第248話 畳だ!

「う……わぁ……!!『畳』!!」


流石は王族!といった、広くて豪華な……だがリアムの性格からか、華美になり過ぎていない、上品でいてシンプルな室内に入った瞬間、エレノアの歓声が上がった。


それもその筈。なんと部屋の隅には、ベッドと同じ高さの八畳程のスペースがあり、その上部には前世で見慣れていた畳が敷き詰められていたからである。


「な、凄いだろ!最初は母上の部屋にだけ設置されていたんだけどさ。俺、この『イグサ』の匂いが大好きで、父上に頼んで俺の部屋にも造ってもらったんだ!」


せ、聖女様……!まさかの自室が和室疑惑浮上!!

そしてそれを叶えるべく、和食同様物凄く奮闘したであろう国王陛下や王弟殿下方の執念……いや、愛が凄い!アルバの男……恐るべし!!


「分かる!い草の匂いって、物凄くリラックスするよね!!」


先程までの元気の無さが嘘のように頬を紅潮させ、キラキラと目を輝かせている私を嬉しそうに見ながら、リアムは履いていた靴を脱ぐと畳スペースに上がった。


「ほら、エレノアとセドリックも!」


リアムがこちらに向かって手招きをする。セドリックは既に何回かこの部屋を訪れているとの事で、戸惑う事無く靴を脱いで畳スペースに上がった。


だが私はちょっと逡巡してしまう。


貴族令嬢が異性の……ましてや王族の前で靴を脱ぐなど、果たして許されるのであろうか。


いくら女子に対してユルユルなこの国であっても、流石にはしたないと眉を顰められてしまうかもしれない。……なんて、私が迷っているってクライヴ兄様に知れたら「お前……。あんだけ口一杯ご飯を頬張っておいて、何を今更」と呆れ顔で言われてしまうだろう。


だが違う。そうではないのだ兄様!


あれはあれ、これはこれ。家族以外の男性に足を曝け出すなど、淑女としてあるまじき行為な筈!ええ、淑女として微妙な私でも、それぐらいは分かりますとも!


「大丈夫だ!ここには俺達しかいないから」


「えっ?!」


心の中の兄に言い訳をしていた私に向かって、リアムが声をかける。

私はきょろりと周囲を見回した。


確かにリアムの言う通り、部屋の中には近衛騎士はおろか、侍従の一人もいない。確か部屋に来るまでは、私達の後方をゾロゾロついて来ていた筈……。あれ?なんで?


「ほら、エレノア!」


「エレノア、早くおいでよ!」


「…………」


……えっと……。私達だけなら、いいかな……?


誰も居ないという事を確認した私は、コロッと方向転換をし、靴を脱いで畳スペースへとお邪魔する。

「おい、お前!淑女云々はどうした!?」というクライヴ兄様の声なき声が聞こえた気がしたが、あえて無視する。淑女の嗜みよりも、今は畳だ。


「うわぁ~!!気持ちいい!!」


い草の清涼感溢れる香りと、足裏に感じるしっとりツルツルとした感触に、思わずその場にコロリと横になり、畳の匂いを胸いっぱいに吸い込む。すーはーすーはー……。ああ……癒されるっ!!


「エレノア!!な、なにいきなり横になってんの!?」


「え?あ、ご、ごめんなさい!!」


セドリックに注意され、慌てて飛び起きた私の耳に「そうか。タタミもエレノアホイホイだったんだ……」というリアムの呟きが聞こえてくる。ちょっとリアム!何ですかその言い方!まるで虫か何かのようじゃないか。失敬だな!


「エレノアが元居た世界では、このタタミってのが当たり前にあったんだろ?」


「うん、そうなの!特にうちの実家は田舎だったから、私の部屋も畳部屋だったんだ!」


そうなのだ。父母の部屋は絨毯だったけど、私は畳大好き女だったから、リフォームする際にも自室は和室にしてもらったんだよね。ああ……懐かしいな。


「エレノアがそんなに喜ぶんなら、バッシュ公爵家にもこれを設置出来るように、公爵様にお願いしてみようか?」


「ほ、本当!?セドリック!」


「あ、ごめん。ワショク同様、これも王家の門外不出品だから」


テンションマックスになっていた気分が急下降し、ガックリしてしまった私の肩を、リアムが慰めるようにポンポンと叩く。


「悪いなエレノア。でも……そうだな。じゃあエレノア用の客間をタタミスペースにしてもらえるよう、父上達に頼んでみるから。そうすれば王宮に来た時、いつでもタタミで寛げるぞ?」


その言葉に、下がったテンションがまたダダ上がる。なんだそれ、素晴らしいじゃないか!


「ついでに『フトン』も用意しといてやるから」


「わーい!!有難うリアム!!」


まさかこの世界において、畳の上に布団敷いて眠れる日が来るなんて……!まったくもって、最高か!!


頬を染め、まだ見ぬ和の空間に想いを馳せているエレノアを見た後、セドリックはリアムをジト目で睨み付けた。


「……リアム……。やってくれるね……」


「当たり前だろう?俺だってアルバの男なんだからな。使えるものは何だって使うさ!」


「ねーねー、セドリック、リアム。ところで学院の方はどうなってるの?今何を勉強している?」


互いに見えない火花を散らしていたセドリックとリアムは、途端にこやかな笑顔を浮かべてエレノアに向き直った。


「ああ。もう長期休暇前だから、消化授業というか、今迄の復習をやってる感じかな?」


「試験も終わっちゃったしね。……またリアムに一位取られちゃったけど。ああ、オーウェンも十位圏内に入っていたよね」


「あいつも頑張ってるよなー。そういえば、こないだの実技試験だけど……」


そのままセドリックとリアムは、学院で起こった事。受けた授業の内容。ついでに卒業生である上位貴族が学院内をウロウロしていてウザい……といった話を面白おかしくエレノアに話して聞かせる。でもその話の中に、ボスワース辺境伯に関するものは一切出てこなかった。


あのお茶会には、レイラ・ノウマン公爵令嬢や、その弟であるカミーユ・ノウマン公爵令息。ノウマン公爵令嬢の取り巻きのご令嬢達。そして更に彼女らの婚約者……と、学院に通っている人達が多数招待されていた。


でも今の所、表立って学院であの事件が話題に上がる事はないのだそうだ。


それは多分、招待客の多くが事件に間接的に関わっていた事。そして、王家から絶対的な緘口令が敷かれているからに違いない。


勿論、表立って話さないだけで、裏では様々な憶測や噂が囁かれているんだろうけどね。なんせその中心人物である私が、学院を休学しているのだから。


それに今頃メイデン母様達も、せっせと雀に餌やりをしているだろうし……。


そんな事を考えながら、ふと畳スペースの隅に積み上がっている書類に気が付いた。あれ?ひょっとしてリアム、ここで勉強しているのか?でもちゃぶ台無いしな……。


「ああ、忘れてた!マロウから預かってたんだった!」


私の視線の先に気が付いたリアムは立ち上がると、書類の山を持って来て私の目の前へと置いた。


「えっと……。なにこれ?」


「お前が休んでいる間の授業の補習用プリント。ざっと見100枚はあるな」


サーッと自分の顔色が真っ青になったのが分かる。……え?なんですと?これ全部プリント……?え?まさかこれ、私にやれと?


「まあ普通は女性に受講義務はないから、こんなのやらんでも良いんだけど」


あ、やらなくていいんだ。良かったー!


「エレノア以前『私も学院生の一人です。女だからと言って特別扱いしないで下さい!』って言って、マロウから補習受けた事があっただろう?」


「う、うん」


そういえばあったな、そんな事。


私への姫騎士扱いが始まって、妙にみんながちやほやしてくるのが居心地悪くて。休んでいる間の授業の補修を受けさせて欲しいって、担任のマロウ先生に頼んだんだった。


「あん時マロウの奴、『流石は姫騎士!尊い!!』って大感激したらしくてさ。『僕の愛を全力で注ぎ込みました!どうぞ姫騎士にお渡し下さい!』って言って、物凄い良い笑顔でこれを俺に渡して来たんだ」


ええええー!?


「僕に渡さない所が姑息だよね、あの人」


「ああ。お前の兄達が知ったら、絶対燃やすか凍らせてクラッシュさせるかするだろうって考えたんだろうな」


そんな二人の言葉を聞きながら、私は目の前のプリントの山を呆然と見つめた後、パタリと横に倒れた。


うん、言ったよ。確かに特別扱いしないで下さいって言ったさ。でもそれを真に受けて、こんな膨大なプリント作って渡すか普通!?マロウ先生……愛、重すぎだよ。こんなん全力でお断りしたい……!!


「え~と……。エレノア、大丈夫?」


「ううう……。ふ、二人とも……。手伝ってください……」


新学期には復学する予定なのだ。それを見越してのプリントなのだろうが、限度ってもんがあるでしょ!?こんなに沢山寄越されたって、一人じゃ新学期まで絶対終わらないよ!


私は恥を忍んで二人にヘルプをお願いした。

すると、私の言葉を聞いたセドリックとリアムは目を丸くし、その後、凄く嬉しそうな表情を浮かべた。


「ここで『こんなのやらない』って言わないのが、エレノアだよね!」


「ああ。俺達の婚約者は本当に凄いな!」


二人の惜しみない賛辞に、私の胸にチクリと小さな痛みが走った。



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新品の畳の香りと、曳きたてのコーヒーの香りを嗅いだ時の至福感といったらありません!

あ、新茶の香りも忘れちゃいけませんね!

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