊敬を勝ち取ってしまっていたのだけれども。





例の貴族の次男坊がバッシュ公爵家から追い出された後、俺は奴の代わりにエレノアお嬢様付きの召使となった。


「ウィル。君だったら、エレノアも心穏やかにいられると思うんだ。大変かもしれないけど、どうか僕の大切な婚約者を頼んだよ」


どうしよう、やっていけるかな?…と不安に思った俺だったが、唯一無二の主と仰ぐオリヴァー様に頭を下げられてしまえば、覚悟を決めるしかない。


そうして慣れない召使役をこなし、お嬢様の我儘に日々翻弄されながら、一年が経過したある日。お嬢様は突然意識を失われた後、別人のようになられたのだった。


今迄過ごしてこられた日々を忘れ、まっさらな状態になったお嬢様は我儘を全く言わなくなり、召使である俺達に対しても、丁寧で優しい言葉をかけてくれるようになった。


何より、あれ程嫌っていたオリヴァー様を、(兄としてだが)とても慕うようになったのだった。オリヴァー様のお喜びようは凄まじく、俺はオリヴァー様の苦難の日々を思い、うっかり目頭を熱くさせてしまったのだった。


そうして更に、互いに嫌い合っていたクライヴ様とも和解されたばかりか、なんと婚約者にまでなられたのである。あれには本当に驚いてしまったが、妙に納得してしまった自分がいた。


だってお嬢様は、バッシュ公爵家の家令であるジョゼフ様が言う所の「天使に生まれ変わられた」のだから。


貴族の女性に限らず、平民であろうとも、女性は男性に傅かれ、奉仕される事が当然であり、ましてや口付けなどは挨拶とばかりに、恥じらいを見せる者など誰一人いない…筈だった。


なのにエレノアお嬢様は、我々にその常識を一変させてしまったのだ。


オリヴァー様やクライヴ様が頬にキスをされただけで、真っ赤になって恥じらわれる。我々が何かしようとする度、恐縮しながらお礼を言い、時には顔を赤くして遠慮される。お食事やおやつを食べる際、こちらが食べさせようとするのを嫌がり、散歩の時に抱っこしようとすれば、「自分で歩きます」と言って、実際その通り歩き出すのだ。


――極めつけは、ご入浴のお手伝いをしようとした時の事。


真っ赤になって全力拒否された後、お嬢様はその赤くなった顔のまま俺を見上げ、モジモジと恥じらわれながら、「あの…貴方が嫌だという訳ではないのですよ?わ…私が…恥ずかしいだけなのです…」と、そう小さな声で仰られたのだった。


その時は、あまりの愛らしさといじらしさに心臓を鷲掴みされ、思わず床に膝を着きながら「天使だ…!ここに天使がいる…!!」と、心の中で絶叫してしまったものだ。


周囲の召使達も皆、俺と同じように胸を抑えて蹲っていたから、きっと同じ事を心の中で叫んでいたに違いない。


――元々が愛らしかったお嬢様だから、性格も天使となられた後の破壊力は、凄まじいの一言に尽きた。


お嬢様の見せる初心な反応や、真っ赤になって恥じらわれるお姿などは、もう眼福を通り越して昇天する勢いだし、ご婚約者であるオリヴァー様もクライヴ様も、そんなお嬢様に溺れ、溺愛は日々激しさを増していく。


…尤もそれに比例するように、お嬢様が羞恥のあまり、鼻血を出される回数が増えていったのだけど…。いずれ酷い貧血で倒れられたりしないかと、それだけが心配だ。


お嬢様のお誕生日に初めてお嬢様と対面された、メルヴィル様とグラント様までもが、お嬢様の「お父様」呼びにあっさりと陥落した。あの真っ赤に恥じらう上目遣いにはきっと、ドラゴン殺しの英雄すら打ち負かす程の威力があったに違いない。



オリヴァー様方が、エレノアお嬢様を外に出さない…というより、出せない気持ちはよく分かる。だってこの屋敷の者達は皆、エレノアお嬢様に心奪われている者達ばかりなのだから。

あんな天使を野に放ってみろ。どれ程の野郎共が心を奪われてしまうか想像がつかない。その上、どんな危険な相手に目を付けられてしまうか分かったものではない。


実際、お嬢様がダンジョンで危険な目に遭われた時、しっかり第二王子殿下に目を付けられてしまったのだから。


「あ!眼鏡外すの忘れてた!」


そう言うと、エレノアお嬢様は、お嬢様の言う所の『逆メイクアップ眼鏡』を外される。すると、きつく巻かれたツィンテールの髪がパラリと解け、ふわりと波打つヘーゼルブロンドが風にそよぐ。

不健康そうな色味のソバカス顔は、バラ色の頬へと変わり、分厚い眼鏡に阻まれて見えなかった、宝石の様にキラキラ輝く瞳に、うっかり今日も見惚れてしまう。


――ギャップ萌え、今日もご馳走さまです!


尊いそのお姿に、今日も今日とて心の中で手を組み、女神様に感謝の祈りを捧げる。


『ギャップ萌え』とは、セドリック坊ちゃまに教えてもらった、新しい概念だ。なんでも、転生者であるエレノアお嬢様が元居た世界のお言葉らしい。


不細工だと思っていた女性が実は美人だったとか、冷たいと思っていた相手が実は優しかったとか、そういった意外性に心ときめく現象の事を言うのだそうで、まさにエレノアお嬢様のお姿は、その『ギャップ萌え』に該当するのだそうだ。


この『ギャップ萌え』を見たいが為に、お嬢様のお出迎えはいつも争奪戦となっている。今日は若様方が全員、学院に残る予定があった為、お嬢様は真っ先にこちらに来られたから、今日の『ギャップ萌え』を見られたのは、自分とベンさんだけという事になる。


…う~ん…。不味いな。今頃お出迎え組の連中は、どん底に落ち込んでいる事だろう。うん、非常に不味い。奴らの嫉妬が俺に集中放火されてしまう。ただでさえ、エレノアお嬢様に懐かれているからって、嫉妬される事が多いのに。


…仕方が無い。ここはひとつ、とっておきの「今日のエレノアお嬢様エピソード」を話してやるしかないな。


「お嬢様、そろそろお屋敷に戻ってお茶にしましょう。今日はお嬢様のお好きな、スフレチーズロールですよ」


「わぁっ!」


途端、お嬢様の顏が嬉しそうに輝いた。…ううっ…可愛い…!


「じゃあ、ベンさんまたね!ウィル、いきましょ!」


そう言ってベンさんに手を振ると、当たり前のように俺と手を繋いでくるお嬢様…。いかん!踏ん張れ俺!脚くだけになってどうする!ああ…。でも、なんという至福か…!


よろけそうになる足を叱咤激励しつつ、俺はお嬢様と仲良く手を繋ぎながら、お屋敷に向かって歩き出したのだった。


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今回はウィル視点で書いてみました。ギャップ萌えは確実に浸透していっている模様です。

次回は再び、修羅場へと爆走です(笑)

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