第121話 獣人王国の崩壊

一歩一歩、噛み締める様に近付いていく。この世で最も愛しく美しい者の元へ。


「エレノア」


口にした言葉が、少しだけ震えているのが分かる。


己が兄と認めたただ一人の青年…クライヴの腕の中には、もう立つ力も失い、グッタリとしているボロボロの少女の姿があった。


「…ッ…エレノア…!」


クライヴの前で膝を着き、少女の名を再び呼ぶと、抱き締められている腕の中、少女の瞼がゆっくりと開いた。


覗いたのは、宝石の様に煌めく美しい瞳。

永遠に…失っていたかもしれない、尊い輝き。


「…オリヴァー…にいさま…」


力無く…それでも嬉しそうに微笑みながら名を呼ばれ、顔がクシャリと歪む。

そんな自分にクライヴは、何も言わずにエレノアを渡してくれた。


そっと、壊れ物を扱う様に腕に抱いた小さな身体はとても軽い。



――…こんな小さな身体で君は、一人きりで必死に戦っていたんだね…。



「エレノア…。…ッ!エレノアッ!」



――生きていた!無事だった!ようやく…僕の腕の中に帰って来た!



一時は失ってしまうかもしれない恐怖に心臓が張り裂けそうになった。


何故…何故僕はあの時、この子を止めなかったのか。

一体何度、己を殺したくなった事だろう。


この子が危うくなれば、自分やクライヴが出れば良いと思っていた。いざとなれば勅命を破っても構わない。そう…思っていたから…。


そんな奢りが、まさかこんな形で自分に跳ね返ってくるとは思ってもみなかったのだ。


「エレノア…エレノア…御免…御免ね?君を…こんな目に遭わせてしまって…。本当に御免…エレノア…」


愛しい少女の頬に、幾つもの水滴が零れ落ちているのにも気が付かず、僕はただ壊れたように、繰り返し謝罪し続けたのだった。






ポタリ、ポタリと、オリヴァー兄様の閉じた瞳から、温かい涙が幾つも幾つも零れ落ちて私の頬を濡らしていく。


『オリヴァー…兄様…』


――優しくて、穏やかで…でも怒ると恐くて。


完璧とも言える姿しか私に見せようとしなかったオリヴァー兄様。その兄様が私の目の前で、幼子の様に頼りなく泣いている。


私の瞳にも、みるみるうちに涙が盛り上がり、耐えきれなかった雫がポロリと頬を滑り落ちていく。


「に…にい…さま…!ごめっ…ごめん…なさいっ!」


しゃくり上げながら、つっかえつっかえ言葉にする私の謝罪に、オリヴァー兄様は私を抱く腕の力を強めた。


「わた…わたし…の、我儘で…心配かけて…にいさまを泣かせて…!ごめんなさいっ!」


「いいんだ!!もう…いいんだ!そんな事…!」


叫ぶ様にそう言うと、オリヴァー兄様は私の謝罪を止めようとするように、自分の唇で私の口を塞いだ。


優しい…とても優しい、ちょっとしょっぱい口付け。私を心の底から慈しむそれ。


ああ…。私はこの人の元に…もう一人の最愛の兄であるこの人の元に帰って来られたんだ…。



『大好き…にいさま…』



とてつもない安堵感と幸福感に包まれけたまま、私の意識はゆっくりと、闇の中へと沈んでいったのだった。





◇◇◇◇





「ど…どういう事だ!?一体…何が起こっているというのだ!!?」


西の大陸と海を挟み、対を成す東の大陸。


そして東の大陸で実質的な覇王国として名を馳せる、獣人王国シャニヴァ。


その王宮内では、高御座たかみくらから立ち上がり、困惑と動揺に右往左往する臣下を見据え、声を荒げるシャニヴァ王国国王の姿があった。


「お…恐れながら申し上げます!今現在、我が国は竜人族を筆頭とする『東方連合国』を名乗る勢力に包囲されております!その数は…我が国の兵の数を遥かに上回っております!」


宰相を務める黒ヒョウの獣人。第三王女であるロジェの祖父である男が、青褪めながら現状を王へと説明する。


「『東方連合国』…だと!?」


国王は苛立ちと共に、信じられないといった表情を浮かべた。


東方諸国は力の強い亜人種達が、それぞれの国家や集落を築いている。


だが、肌の色や身体的特徴が国ごとに違っていても、基本的な部分は同一である人族達とは違い、種族ごとに特性が著しく異なる亜人種達は、それぞれが種族至上主義者である事もあり、種を超えた協調性などは皆無に等しかった。


ゆえに、圧倒的な身体能力とその数を武器に、獣人達がこの大陸の覇権を掌握していたのである。


それなのに、個人主義であった亜人種達が連合国としてまとまり、一丸となってこのシャニヴァ王国に攻めてくるなど…にわかには信じる事が出来ない。


――しかも、よりにもよって、このタイミングで…。



「やれやれ、いくら非常事態とは言え、不用心ですねぇ…ここは」



凛とした…だが、心底呆れたような声が、ざわついている謁見の間に静かに響き渡った。


「な、何者だ!?」


王を筆頭に、一斉にその声の主に注視する。


「――ッ!?お…お前達は…!!?」


王が驚愕の表情を浮かべ、見つめる先…。


そこには一ヵ月前、この国にやって来たアルバ王国第三王弟フェリクスと、『ドラゴン殺し』の英雄、グラント・オルセンの姿があったのだった。


「く、曲者だ!」


「囲め!!捕えろ!!」


大臣達が口々に喚くと、虎の獣人である将軍の号令で、その場に居た兵士達が得物を手に、一斉にフェリクスとグラントを取り囲んだ。


『他に護衛や刺客などは…!?』


将軍は注意深く、目の前の二人以外の気配を探すが、目の前にいる両名以外の気配はどこにも見受けられなかった。


「シャニヴァ王国の方々には、久し振りにお目にかかります。御機嫌麗しゅう…」


だが、そんな状況だと言うにも関わらず、フェリクスは前回同様、麗しい顔を綻ばせながら微笑み、優美な仕草で礼を取った。


――…たった二人だけで、突然この場に現れた挙句、この余裕の態度。


底知れぬ不気味さを感じ、その場の誰もがそのまま動く事が出来ずにいる。それは兵士達も同様で、取り囲んだはいいものの、そのまま目の前の人族達を睨み付ける事しか出来ずにいた。


「ふふ…。外には何万もの連合国の兵士達がこの王宮を取り囲んでいると言うのに…。まさか私達がここに来るまで誰も気が付かないなんて、思いもしませんでしたよ」


「黙れ!貴様…何故ここに…!?」


「いえね、貴方がたにお伝えしたい事があって、こちらに伺った次第です。…まずは、国交の締結見送りの件。そして、この獣人王国崩壊の見届け役をしに来ました…とね」



――獣人王国の崩壊!?



ザワリ…と、さざ波の様に広間に居た獣人達が動揺するのを、高御座たかみくらから国王が威圧を放ち、黙らせる。


慇懃無礼といった態度で微笑むフェリクスを、国王は牙を剥きだし睨み付ける。が、次の瞬間、ニヤリと嘲る様な笑みを浮かべた。


「この国が滅ぶ?ふ…戯言を!あのような十把ひとからげの烏合の衆団、我が国の敵ではないわ!それより良いのか?貴様の国こそ、今大変な事になっておろうに。トカゲ殺しの英雄共々、こんな所で油を売っている暇など無いのではないか?」


あからさまな挑発を含んだ言葉に、それでもフェリクスの穏やかさは失われなかった。


「おやおや、こんな状況だと言うのに、我が国の心配をして下さるとは…。獣人とは、粗野で単細胞なだけの種族かと思いましたが、欠片程は知性があったのですね。でもご安心下さい。私達がいなくとも問題はありません。先程、制圧の一報が入りましたしね」


「制圧…だと?」


――一体、何の?


「はい。貴方が我が国に潜入させていた兵士達全て、制圧させて頂きました。ついでに、貴方の子らである王太子と王女達も…ね」


「何だと!?」


激高し、叫ぶその横では、王妃が小さく悲鳴を上げている。


「き…さま…!言うに事欠き、戯言を…!!」


「戯言?戯言を言いに、こんな所までわざわざ足を運びませんよ。…ふふ…。それにしても大変ですねぇ。折角国軍の精鋭半数を我が国に向かわせたというのに。空振りに終わった挙句、残り半数の兵力で、東方連合国を相手に戦わなくてはならないなんて…」


心から楽しそうに笑うフェリクスの姿を見た瞬間、初めて国王が顔を青褪めさせた。


…あの国を攻め落とす為に送り込んだ兵士全てを…人族国家である、この男の国が制圧した…。そして、このような絶妙なタイミングを見計らい、攻めて来た連合国…。


――まさか…!この状況を裏で操っていたのは…!?


呆然とした様子で自分を見下ろす国王を、変わらぬ笑みでフェリクスは見つめる。


「貴方がたはこれから連合国軍と戦わねばならぬのだから、お忙しいでしょう?そろそろ我々はお暇させて頂きます。それに私もこう見えて忙しいのですよ。貴方がたが何故、国交を餌に人族に近付いたのか…。我が国に捕らえている王族達に洗いざらい吐かせなくてなりませんからね。…殺さない程度に」


「な…っ!?」


「どうやら貴方の子供達は、大切な私の将来の義娘を手酷く甚振って下さったみたいでね。婚約者達も我が息子達も皆、彼らを八つ裂きにせんとする勢いなのですよ。…まあ、私も止めたくはありませんが、我が国は貴方がたと違って、蛮族ではありません。ちゃんと一人も欠ける事無く、生きてお返し致しますよ。尤も、どこに・・・お返しするかは、この戦いの行方次第ですけどね」


王宮の外から聞こえる音や声が、先程よりも大きくなっていく。

国王は何かを口にしようとするも、言葉が出てこなかった。


「さて…。グラント?」


フェリクスが後方のグラントに向けて静かに声をかける。


「――ッ!!」


その瞬間、広間に凄まじいまでの『魔力』が解き放たれ、将軍共々、フェリクス達を囲んでいた兵士達が白目を剥き、バタバタとその場に崩れ落ちる。


しかもその余波を受け、大臣達の多くも、ある者は泡を吹き、ある者は失禁をしながら、兵士達と同じ様にその場に昏倒していった。


「チッ!ちょっと威圧しただけでこれかよ!前回も思ったが、鍛錬足りてねぇんじゃねぇのか?うちのガキ共でも、もうちっと根性あるぜ?」


しごくつまらなそうに吐き捨てる『ドラゴン殺し』の英雄を、国王は震える足を何とか踏ん張りながら、信じられないと言った表情で見つめた。


「な…!?なん…」


現国王である自分は、この国の王侯貴族の中で最も魔力量の高い、希少種である銀狼の獣人。

それ故、圧倒的な魔力量と身体能力で他の兄弟達を制し、国王となったのだ。


…なのに、その自分が…。よりにもよって人族の男ごときが片手間に放ったであろう魔力に充てられ、なす術もなく身体を震わせているだけなんて…。


『こ…こんな魔力量を…ずっと隠し持っていたと言うのか…!?で、では、先程の…わが軍と息子達を制圧し、拘束したという話は…事実…だというのか!?』


――信じられない!…いや、信じたくない。


突き付けられた現実に対し、激しく動揺する国王に、フェリクスは静かに話しかけた。


「…前回も、私はこうしてグラントと二人だけでこちらを訪れました。覚えておられますか?」


言われ、思い返す。確かにあの時、この男は『ドラゴン殺し』の英雄ただ一人を連れ、ここまでやって来た。


「まだ国交も樹立していない、まるで信用していない国であるのにも関わらずです。おかしいとは思いませんでしたか?我らがあまりにも無防備過ぎて。…その答えはね、二人だけで充分・・・・・・・だったからですよ。いざという時、私達がこの場を制圧するのに…ね」


ゆらり…と、フェリクスの身体から、陽炎の様な『魔力』が立ち昇った。


「――ッ!?」


それにいち早く気が付いた王妃が、慌てて『妖力』をぶつけようとするが、それよりも早く、フェリクスの魔力が王妃を吹き飛ばした。


吹き飛ばされた衝撃で、声も無く昏倒してしまった王妃の元に駆け寄る事も出来ず、国王はとめどもなく流れ落ちる汗を拭う事すら出来ずに、二人からの『威圧』を受け、身体を硬直させていた。


「では、失礼致します。…貴方がたとはもう二度と、お目にかかれますまい」


そう言うと、フェリクスとグラントは国王に背を向け、昏倒する者や腰を抜かし、へたり込んでしまった者達の間を優雅に…そして堂々と歩きながら、謁見の間を立ち去って行った。


静寂の中、戦乱と雄叫びの音を遠くに感じながら、『威圧』から解き放たれた国王はその場に膝から崩れ落ち、呆然とその後姿を見送ったのだった。



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禍根を残さぬ様、徹底的に潰す事を、アルバ王国は決めました。

時系列的に、学院で行われた断罪の終盤あたり…と言った所でしょうか。

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