第120話 断罪

――エレノアの啖呵切りに、その場に再びの静寂が訪れた。


『駄犬』と呼ばれたヴェイン王子は勿論、アシュル達やオリヴァーらも呆気に取られて呆然としてしまっている様子が目の端に映る。


…いや、確かにエレノアは「自分が勝ったら、何を言っても不敬と取るな」と言っていたが…。これ、「不敬」で済ませていいレベルだろうか。…いや、違うよな?


しかし…流石はエレノアというか…。正直こうくるとは思ってもいなかった。


てっきり、ロジェ王女の暴言に激怒していたアシュルや俺達の為に、敢えてああ言って、場を収めようとしたのかと思っていたのだが…。どうやら違った様だ。


エレノア…お前、あの第三王女の暴言、実は誰よりも怒っていただけだったんだな。


そんで、今の言葉を目の前のこいつに叩き付ける為、必死にここまで頑張ったんだな…。

全く本当に…お前って奴は…。


俺は「言い切った!」感満載な様子で、崩れ落ちそうになっているエレノアの身体を支えてやりながら、そう心の中で呟き苦笑した。


ちなみに俺の背後では「エル…。流石は俺の嫁!痺れるぜ!」だの、「はぅっ!」だの、「き…キター!!」だの、「と…尊い!あの蔑み切った眼差し!ああ…僕もあの眼差しで見下された挙句、優美な足で踏み付けてもらいたい…!」だの、しょうもない言葉が聞こえてくる。…ついでに、人がバタバタ倒れる音もセットで。


思わず後方に目をやれば、攻撃魔法科のマロウが、黒いローブを羽織った男に「黙れこの変態が!さっさと仕事しろ!!」と足蹴にされている姿が目に入った。


…どうやらさっきの発言の中で一番アホな台詞、こいつが言っていたようだな。


あ、めたくそ踏み付けにされているのに、奴の浮かべる表情、未だに恍惚とした笑顔のままだ。


――…ヤバイ。あれは駄目だ。とんでもなく厄介な奴を、何かに目覚めさせてしまった気がする…!


思わず顔を引き攣らせた俺の耳に、呟き声のようなものが聞こえて来た。


「…な…。こ…この俺を…駄犬…。しかも巣に…帰れ…だと…!?」


目をやれば、ようやく我に返ったヴェイン王子が、怒りのあまりに牙を剥いて顔を紅潮させている。


「人族の…ましてや女の分際でよくも…!番だとて容赦はしない!二度とそのような口を叩けぬ様、徹底的に調教してやる!」


ヴェインの言葉に、クライヴの肩がピクリと反応する。


「…調教…だと?」


「ヴェイン王子!!」


低く呟くクライヴに構わず、ヴェインは自分の後方に控えていた近衛兵達に命じる。


「あの娘の傍にいる男だ!あいつを排除しろ!!娘の方には一切傷をつけるな!」


「はっ!!」


王子の言葉を聞き終えるや、得物を手に一斉に襲い掛かってきた近衛兵達だったが、それらはクライヴとエレノアに近付く前に、一瞬で氷漬けとなり、次々と床に倒れて行った。


「――ッ!?…なっ…!」


兵下達は一瞬で氷漬けにされた為、襲い掛かろうとしている時と同じ表情のまま転がっている。

それらを呆然と見つめるヴェインだったが、何かの気配を感じ、瞬時に後方に飛びずさるとそのまま間合いを取った。


「ヴェイン王子。貴方のお相手は僕が致しましょう」


見れば、いつの間にかそこに立っていたのは、自分の姉であるレナーニャの番であり、目の前にいる自分の番…エレノア・バッシュ公爵令嬢の筆頭婚約者、オリヴァー・クロスだった。


――…オリヴァー・クロス。この世における、俺の最も憎い相手…。


「オ…オリヴァー・クロ…」


姉のレナーニャが、目の前の男に向けて縋る様に手を伸ばした。――が、次の瞬間、炎の矢が姉の自慢である長い髪をバッサリと切り裂いた。


「…え?…い、いやぁぁぁー!!」


悲鳴を上げ、肩までしかなくなった髪を抑える姉の身体に、次々と炎の矢が掠め、その肌や服を焼き裂いていく。


「あ…あぁ…!」


痛みと衝撃にのたうち回り、もはや悲鳴も上げられずに震える姉、レナーニャを、オリヴァー・クロスは冷ややかな表情で見つめる。


驚くべき事に、その瞳はいつもの黒ではなく、燃え上がる炎のような深紅となって煌めいていた。


「口を閉じろケダモノが。…次にその薄汚い唇で僕の名を呼んでみろ。その舌、焼き尽くすぞ?!」


あのいつもの貴公子然とした穏やかな様子は欠片も見当たらず、その声はどこまでも冷たく、明確な憎悪と殺意に満ち溢れていた。


「…さて、次は貴方ですよ。僕の愛しいエレノアを奴隷にしようとした挙句、言うに事欠いて調教とは…。ふふ…覚悟は出来ているのでしょうね?」


姉、レナーニャに向けていた殺気が、その何倍にも膨れ上がって自分に向けられる。

そのおぞましいまでの魔力量に、思わずゴクリと喉が鳴った。


『な…何が一体…どういうことだ!?何故…この男から、こんなにも膨大な魔力が…!?』


「安心なさい。貴方もそこの女も殺しませんよ。…本当なら今すぐにでも息の根を止めて差し上げたいぐらいですけどね」


穏やかな表情で、恐ろしい台詞を口にするオリヴァー・クロス。

その姿に底知れぬ不気味さを感じ、背筋に冷たいものが流れ落ちる。


「な…にを…言って…?」


身体が竦む。


どういう事だ?俺が…獣人族の王族であるこの俺が…まさか、人族ごときに恐怖を感じているとでも言うのか?!


「大丈夫、すぐに理解しますよ。でもその前に…。僕の手で瀕死にして差し上げましょう」


そう言うなり、オリヴァー・クロスが一瞬の間に俺の間合いへと入ってくる。


慌てて寸での所で奴の拳から身を避けると、体勢を整えようと後ろに飛びしさる…が、なんと、そこには既に奴が待ち構えており、今度は避ける間も無く脇腹に鋭い蹴りが入った。


「ぐぅっ!!」


吹っ飛ばされ、激痛に呻きながらも何とか態勢を整える。――だが、それで終わりでは無かった。


その後も、自分が動く先々で待ち構える様に、オリヴァー・クロスからの容赦のない攻撃が襲い掛かってくる。


激高し、隙をついて魔力を放っても、それは軽くいなされ消滅させられてしまい、更に攻撃は苛烈さを増した。


――最初は、顔と優美な所作しか取り柄の無い、優男だと思っていた。


…なのに、将軍の息子であるガインすらも上回るスピードと体術を持ち、姉、レナーニャと同等数の魔力を持つ俺が…こんな、赤子の様にただ翻弄されるだけなんて…!!


「う…ぁ…っ…!」


最初に左手、そして右足…と、次々と潰され、右の肩を砕かれた時点で、俺は無様に地面へと崩れ落ちた。


そんな俺を無表情で見下ろしていたオリヴァー・クロスは、全ての興味が失せたとばかりに背を向け、歩き出す。エレノア・バッシュの方へ…俺の番の元へと。


『止めろ!俺の…番に近寄るな!!』


そう必死に心の中で叫びながら、ふと、霞む目で捉えた周囲の状況に愕然としてしまう。


一方的に蹂躙劇を繰り広げる筈だった我が国の精鋭達は皆、ある者は王族に、ある者はフードを被った男達や王族の護衛騎士達によって、次々と殲滅させられていっているのだ。


しかも信じられない事に、兵士達と戦っている相手の中には、この学院の生徒達も混じっていたのだ。

彼らは皆、兵士達に負けず劣らぬ戦いを繰り広げている。そしてその誰もが、膨大な魔力を纏っていた。



ある者は目にも止まらぬ剣技で両手両足を切られ、崩れ落ちる。


ある者は、『風』の魔力によって全身を切り刻まれ、またある者は、水球に閉じ込められ、もがき苦しんでいる。


特に俺や姉達の側近達は、セドリック・クロスと第四王子リアムの手により、完膚なきまでに叩き潰され、ボロボロにされていた。彼らは皆、悲鳴を上げてのたうち回り、その内の何人かは命乞いまでしている有様だ。



――何故…?この国の人間は皆、魔力が殆ど無い筈ではなかったのか!?しかもその魔力すら使わずに、我ら獣人をあっさりと血祭りに上げている者達までもが、そこら中にいる…だと?!


「現実を知って驚きましたか?ヴェイン王太子」


静かな声がかけられる。


何とか顔を上に向けてみると、そこにはこの国の王太子が、穏やかな表情で俺を見下ろしていた。


「ふふ…。だいぶボロボロにされましたね。それにしても、貴方がた獣人が単純な種族で助かりましたよ。魔力を隠すだけで、僕らの事を容易く『顔だけが取り柄の無能集団』って見下して下さいましたからね。お陰で仕事が大変にスムーズでした」


「し…しご…と?」


「そう。貴方がたが大量に我が国へと潜入させた兵士達ですよ。彼らは最初から我々を侮って油断していましたからね。こちらが誘導するままによく動いてくれました。今頃は配下の者達が、我がアルバ王国全土に潜入していた獣人達を一網打尽にしている事でしょう」


王太子の言葉に、思わず目を剥いた。


そんな…そんな馬鹿な!?気が付かれていたと言うのか!何時!?…まさか…最初から…!?


「問題は、そちらが決起するのが何時か…という事でしたね。いくらこちらが優位に立ってはいても、獣人の身体能力は侮れません。万が一取りこぼしたら、どんな人的被害出るか分からない。だからこそ、貴方がた王族全てが注意を向ける、この絶好の機会を利用させて頂いたのですよ」


そこまで言って、初めてアシュルの透き通った水色の瞳が陰り、一切の表情が無くなった。


「だけど、その為にエレノア嬢が…。僕らの最愛の女性が傷付いてしまった…。あんなにボロボロにされて…。正直言って今僕は、自分自身を殺してやりたいぐらいの気持ちなんですよ…」


深い悔恨を帯びた憂い顔。ああ…そうだ。こいつもエレノア・バッシュを愛している男の一人だった。


「だが、その前に…。貴方達がどういう意図を持って、この国に攻め入ろうとしたかを知らねばなりません。そういう訳で、貴方達王族にはこれから、それらを洗いざらい吐いて頂きます。拷問も辞しませんので姉弟共々、せいぜい良い声で鳴いて下さいね。獣なのだから、鳴くの得意でしょう?」


明かな侮蔑を含んだ言葉に、カッと頭に血が昇る。


「き…さまら…!こんな事をして…ただで済むと思うな…!本国が本格的に動けば…貴様らなど…」


「ああ、そうそう。貴方がたの国の方も大変みたいですよ?こちらが掴んだ情報によれば、東方諸国が連合を組んで、シャニヴァ王国に攻め入っているようですから」


「――な…っ!?」


「普段であれば、例え他の部族国家全てが集団で攻めてきても、貴方の国を揺るがす事は難しいでしょう。ですが今現在、シャニヴァ王国の兵力は通常のおよそ1/2程度。しかも精鋭は殆ど我が国に投入している状態…とあらば、話は別になります」


「…ま…さか…」


「ひょっとしたら、貴方達が帰ろうとしても、帰るべき国自体が無くなってしまうかもしれませんね?」


穏やかに微笑む甘やかな美貌。だがその瞳には、一切の感情が見られない。憎悪も侮蔑も嘲りも…。それが逆に底知れぬ恐怖心を湧き上がらせた。


こいつらは…いや、この国は、それすら視野に入れ、動いていたと言うのか。

ひょっとしたら今、このタイミングで連合国がシャニヴァ王国を攻撃しようとしているのも、この国が裏で糸を引いて…?


――人族など、矮小で力の無い最弱民族と侮っていた。だが…だが、これではまるで、こちらの方こそが…。


「女性を娶るのも、戦争を起こさないようにするのも、貴方達が思っている以上に大変な事なのですよ。むしろ、力技だけでのうのうと強者ぶって踏ん反り返っていられるって、獣人とはなんと呑気で幸せな種族かと感心していました。本当、羨ましい限りですよ。こういうのを『平和ボケ』って言うんでしょうかね?」


アシュルの酷薄な笑みを見た瞬間、ヴェインの心に、絶望が押し寄せてくる。


――見誤った…。我々は決して…手を出してはいけない国に、喧嘩を吹っ掛けてしまったのだ!


思えばこの国が出て来た瞬間、他の西方諸国が一斉に手を引いたのだ。その時点でおかしいと思うべきだったのに…。



このアルバ王国は…。恐らく、人知れず西方諸国の頂点に君臨する、絶対的強者…。



「さて。話はそろそろ終わりにしましょうか。『影』をあまり待たせてはいけませんからね」


フッ…と、音も無くアシュルの背後に立つ黒づくめの男達を目にしながら、ヴェインは己とおのが種族の絶望に染まった未来を感じ、唇を噛みしめた。



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アルバ王国男性陣のターンです!

兄様方を筆頭に、今迄の鬱憤が炸裂しております。

ちなみにオリヴァー兄様、本当は殺す気満々でしたが、

情報収集の為、やむなく断念しました。

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