第255話 お嬢様と本邸の家令

――主家の姫が……使用人である我々に頭を下げた……!?


バッシュ公爵家本邸の主だった使用人や騎士達がエレノアのカーテシーを受け、呆然と立ち尽くしている中、厳しい表情を浮かべたイーサンはその場から一歩前に出ると、左手を前にして腹部に当て、右手を後ろに回し、深々と礼を取った。


「お久し振りで御座います、エレノアお嬢様。ご健勝のご様子、このイーサン、喜びに胸震える思いで御座います。……が、貴族のご令嬢たる者、みだりに目下の者に対し、頭を下げてはなりません」


厳しい表情と口調で諭すように告げるイーサンに対し、エレノアは少しキョトンとした顔をした。


そんなエレノアを見たイーサンの目元がピクリと動く。次いで何かを耐えるように深々と溜息をついた。


「……どうやら王都邸では、かなり自由になさっておられたご様子。ですが貴女様は、このバッシュ公爵領を統べる当主の娘であり、我々にとっては主家の姫であられるのです。いずれ領地経営に携わる者として、それに相応しいふるまいをお心がけ下さいませ」


イーサンの遠慮も何も無い言い様に、幼少期のエレノアを知っている使用人達は顔を青ざめさせた。


エレノアは、このバッシュ公爵家本邸で生まれたのだが、一歳になるかならないかの幼い時分にアイザック共々王都邸に移り住み、その後このバッシュ公爵領に来たのは数える程しかない。


しかも最後にやって来た時の態度たるや……まるで野に放たれた子猿。

それもう、凄まじいの一言だったのだ。


見た目は妖精のように愛らしくなっているし、いきなり自分達に対し、対等もしくは目上の者に対する淑女の挨拶である、カーテシーを披露されて度肝を抜かれてしまったが、どうしてもあのインパクトが頭から消えない彼らは、イーサンの言葉にエレノアがいつブチ切れるかと、ヒヤヒヤと見守っていた。


ついでに彼らは、エレノアの背後に立つ使用人や騎士達の剣呑な表情にも震えあがっていた。


エレノアに配慮してか、殺気こそ放っていないものの、彼等の瞳に宿る文字。あれは確実に「殺」だ。めちゃくちゃ恐ろしい。

そしてその視線を浴びてなお、平然としているイーサンも凄い。自分達だったら、あんな視線を集中砲火されたら、確実に心臓が止まるだろう。まさに家令の鑑である。


一方、エレノアはと言うと……。


『うう……さ、流石は本邸を預かる家令!キツい!それにめっちゃマナーに厳しい!いや、ジョゼフもマナーには厳しかったけどね。だけど、やっぱり私って孫枠だったから、何気に甘やかしてくれていたんだな』


などと心の中でへこみつつ、おずおずと高身長であるイーサンを見上げた。


「……そうなんですね。私、この本邸をずっと守って下さった皆さんにお礼をしたかっただけなのだけど……。不勉強で御免なさい。イーサン。迷惑じゃなかったら、ここに滞在している間に、そういう事を色々教えて下さいね?」



『『『――ッ!!?』』』


本当に申し訳ないといった表情を浮かべながら、上目づかいで小首を傾げるエレノアの姿を目にした瞬間、その場に集まっていた殆どの者達が一斉に顔を赤らめ、息を呑んだ。

しかもその内の何人かは、崩れそうな膝を必死に踏ん張って倒れないようにしている。



『『『て……天使……!?』』』



使用人達や騎士達が心の中で身悶える中、イーサンはそんなエレノアを見下ろしながら、眉間にクッキリと皺を寄せ、目元をピクピクと引きつらせている。


「……かしこまりましたお嬢様。主の愚行を正しく導くのは、臣下として……そして、本邸をお預かりする家令としての当然の務め。謹んでお受け致しましょう」


指先でクイッと眼鏡のフレームを上げるイーサンの物言いに、エレノアの後方にいたウィルや騎士達から、遂に殺気が噴き上がった。しかも口々に「あぁ?愚行……だと!?」「何様だあの眼鏡!!」「あいつ……るか……!?」と、非常に物騒でドスのきいた声があちらこちらから聞こえてくる。ついでに言えば、可憐なウサギ獣人の少女の耳も、高速でピルピル動いている。しかも顔が無表情。こちらも確実に怒っている。


『『『ひぃぃぃー!!!』』』


バッシュ公爵家本邸の使用人達は、赤くなった顔を青くさせ、一斉に震えあがった。対してバッシュ公爵家の騎士達はというと、震えあがらないまでも、その尋常ならざる殺気に口元を引き攣らせている。


クライヴも不快そうに眉根を寄せ、その場に微妙な空気が流れる。だが、それを全く意に介そうともせずに、イーサンは更に彼等の神経を逆なでするような事を言い放った。


「それとエレノアお嬢様。お嬢様には暫くの間、バッシュ公爵家本邸ではなく、離れの迎賓館でお過ごし頂きたく存じます」


その瞬間、ウィルと護衛騎士達だけでなく、クライヴからも鋭い殺気が噴き上がった。


「……迎賓館……だと?貴様、仮にもバッシュ公爵家の姫を、本邸ではなく離れに追いやる気か!?」


怒りを顕わにイーサンを睨み付けるクライヴ。その表情は、元が人外レベルの美しさを誇っているだけに、まるで死を司る魔王のごとし……であった。


そんな目力だけで人をショック死させそうなクライヴの視線を受けながらも、イーサンは今迄の態度を全く崩す事無く、深々と頭を垂れる。


「申し訳ありません。諸事情が御座いまして、とてもエレノアお嬢様をお迎え出来る状態では……。それに離れとは申しましても、高貴な方々をお迎えする為に整えられた館で御座います。それゆえ、格式も調度も本邸となんら遜色は御座いません。むしろ……」


「御託はどうでもいい!主家の姫を迎えられないその事情とやらを、今すぐ説明しろ!!」


「ク、クライヴ兄様!?」


遂に怒りが爆発したクライヴに、エレノアが駆け寄ったその時だった。


「イーサンさんを責めないで下さい!わ、私が全て悪いんです!」


突然、震えを含んだか細い女性の声が上がり、クライヴとエレノアがその声のした方向へと顔を向ける。


するとそこには両手を前で組み、震えながらこちらを見つめている一人の少女の姿があったのだった。



===============



ザ☆家令であるイーサンVsエレノアです!

……いえ、どちらかと言えば、イーサンVsエレノア親衛隊と言いましょうか。

そして最後、男爵令嬢が動き出しました。

緊迫のバッシュ公爵家本邸。次回マテ!……です(^^)

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