第390話 願わくば
『ジャノウ、騎士団長に抜擢されたのだそうだな!お前は私の……いや、一族の誇りだ!!』
『父上、有難う御座います!!私はこれからもクラーク家の嫡男として……いえ、このバッシュ公爵家の騎士として、生涯バッシュ公爵家とこの地を守っていきます!!』
在りし日の、父と交わした約束。
あの頃の私は騎士としての誇りを胸に、心の底からそう誓っていた。
その輝かしい未来を信じて疑わなかった。
それがこんな事になるだなどと……思ってもみなかったのだ。
◇◇◇◇
「……ここ……は……」
私は……寝ている……のか?
身体が……鉛のように重い。手足を動かそうとしても、何故か感覚がない。
そんな私の顔を覗き込むように、見慣れた顔や、見慣れない顔が見下ろしている。その中には、副団長だったクリスや、肖像画で拝した事のある、聖女様のお姿があった。
そしてその中には、印象的な黄褐色の瞳に一杯の涙を湛えた、エレノアお嬢様のお姿もあった。
……一体……何がどうしてこんな……?
そこで不意に、脳内に今迄の出来事が、記憶の奔流として、一気に押し寄せて来た。
ああ……そうだ。私はフローレンス様を助けようと、アリステアの手を借り、彼女が囚われている塔へと向かったのだ。
そこで彼女に言われた、信じられない言葉。
いくら騎士団を除名処分になったとはいえ、私の忠誠と献身は今でも、バッシュ公爵家とバッシュ公爵領にある。
その私に、主家の姫を害せよなどと……。
いくら騎士の忠誠を捧げた愛しいお方の言葉でも、そのような事、聞き届けられる訳がない。……そう。なかった筈……だったのに。
直後、見知らぬ少年が出て来たところで、私の意識は混濁した。
そして気が付けば、胸の中を渦巻く憎しみと怒りのまま、見知った嘗ての仲間達を次々と手にかけていたのだ。
暗闇の中、凶行を繰り返す自身に対し、繰り返し「何をしているんだ!止めろ!!」と、必死に叫び続けるが、分厚い透明の壁に阻まれるように捕らえられている私の意識には、叫ぶ以外に成す術もなく。
聖女様のお力が我が身を縛った時、やっと自分の凶行を止めて貰えると思った。
なのに再び現れた少年の『力』が囁く。『愛する者の望みを叶えろ』……と。
その瞬間、体内で荒れ狂う怒りと殺意の感情が、エレノアお嬢様へと向かう。
バッシュ公爵領の騎士として、絶対に守らなくてはならない、尊い主家の血を継ぐ姫様へと。
『貴方達はバッシュ公爵家に仕える騎士です。相手の行動を冷静に判断し、対処すべき筈の貴方達が、当主代行である私に敵意を向けた。これは許されざる事です』
初めてお会いした時、私の不敬に対し、怒りを顕わにする事無く、騎士たる者の心得を諭して下さった方。
あの時私は、後頭部を殴られたような衝撃と、心の底から湧き上がる羞恥に、エレノアお嬢様のお顔を、まともに拝する事が出来なかった。
謹慎処分の後、当然のごとく除名処分となったが、その事について、エレノアお嬢様を恨む気持ちは微塵も湧かなかった。
確かに自分は、主君を頂く騎士として、決してやってはいけない事をしてしまったのだから。
そう、全ては私の不徳の致すところ。……けれど……。
私の成長を誰よりも喜んでくれていた父に申し訳なかった。
今後、生まれ故郷を守る事が出来なくなるという事実に絶望した。
だがそれよりもなによりも、あのお方を……フローレンス様への想いを断ち切る事が出来なかった。
無実を訴えているという彼女が、お嬢様が仕組んだ冤罪で処罰されると知り、身を切られる程に辛くて……なんとか助けたくて……。
――……そこまで思い返した時、不意に疑問が次々と湧いてきた。
私はあの時、エレノアお嬢様の人となりを見知っていた。
あの時のお嬢様を思い返せば、権力でもって他人を貶めるような方では無いと、すぐに分かる。
なのに私は、なぜああも盲目的に彼女の……フローレンス様の事だけを信じてしまっていたのだろうか。
今から考えれば、おかしな所も矛盾点も多くあった筈なのに。
あの少年……。
私を支配し、操ったあの少年。あれは帝国の皇子だと、イーサン様が仰っていた。
ひょっとしたら、私の気持ちは……あの焦がれる想いは全て、あの少年が?
『……いや……』
そこまで思い至った所で、苦い思いが湧き上がり、心の中でかぶりを振った。
例えそうであったとしても、己の恋情に溺れ、隙を作ってしまったのは私だ。
その結果、守るべき主家に牙を剥き、多くの者達を傷付けた。
私が死に逝く事で償いになろう筈もない。女神様の慈悲も、とうに潰えている。私は……地獄に堕ちるだろう。
だがそれでいい。このような無価値どころか有害なこの身も魂も、煉獄の業火に焼かれ、燃え尽きてしまえば良いのだ。
「……クラーク……団長……!」
クリスがポツリと私の名を口にする。その顔は、いつものふてぶてしいものではなく、どこか頼りなげで、泣きそうなものだった。
『団長!目を覚ませ!!あんたはこのバッシュ公爵家の騎士団長なんだぞ!?大切なものの優先順位を誤っちゃいけない!!』
不意に、以前こいつがよく口にしていた台詞が蘇る。
美しいあの人に心奪われ、主君に捧げるべき騎士の忠誠を誓った私に対し、何度も何度もそう言って、私の目を覚まさせようとしてくれた嘗ての腹心。
「……ク……リス……。すまな……かった……」
「――!!……ッ、くそっ!!本当だよ!このクソ馬鹿野郎が……ッ!!」
クリスの顏がクシャリと歪む。他の団員達も……。こんな私の為に、悲しんでくれているのか……?恋情に溺れ、その挙句に帝国の手先になり果てた、こんな情けない男の為に……?
「……クラークさん……」
「……エレノア……お嬢……様……!」
「あの……あの……ね……」
――治してあげられなくて、ごめんなさい。
小さく呟いた、声に出せない言葉。
その瞬間、全てを悟った。
この身に流れる、温かい魔力の残滓。
それは聖女様のお力ではなく、私の体に触れているお嬢様の手から注がれたものだという事を。
何よりも、あのまま朽ちる筈だった私が、こうして意識を取り戻せたのは、この方が……私を救おうとして下さったから。
騎士として、最低の愚行を行った私などに……。このお方は……。
「……エ……レノア……お…嬢さま……」
我知らず、想いが言葉となって、口から零れ落ちる。
「いずれ……私の……罪を償い終えた時に……あなた様の元で再び……騎士として……今度……こ……そ……まも……り……」
なんという、身勝手で恥知らずな言葉だ。そんな資格は、私になど無いというのに……!
「うん、待ってる!」
「――!」
「ずっと、ずっと待っているからね!迷子にならないで……ちゃんと還って来てね?」
あの時……初めてお会いした時、まるで希少な宝石のようだと思ったあの瞳から、涙がパタパタと……まるで慈雨のごとく、私に向かい降り注ぐ。
……ああ……。なんて温かいのだろう……。
私の頬に、お嬢様の涙ではない、別の熱いものが伝い落ちていく。……これは……涙か?私は……泣いているのか?
目が霞む……。もう、お嬢様の顔がぼやけて……見えない。
『エレノア……お嬢様……』
もっと早く……このお方に出逢えていれば……。そうすれば、かけがえのない大切な仲間達と共に、この素晴らしいお方を生涯守っていけたのだろうか。
いや。私のようなどうしようもない男は、やっぱり道を踏み外していたかもしれないな。
『ああ、それにしても……』
惨めで愚かで、どうしようもないこの私に与えられた最後が、こんなにも穏やかで満ち足りたものになるなんて、思わなかった……。
女神様のお慈悲は、どうやら限りがないらしい。
――……ああ、女神様。
願わくば、このかけがえのないお方に、あらん限りの光の祝福をお与え下さい。
そして、この奇跡のような存在を世に生み出された貴女様へ、最大限の感謝を……。
心の中で最後の祈りを捧げる。
私は嘗てない程の幸福感に満たされながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
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命を救う事は叶いませんでしたが、クラークさんの魂は確実に救われたようです。
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