第84話 【閑話】宰相様の家庭事情

「お呼びでしょうか?ワイアット宰相」


王宮の中心部にある、この国の宰相に与えられる少々簡素ではあるものの、歴史を感じる重厚な造りの広い執務室。そこに音も無く現れたのは、黒い髪と、やはり黒く鋭い切れ長の瞳を持った長身の青年だった。


また、青年が纏う衣服も全体的に黒を基調としており、青年の持つ色と合わせて、まるで闇の住人のような雰囲気を醸し出している。


「来たか、ヒューバード。…少し遅れたな?またどこぞの女の尻でも追い掛けていたのか?」


「当たらずと雖も遠からず…と言った所でしょうか?なんせ実際、追い掛けているのは可愛い女の子ですし」


「ふん、ディラン殿下…と、フィンレー殿下の想い人か。だがヒューバードよ。お前ともあろう者が、いくら殿下の命であったとしても、他人の想い人の為に熱くなり過ぎてやしないか?」


咎めるでも叱責するでもない。淡々としたその言葉に秘められたある種の揶揄いに、青年の眉がピクリと吊り上がった。


『…相変わらず、喰えないじい様だ』


今現在、目の前の老人が座っている執務机は、何代もの宰相達が使用して来た、この国の最北端でのみ採れる希少な巨大樹を使用して造り上げた最高級品だ。


その希少性もさることながら、年月の重みがそのまま顕われているかのごとく、その部屋の主とも呼べる程の存在感を醸し出している。きっと生半可な者が座ったとしたら、存在感負けしてしまい、威厳どころか逆に貧相に見せてしまうという、『主を選ぶ』いわくつきの机だ。


だが、この目の前の頑強な老人は、その机の存在感などものともせず、この机がまるで自分の為に造られたのだと言わんばかりに『主』としてその場に座し、君臨している。


『きっとこの人にとって、自分などまだまだ幼い子供に等しい存在なのだろう』


もっとも、それこそ当たらずと雖も遠からず…という所なのだが。


「…私を呼び出した用件とは、その事についてなのでしょうか?」


自分の仕えるべき王族の想い人に対し、邪な心を抱くなという牽制かと思い、発した言葉だった。だが推測とは異なり、宰相は「何を言っているんだ?」と言うように眉を顰める。


「他人の色恋に口を出す程、耄碌してはおらん。お前が誰を気に入ろうが、嫁にしたいと言おうが、それはお前の自由だ。…それに、公私を分けられぬ愚か者に『影』の総帥の座を譲ったつもりはないぞ?」


ニヤリ…と、人の悪そうな笑みを浮かべる目の前の老人に対し、青年は『クソジジイ』と心の中で悪態をついた。


「お前を呼んだのは、今後の事について話す為だ。…先日、フェリクス王弟殿下がシャニヴァ王国の視察を終え、帰国された」


「存じております」


「王弟殿下はシャニヴァ王国の国王に、王子・王女殿下方の短期留学を請われたそうだ。…どうやら、腹に一物ある国のようでな。フェリクス王弟殿下はかの国の思惑を探る為、その申し出を了承されたそうだ」


「友誼を結ぶ為ではなく、探る為に…ですか?」


「そうだ。元々あの国は東の大陸にある国々の中でも選民意識が極端に強く、また人族を『力無き者』として見下しているようでな。そんな国がわざわざ、人族の国家に国交を呼び掛けている真意が知りたい…との陛下の仰せだ。…それにしても、フェリクス王弟殿下とバカ弟子の尽力の賜物であろうが、よくぞあのバカ二人組が、あの国で大暴れしなかったものだ」


――…バカ弟子とは、次期宰相であるアイザック公爵の事で、バカ二人組とは、オルセン将軍とクロス魔法師団長の事だろう。希代の逸材と言わしめたお三方を、そのようにこき下ろせるのは、このじい様だけだろうな…。


「それで?私にどう動けと?」


「うむ。留学生との名目でこちらに送り込まれる殿下方は、当然王立学院で受け入れる。王立学院に配されている影は今現在、リアム殿下付きと、教師として潜り込ませた数名のみ。彼らには学院全体をカバー出来る程の力は無い。ゆえに、留学が終わる迄の間、お前とお前の配下とで彼らをフォローしてやってくれ」


「…それこそ何故、私自らが出張る必要が?」


「あの学院には、バッシュ公爵令嬢がいる。彼女は多分…いや、間違いなく、あの国の思惑と悪意に巻き込まれてしまうだろう。だからこそ、お前自身が直々に動いて欲しい」


――エレノア・バッシュ公爵令嬢。


リアム殿下と、アシュル殿下の想い人であり、あの・・オリヴァー・クロスとクライヴ・オルセンの掌中の珠。…成程。いかにも厄介ごとに巻き込まれそうだ。


「将来の王族の妃になるかもしれない女性を守る為…という事ならば、確かに私が出張る案件ですね」


「その通りだ。それにな、両殿下方は当然として、マテオもエレノア嬢の事をえらく心配していてな」


「は!?マテオが!?」


「そう、あの・・マテオが…だ。意外だろう?」


いや、意外なんてものではない。マテオが女を…しかも、自分の愛するリアム殿下の意中の女を気に掛けるなんて…!一体どうしてしまったというんだ?!ひょっとして明日は槍でも降るのか!?


「エレノア嬢は、どうも人タラシな所があってな。それにしてもまさか、マテオまでもが篭絡されるとは思ってもみなかったが…」


…確かに。リアム殿下はともかく、あのアシュル殿下の心をも捕らえた少女なのだ。それは確かに尋常ならざるタラシっぷりだろう。…でもまさか、あのマテオが…。にわかには信じがたい。


「人生初の『友人』に浮かれるあの子を見るのは、祖父として実に感慨深いものがあってな。お前も王家を守護する『影』として。…そしてマテオの『兄』として、弟の大切な友人であるエレノア嬢を守ってやってくれ」


「ジジバカ炸裂ですね。お祖父様」


「まあ、そう言うな。お前だって、たった一人の弟の事は可愛いのだろう?」


「あいつ、ちょっと生意気になってきましたから。最近はあんまり可愛くありません」


「まあそう言ってやるな。大好きな兄が女を追い掛けてばかりいるのが気に入らないんだろう」


先程までの鋭い威厳はどこへやら。可愛い孫の事となると、途端に目尻に皺を作るこのジジバカ宰相の姿を、バッシュ公爵やクロス魔法師団長に見せてやりたいものだ。


マテオと俺を産んだ母親は、現宰相であり、筆頭公爵家の前当主であるギデオン・ワイアットの娘だ。


マテオは、母親の筆頭婚約者であった実の兄との間に出来た子で、俺は数ある夫の一人である、クライン子爵との間に出来た子共だった。所謂、外孫というやつである。


母は身体が弱かった為、俺を産んだ後、中々次の子が出来なかった。


ワイアットのじい様は外孫とはいえ、唯一血のつながった孫である俺をとても可愛がってくれたが、ある日いきなり俺に「お前には『影』としての才能がある。直々に鍛え上げ、いずれは総裁の座を譲りたい」…などと言い放ったのだ。


そもそもワイアット家は、王家と国を守護する『影』を束ねる一族で、この祖父は特に、歴代最強と謳われる程の実力を持っていたのだそうだ。優秀な人材を確保する為、王立学院で講師をしていた時、あのオルセン将軍をねじ伏せた事もあるというのだから、若かりし頃はどれ程の実力者だったのか、想像ができない。


――そんな人物に見込まれる程の才覚が俺にあったのは、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか…。


ともかく、その後はあれよと言う間にじい様は俺を手元に引き取ると、直々に英才教育を施してくれやがった。…今となっては思い出したくもない、悪夢の日々だ。


やがて俺が12歳になる頃、待望の内孫であるマテオが生まれた。


じい様も、勿論俺も、喜び勇んで可愛がったのだが…。何をどう間違ったか、可愛い女の子ではなく、リアム殿下を初恋相手に選び、今現在は『第三勢力同性愛好家』の道を爆走している。


当然というか、特殊な家庭事情もあり、まともな友人一人おらず、実の兄に対しても「兄様が醜悪な雌鶏に媚びを売る情けない男の一人だったなんて思わなかった!不潔だ!!」と、軽蔑の眼差しを向けてくる始末。昔は俺に憧れて「兄様みたいな立派な『影』になりたい!」と、俺に教えを請うて来ていたというのに…。


というか、次代に血を残す為、女性に誘われればお受けするのは、この国の男としては当然の事である。そもそも女性のお誘いを断って恥をかかせるなど言語道断。なのに不潔と言われるなど、理不尽極まる。納得がいかない。


その事をじい様に愚痴った時は「お前は度が過ぎてるんだ!殿下方にも悪影響を与えおって…。まったく!」と、逆に説教を喰らってしまった。だが、そう言っている本人だとて、若い頃は相当遊びまくっていたと噂で聞いて知っている。なのに何故俺だけが責められるんだ。納得できん。


しかし…弟に待望の友人が…。しかも『女の友人』が出来ただなんて。…うん、二重に目出度い。これはもう、本当に奇跡としか言いようがないな。よし、今日はとっておきのワインを開けて祝うとするか。


「しかし…。どんなご令嬢なんでしょうね?エレノア・バッシュ公爵令嬢って」


殿下方の会話や部下達からの報告で、エレノア嬢の見た目や人となり。そして行動などは把握済みなのだが、今迄はさして興味が無かったから、積極的に本人と会おうと言う気にはならなかった。


だがこうなってくると、命令が無くとも、直接この目で本人を見定めたくなってきてしまうな。


「見た目はまぁ…。お前の好みではない事は間違いない。だが、そういう外見的な事は抜きにして、非常に素直で愛らしい子だった。…あんな子が孫になってくれたら、老い先短い人生、一片の悔いも無く終わらせられるのだが…」


――あと50年はしぶとく生きそうなくせに、何を言っているんだこのジジイは。


「じゃあ是非とも、マテオを煽ってその気にさせて、ひ孫ゲット出来るように頑張ってくださいよ」


「ものの例えだ、このバカ孫が!大体、エレノア嬢は殿下方の想い人なのだぞ!?そう言った意味では、お前も変な病気出すんじゃないぞ!?」


なんだそれは。この俺が、弟と同い年の…しかも平凡顔よりも、やや低めな容姿の女性に手を出すとでも言いたいのか?いくら屈指の女好きと自他ともに認める俺でも、そんな節操の無い事する訳ないだろうが。


「ふん。お前、その年端も行かぬ少女によろめいた前科があるのだから、そう言われるのも当然だろうが!」


…痛い所を突かれた。だが、あれはエル君だったからこそであって、俺に幼児愛好ロリコンの趣味は断じて無い。


「失礼します。お爺様!済みませんが、私が使っているシャンプーを、いつもの倍取り寄せる事は可能でしょうか?」


――噂をすれば…か。


何故かシャンプーの件を口にしながら執務室に入って来たマテオは、普段、昼間は滅多に姿を見せない俺が、祖父と一緒にいるのを見て、目を丸くしたのだった。


===================


今回は、ワイアット宰相とヒューバードさんのお話です。

ヒューさんの年齢が判明!やはりロリコ●疑惑をかけられております(笑)

あと2話程、閑話が続く予定です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る