第93話 番宣言

「そう言えばエレノア、さっき言いそびれた言葉なんだが…」


「…?うん?」


あの後「そんなに好きなら全部食え」とリアムがクッキーをくれたので、それを美味しく頂いていた私に、リアムがちょっと真剣そうな顔を向けてきた。その、どこまでも蒼く澄んだ瞳と目が合った瞬間、再び私の身体は硬直してしまう。リアム、あんたはメドゥーサなのかっ!?


「…えっと…だな…」


「う…うん?」


「その…暫く見ない間に…き…」


――だが、彼の言葉は今回も続かなかった。


「暫し良いか?」


リアムが言い終わる前に、突然女性の声が割り入って来たのだ。


皆の注目が一斉にそちらへと向かう。するとそこには、驚いた事にレナーニャ第一王女を筆頭に、他の王女方と側近だか護衛だかがゾロリと勢揃いしていたのだった。


「――ッ!!」


リアムがダンッと両手の拳でテーブルを叩く。アシュル殿下は同情のこもった眼差しを向けながら、ポンポンとリアムの肩を叩いた。


「リアム。気持ちは分かるけど…魔力」


「分かっています!!」


うん。リアム、ちょびっと魔力が漏れかけていたもんね。それにしても、前回も今回も、リアムは一体私に何を言いたかったんだろうか?


あれ?何故かオリヴァー兄様もクライヴ兄様も、揃って憐れむ様な眼差しをリアムに向けている。あ、セドリックも同じような顏してリアムを肩ポンしているよ。うう~ん…。本当に何なんだろう。本気で気になるな。


「…で?何の御用でしょうか?レナーニャ王女殿下?」


アシュル殿下が営業用の極上スマイルを浮かべる。…しかも座ったままで。


普通、身分が同等の者が立っていて自分が座っていたとしたら、座るのを促すか自分が立つかのどちらかなのだが、どうやらアシュル殿下、よっぽど獣人達に悪感情を持っているようだ。ついでに私達にも席を立たないように目くばせしてきた処からしても、それが伺える。


『あんなに穏やかで優しい方なのに…。でもだからこそ、自国の人間をあんなに悪し様に言われれば、怒るに決まっているよね』


そう一人納得するエレノアだったが、実は自分の想い人エレノアが悪し様に罵られた事で、アシュルがブチ切れていたのだという事には全く思い至ってなかった。


レナーニャ王女の眉がピクリと動いたが、努めて平静を取り繕うように、形式的な笑顔を浮かべた。


「いやなに。こちらの用意した侍女が、慣れぬ外国ゆえか、全く役に立たぬでのぅ…。それゆえ優秀な給仕を我らの元に寄こして欲しいのじゃ。例えばそこの…銀髪の執事など良いのぅ…」


そう言うと、レナーニャ王女は艶やかな笑顔をクライヴ兄様へと向けた。見れば他の王女方も、頬を染めながらねっとりとした笑みを浮かべ、クライヴ兄様を見つめている。


や…やっぱりそう来たか!それにしても、なんという直球!!


「お断り致します」


だがしかし、間髪入れずにクライヴ兄様は、冷たい表情と口調でレナーニャ王女の要求を突っぱねた。


王女方は一瞬、何を言われたのか理解出来なかったのか、呆気にとられたような表情を浮かべた。――が、次の瞬間、顔を赤くしながら目を吊り上げた。


「な…っ!仮にも王族からの要求を断るとは…無礼なっ!」


「たかが使用人の分際で!」


「たかが…と仰いますが、彼は子爵令息であり、我が国の軍事を統べる、オルセン将軍の一人息子なのですよ」


アシュル殿下の言葉に、王女達や護衛達の顔つきが変わる。「あのドラゴン殺しの…」「そういえば、容姿が…」などと漏れ聞こえてくるところを見ると、グラント父様はシャニヴァ王国でも有名なようだ。


「…だ、だが、ドラゴン殺しの英雄の息子とは言え、所詮は子爵令息。しかも騎士ですらなくたかが公爵の娘の使用人をしているのだ。ならば我ら王族のお抱えになるなら、寧ろ栄誉な事ではないのか?!」


ジェンダ第二王女のあまりな言葉に、私は脳が沸騰しそうな程の怒りを覚えた。クライヴ兄様に対して、このあまりな言い様!この人達は私の大切な兄様の事を、なんだと思っているんだ!


そしてそれは、カフェテリアにいた学生達全ての共通する思いでもあったようだ。


それを証拠に、カフェテリア内の今現在の雰囲気は最悪と言ってもいいものとなっていた。男性も女性も、皆厳しい視線を獣人達へと向けている。


けれども、当のクライヴ兄様はと言えば表情一つ変えず、更に冷え切った口調で王女方に対し、言い放つ。


「お言葉ですが、私はお嬢様の『専従執事』です。専従執事は、仕える主以外の者の命令には、例えそれが王族であろうとも決して従いません。更にエレノアお嬢様は、私の最愛の妹であり、命より大切な婚約者です。彼女を守り、傍に在る以上の栄誉など、私には存在しません」


「な…っ!わ、私達に仕えるよりも、そんな女の方が良いと言いたいの!?」


「その通りです。それに彼女は『エレノア・バッシュ公爵令嬢』です。私の最愛の女性を『あんな女』などと呼ばないで頂きたい。不愉快極まりない!」


最後の方、多少強い口調になったクライヴ兄様に冷ややかに睨み付けられ、ジェンダ王女とロジェ王女が、悔しそうな表情を浮かべながら、屈辱からかワナワナと身体を震わせる。そして私の方を殺意のこもった眼差しで睨み付けてくる。…うわぁ…。なんか牙を剥いて唸っている野獣みたいだ。本当に獣人って、本能で生きているんだなぁ…。


それにしても専従執事って、そんな特権があったんだ。多分だけど、大切な女性を守る為にそういう役職が作られたんだろう。でもクライヴ兄様がキッパリ断ってくれて、凄くスッキリした!ちょっと逆恨みが恐いけどね。


「ホホホホホ…!」


すると突然、レナーニャ王女が鈴を転がす様な笑い声をあげた。


「成程のぉ…。そういえばこの国は、女が男を選び、男は女を選ぶ権利が無いと聞いた事があった。おおかた、その小娘がその男を自分のものにと、親に強請ったのであろう。ジェンダ、ロジェ。いくら見目が良かろうとも、小娘一人に逆らえぬ軟弱者じゃ。お前達には釣り合わぬ。諦めよ」


「そんな…!」


「お姉様!ですが…!」


「それよりも…。オリヴァー・クロス」


――え?今度はオリヴァー兄様ですか?!


「そなたに、妾の夫となる権利を与えよう。私の『つがい』として、我が国に妾と共に参れ」


シン…と、カフェテリア内が一気に静まり返った。私もあまりにも唐突な発言に、思わず呆気に取られてしまう。


――…はい…?夫…?し、しかも…番って…?


「レ、レナーニャ殿下!?何を仰るのです!?」


レナーニャ王女のすぐ傍に控えていた、虎の獣人の騎士が、血相を変えて王女に詰め寄るが、レナーニャ王女は鬱陶しそうに顔を顰めた。


「ガイン、言葉通りじゃ。妾はこの男を番にする」


「ご正気ですか!?人族の…ましてや、このような軟弱そうな男を!?愛人やペットにするならともかく、正夫である『番』などと…!私は絶対に認めません!!」


「図に乗るなガイン。お前が認めようが認めまいが、妾の心は変わらぬ。一目見た瞬間、妾には解ったのじゃ…この男が妾の運命の番である事が…!」


「レナーニャ様!!」


――…え~っと…。


私達そっちのけで、目の前で言い合いを繰り広げている主従を、私は呆然と見つめていたが、段々と怒りが腹の底から湧いて来る。


…っていうか、本当になんなんだ獣人ってのは!?黙って聞いていれば、人の大切な兄様であり婚約者を、いきなり召し上げてやるだの、番だ夫だのと…!しかもこの王女様、兄様の返事も待たずに、自分の夫にする事を決定事項にしちゃってるよ!挙句に愛人とかペットとかって…!!クライヴ兄様に対しての暴言や態度といい、人を馬鹿にするにも程がある!!


私は怒りの衝動のまま、勢いよく立ち上がった。


「レナーニャ第一王女殿下!非礼を承知の上で進言致します!!オリヴァー兄様は、私の大切な兄であり、かけがえのない婚約者です!!そのような身勝手な発言はお控え下さい!!」


「何だ!?」「人族の女ごときが…無礼な!」とざわめく護衛達を手で制し、レナーニャ王女は凄みさえ漂う程の、妖艶な笑みを浮かべ、挑発的な眼差しを私に向けた。


「ほぉ…。お前、その銀髪だけでは足りず、この者まで強請って強引に手に入れたのか?自分に与えられた『女』としての特権を使い、欲しいものを得ようとするその浅ましさ。悪くは無いが…。お前程度の容姿で、流石に欲張り過ぎであろう?自分の愚かしさと醜さを理解し、早急にこの者を解放せよ。そもそも、お前ごときがその場に居る事自体が分不相応じゃ。目障り極まりない。とっととこの場から失せよ!」


――うん、私、この人達大嫌いだ!何なんですか、この無駄に自信満々な態度!浅ましいのはあんたの方だろうって、声を大にして言ってやりたい!


「…エレノア。違うだろう?」


「え?」


「僕は君の『筆頭婚約者』だろう?間違わずにちゃんと言ってくれないと。…ああ、でも君の口から『かけがえのない』なんて言葉を聞けるなんて…!嬉しいよ、エレノア」


こんな状況だというのに、オリヴァー兄様は顔をほんのりと紅潮させ、物凄く嬉しそうな、蕩ける笑顔を私に向けてくれた。…そして私の方も、こんな状況だと言うのに、その笑顔にうっかりやられ、顔が真っ赤になってしまいました。…くっ…!何十回…いや、何百回見ても、この視覚の暴力には慣れない…!!


「…さて、レナーニャ第一王女殿下」


オリヴァー兄様に名を呼ばれ、レナーニャ王女の顏が喜色に染まる。だがオリヴァー兄様の次の言葉で、その表情は驚愕の色へと染まった。


「貴女の求婚、謹んでお断りいたします」


「――ッ!?な…何故じゃ!?」


「何故?先程お聞き及びの通りです。私はエレノアの『筆頭婚約者』です。エレノア以外を妻に娶るつもりはありません」


「そ、そうか!その筆頭婚約者の名に縛られているのじゃな!?なれば妾がなんとしてでも、その楔を叩き切り、そなたを解放して…」


「甚だ勘違いをされているようですが、私もクライヴも、他の女性など目に入らぬ程、心の底からエレノアを愛おしんでおります。寧ろ自分を婚約者に…と、我々の方からエレノアに請うたぐらいですからね」


「――ッ!?」


オリヴァー兄様の顏も口調も穏やかだが、その目には隠そうともしない侮蔑と怒りが浮かんでいた。そうしてその目を真っすぐレナーニャ王女に向けながら、オリヴァー兄様はなおも話を続けた。


「この国において、婚約者を裏切るような、恥知らずな男はいない。ましてや筆頭婚約者ならば尚の事。…まあ、その矜持を捨てる程の素晴らしい女性に出逢えたとしたら、話は別ですが…」


「で、では…!?」


「ですが失礼ながら、貴女のどこがエレノアよりも優れているのか、私には全く理解出来ません。『番』という概念も、人族である私には全く関係の無いものですしね。…これで、貴女の求婚をお受けしない理由が納得して頂けましたか?」


そう言い放つと、オリヴァー兄様は立ち上がり、私の方へと近付くと、レナーニャ王女に見せ付けるように、私の頬にキスをした。


――はい、もう顔と言わず全身真っ赤になってしまいましたよ。ってか兄様!こ、公衆の面前でやり過ぎです!また鼻血噴いたら、どうすんですか!?オリヴァー兄様やクライヴ兄様が作ったシリアスな流れ、ぶち壊しでしたよ!?


『うう…も、もう…限界…!』


度重なる視覚の暴力に加えて、このとどめの一撃に、遂に私は頭に血が昇り、フラリと倒れそうになった。けれどナイスなタイミングで、オリヴァー兄様の腕の中にキャッチされ、抱き締められる。…だがしかし、これってどう見ても、婚約者同士の熱い抱擁シーン…にしか見えないよね…。


「…お…オリヴァー兄様…!」


私を抱き締める兄様に、クラクラ目を回しながら必死に抗議すると、兄様は困ったように眉を下げた。


「ごめんねエレノア。つい…嬉しくて」


だーかーら!!そういう蕩けそうな笑顔を向けるの、止めて下さいってば!!


自分を置き去りに仲睦ましい様子を晒している(ように見える)私達を、レナーニャ王女は身体を震わせながら睨み付ける。まるで視線で人を殺しそうなその顔は、屈辱と怒りで醜く歪んでいた。


===================


常に絶妙なタイミングでフラグを折られるリアムと、

こんな時でも、どんな時でも、通常運転なオリヴァーさんです。

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