第20話 やって来ました、ダンジョン
「うわーっ!凄い人!あ!屋台がある!わっ!あっちにもー!!」
「こら!おじょ…エル!はしゃいで走らないで。迷子になるだろ?!」
「あ、ごめんなさい!ウィル…兄さん」
しまった!と眉を八の字にして謝ると、ウィルが「仕方ないな」って顔で優しく笑ってくれた。
「ほら、ご主人様達方から離れたら、後でうんと叱られてしまうからね。屋台は後で色々回ろう」
「本当!?兄さん大好き!約束ね!」
「…クッ…!」
ウィルが口元を手で覆いながら、真っ赤になって俯いた。私はそっとウィルの傍に立ち、小声て声をかける。
「ウィル?大丈夫?」
「も…申し訳ありません。身に余る幸福感にこの身を委ねておりました。恐れ多くもお嬢様から兄呼びをされるなんて…。しかも大好き…。私は生涯、この日の事を忘れないでしょう」
小さく、私にだけ分かるぐらいの声で囁くようにそう言うと、ウィルは目元の涙をそっと拭った。
う…うん。何だかよく分からないけど、ウィルが幸せそうで何よりです。
今現在、私はダンジョンのある小さな街へとやって来ている。というより、ダンジョンの周囲に造られた街…と言った方がいいかな。
そしてここのダンジョンは、出来たばかりのダンジョン。通称『ベビー・ダンジョン』だ。うん、まんまな名前だね。
私がダンジョンに行きたいと言ったら、グラント父様が「ここなら大丈夫だろ」って、教えてくれたのだ。
ここは丁度、クロス子爵領とうちのバッシュ侯爵領との境目にある田舎町なので、何かあった時にはすぐに両家が対応出来る上に、『ベビー・ダンジョン』に生息する魔物はスライムなどの低級なものばかりらしい。
「それだったら、お前らだけでもエレノアを守ってやれるだろ?それに、まさか普通のご令嬢がダンジョンに行くなんざ、流石の王家でも想像すらしねぇよ。目くらましになって丁度いいだろ」
そう言ってグラント父様は、渋る兄様方や私の父様、メル父様らを説得して下さったのだ。ありがたや、ありがたや。
というか、しっかり兄様方を煽って怒らせて、そんでもってやる気にさせるその手法、お見事としか言いようがありません。
案の定「ベビー・ダンジョンの雑魚ごときに後れを取る訳ねーだろが!」「一瞬で全てを消し炭に変えてやりますよ」と、兄様方は行く気満々になってしまわれたご様子。…兄様方。グラント父様に、いいように踊らされていますよー?
そんな訳で私と兄様方、そして従者として、ウィル他数名の召使達でダンジョンに遊びに(?)来た訳なのだ。
勿論、私が女の子である事を知られる訳にはいけないので、今現在私の恰好は短い髪のカツラを被り、従者見習い風の少年…といった出で立ちとなっている。
父様達や兄様達にも「少年にしか見えない。完璧」と、お墨付きを頂いたのだが、私もそう思った。…フッ…。まさか己の幼児体形が、こんな風に役に立つ日が来るとは思わなかったよ。
設定として私達は『新しく出来たダンジョンを領主代行として視察に来た若様達と、それにくっついて来た、従者&従者見習』という事になっている。まあ、『領主代行』とか『視察に来た若様達』ってのは、設定でもなんでもなく事実なんだけどね。
ちなみに私は従者見習いで、従者であるウィルは兄弟という事になっているのだ。
当初ウィルは「わわわ、私などがお嬢様の兄!?そそそ、そんな恐れ多い事…!!」と、全力でそのお役目を拒否した。
「ウィル、私の兄になるのは嫌ですか?」
「嫌ではありません!恐れ多いのです!!」
ウィル、顔が真っ赤になっている。まあ、仕える主人の兄弟役なんて、気も使うし大変だろうけどね。
「私は、ウィルが兄様って嬉しいですよ?実際、いつも優しくて、もう一人お兄様がいるみたいだなって思っていましたし」
「――!!?」
「だから、兄様役はウィルにやってもらいたいです。駄目ですか?」
そこでウィルは床に崩れ落ちた。見れば顔は真っ赤で息も絶え絶えになっていて「ウィル!しっかり!死なないでー!」と、私がパニックを起こし、その場は一時騒然となってしまった。
ウィル、後でジョゼフにめっちゃ叱られていたけど、結果的に「お嬢様!不肖このウィル、身命を賭してこの名誉あるお役目を遂行してご覧に入れます!」と、私の仮の兄になる事を快く了承してくれた。
その後、「オリヴァー様とクライヴ様の嫉妬も、ご褒美だと思う事にします」と、謎の言葉を呟いていたが…。まあ、了承してくれて何よりです。
「でも兄さん、なんでダンジョンが出来たら視察しなきゃいけないの?」
「うん。ダンジョンにもそれぞれ特性があってね。そうだな…分かり易く言うと、ダンジョンは『内向き』と『外向き』にザックリ分けられているんだ」
「内向きと外向き…?」
「『内向き』は、魔物が外にあまり出て来ないタイプのダンジョン。対して『外向き』は、生まれた魔物が外に出て来るタイプのダンジョンなんだよ。生まれたばかりのダンジョンが『外向き』だった場合、スタンピードが起こり易い上に、凶暴な魔物も多く生まれてしまう。だから大きくなる前にダンジョンの『核』を潰す必要があるんだ」
「へぇ~!」
ちなみにスタンピードとは、魔物の大量発生及び暴走の事です。
もし大規模なスタンピードが発生したら、一つの都市が一瞬で壊滅状態になる程の大災害になってしまうから、どの国も一つでも多くのダンジョンを把握して、管理もしくは監視しているんだって。
「まあ『外向き』のダンジョン自体、滅多にないんだけどね。それにダンジョンから生まれる魔物の魔石は純度が高くて高価だし、希少な天然資源も豊富に生まれるから、殆どはこうして上手く共存していく形になっているんだよ」
成程。確かにそうだよね。
力のある騎士、もしくは冒険者が魔物を狩る事で安全が保たれ、彼らがもたらす魔石や天然資源が街や経済を活性させ、結果として多くの人達に利益をもたらす。
実際、まだ出来立てのダンジョンなのに、既に色々な宿屋や屋台などが立ち並び、ダンジョンを中心とした一つの街が形成されつつあるのだから。
それゆえ貴族は、ダンジョンが出来ると必ず手の者に調査させたり、こうして直々に視察に訪れたりするのだそうだ。
なんせ一つのダンジョンがあるだけで、途方もない莫大な税収アップに繋がるんだからね。
痩せた土地しかなくとも、良質なダンジョンを持っているだけで、下手な高位貴族よりも資産を持っている下位貴族も実は多いんだそうだ。
身近な人で言えば、メルヴィル父様のクロス子爵領がそれに当たる。
クロス子爵領って、ダンジョンの数が飛びぬけて多い土地柄らしく、冒険者だったグラント父様と組んで様々なダンジョンを管理し、莫大な富を築いてるんだそうだ。
なのに何故、未だに子爵位なのかと言えば、あまり中央と接点持つと面倒くさいから、わざと下位貴族のままでいたんだと仰っていた。そこら辺、本当にメルヴィル父様ってグラント父様と性格似ているよね。
あ、そういえば以前、グラント父様が子爵位を賜るのと同時期に、メル父様も伯爵位を賜るって聞いたんだけど、メル父様いわく「なんかね、いきなり大量に貴族枠が空いたんだって。だから数の埋め合わせ的に繰り上がったんじゃないかな?」だそうだけど、そんないきなり貴族籍が空くって、どういう事なんだろうか。
「ウィル!エル!遅れているぞ」
そんな事を考えていると、クライヴ兄様が私達に声をかけてきた。
私達は慌てて兄様達の元へと走る。
「ウィル。何の為にお前がいると思っているんだ。甘やかすだけじゃなくて、叱るべき時はしっかり叱れ。
ウィル、平身低頭で謝っている。でもクライヴ兄様、なんか「お前の弟」ってトコ、妙に強調していた気がするな。
「エル、こういう所は初めてだから珍しいよね?」
「は、はい!オリヴァー様!」
「おい、オリヴァー。お前まで甘やかすな!」
「いいじゃないか、クライヴ。急ぐ旅じゃないし、腹ごしらえも兼ねて、少しここで休憩を取るとしよう。エル、気になる屋台を巡って、好きなものを買って来ていいからね。ただし、僕達の目の届く範囲内でだよ?」
「は、はいっ!有難う御座います!」
オリヴァー兄様のお許しを得て、私は喜色満面で周囲の屋台をキョロキョロ見回した。武具を売っている屋台、様々な携帯グッズを売っている屋台も多いが、一番多いのは、やはり食べ物の屋台だ。
果物を一口サイズにして串に刺して売っていたり、焼き肉やパンなんかを売っている。中にはダンジョン用だろう干し肉とかドライフルーツとか、携帯食なんかを売っている屋台もある。そして食事系だけじゃなく、人形焼きみたいなカステラのお菓子を売っているお店なんかもあって、もう目移りしてしまう。
――で、色々見回した結果、分かった事だけど…。女の人がいない。
どこを向いても、男・男・男だ。そしてやはり、皆押しなべて顔面偏差値が高い。
いや、女の人、いる事はいるんだけど、大体が子育てが終わって一段落。後は孫見たいわ~って感じのどっしりした肝っ玉母さんっぽい人や、年を取ったご婦人方だ。若い女性はほぼ皆無。これって、ダンジョン都市だから…って訳ではないんだよね。
「兄さん、若い女の人がいないね」
「うん。いる所にはいるんだけどね。まあ、こういう場所は荒っぽい連中が多いから、余計にいないんだろう」
なんでもダンジョンには、冒険者達の他に外国からの観光客や、犯罪者まがいの流れ者なんかもやって来るらしく、中には人身売買組織なんかも紛れ込んでいるらしいから、余程の変わり者か腕に覚えがないと女性は来たがらないし、周囲も行かせようとしないんだって。
…という事は、私はその『余程の変わり者』って訳ですか。
そう言うと、ウィルがそっと私から顔を逸らした。…つまりはその通りらしい。
おい、仮にも仕える主人から目を逸らすな。こっち見ろ。傷付くだろうが!
『ま、いっか。とりあえず何か買おうっと』
という訳で、先程から良い匂いを漂わせている屋台の一つへと向かった。
どうやら肉や野菜を串に刺し、炭火で焼いたものを売っているお店のようだ。肉の油が炭に落ちて爆ぜる音と、スパイシーなタレの匂いが鼻腔とお腹を刺激する。
「すみませーん!くださいな!」
「はいよ!おやまぁ、これは可愛い坊やだね。あんたもダンジョン目当てにここに来たのかい?」
「はいっ!ご主人様のお供で来ました!」
「まあまあ、そうかい!小さいのに偉いねぇ!」
恰幅の良い、50代後半だろう女将さんが、少し皺の目立った顔を綻ばす。…済みません、小さいって言っても私、もう11歳になりました。
それにしても、この世界で意識が覚醒してから、初めて普通の女の人を見た気がする。ニコニコと人の良さそうな顔で笑う彼女は、私の元いた世界によくいる、気の良い商店街の女将さんと見た目も雰囲気もそっくりで、本当にほっこりする。
「あのっ、それで、このお肉が刺さっているのと、お野菜が刺さっているの、両方5本ずつ欲しいんですけど」
「はいはい。丁度焼き上がってるよ。ほら、坊や可愛いから、1本ずつオマケしておいてあげるよ」
「わーい!お姉さん、有難う御座います!」
「おやおや!こんな小さいのに、女の扱いが分かってるね!気に入った!もう一本追加だ!」
「やったぁ!お姉さん、最高!」
「あはははっ!しっかりお仕事、頑張っておいで!」
「はいっ!」
「「………」」
そんなエレノアと女主人とのやり取りを、後方で見守っていたオリヴァーとクライヴが、複雑そうな表情を浮かべた。
「生き生きしてるねぇ…エレノア」
「…あいつ、一体どこから、あんなやり取りを学んだんだ?ウィルの奴が教えたのか?」
「違うんじゃない?ほら、ウィルも戸惑ってるよ」
見れば、串焼き屋の女主人にお金を支払っているウィルの顔が引きつっていた。うん、これはエレノアのあまりにも馴染み過ぎている、堂に入った庶民っぷりに引いてるな。
「クライヴ。あの子は記憶喪失になってから、本当に変わったよね。…まるで『別人』のように」
オリヴァーの呟きに俺は返事をしなかった。いや、出来なかった。
それはずっと前から感じていた『違和感』
我儘は鳴りを潜め、この世界の常識を全て忘れ、誰もが思いもよらない事を口にする。そして何より、自分達に対する
いくら記憶が無くなったと言っても、あんなにも人格そのものが変わってしまうものなのだろうか。
あれではまるで…。
「…いつか、あの子に確認をしなければいけない日が来るかもしれない。その内容によっては…でも、願わくば…」
――そんな日が、来なければいい。
このまま、仲の良い兄妹のまま。ただの愛しい婚約者のまま、ずっと傍で愛し守りたい。何も変わらないまま…このままで。
ウィルと笑い合いながら、両手いっぱいに串焼きを抱えながらこちらに向かって走ってくるエレノアを見つめながら、オリヴァーとクライヴは心の底からそう願った。
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