第3話 我儘は卒業…するのです!
その後、兄のオリヴァーは私の傍から片時も離れる事無く、本を読んでくれたりお菓子を食べさせてくれたり、軽めに作られた夕飯(それでもメチャクチャ豪華!)を、これまた手ずから食べさせてくれた。
「お…お兄様。私、一人で食べられます…よ?」
いくら外見年齢は9歳の子供でも、中身はもうじき20歳になろうという大学生だ。こんな美少年に「あ~ん」ってされるのは物凄く恥ずかしい。いや、嬉しいけどな。
ひょっとしたら、エレノアってば、以前からこういう風に食べさせてもらっていたのかもしれない。
女の子が極端に少ないこの世界では、いわば女の子は
だが自分はこれから立派な淑女になろうと決めたのだ。
それゆえ甘えは禁止なので、出来れば自分一人で食べたい。というか、ドキドキして落ち着かない。味も分からないし、もっとのんびりじっくり味わいたい。ぶっちゃけ、こっちが本音だ。
「ふふ…分かってるよ。エレノアはこれから立派な令嬢を目指して頑張るって決めたんだものね。でも君は倒れたばかりなんだし、今日ぐらいはうんと僕に甘えておくれ?」
「…うっ…」
甘ったるい笑顔を向けてくる美少年に「ほら、あ~ん」とされ、彼氏いない歴が実年齢の喪女に何の抵抗ができよう。
私は湧き上がる羞恥心を心の奥体に押し込め、差し出されたスプーンをぱくりと口に咥えたのだった。
そして夜は更け。
「…あの…お兄様?」
「うん?」
「私、お風呂一人で入れますよ?」
「何言っているの?無理でしょう」
ドキッパリと言い切られた。
…うん、確かに普通の倍以上ありそうな豪華な浴槽は、9歳児の身長とほぼ同じぐらいの高さがある。普通の貴族の御令嬢であるのなら、一人で入るのは厳しかろう。
だが私は前世(?)ありとあらゆる武道をたしなんで来た、いわば猛者。こんな浴槽によじ登るぐらいなんでもない。
まあ、確かに御令嬢がマッパで浴槽をよじ登る図は、絵面的に不味いかもしれないが、男の使用人が幼女のお風呂を手伝うのっては、絵面的にも道徳的にも、もっと不味いだろう。不味いよね?
だから私はお風呂の用意をしてくれた使用人に対し「一緒はヤです。一人で入ります」と告げたのだ。
…その結果、こちらがドン引きレベルの悲壮な顔をされてしまった。そう、まるでこの世の終わりかと言わんばかりの絶望顔ですよ。罪悪感ハンパないよ!
「あの…貴方が嫌だという訳ではないのですよ?わ…私が…恥ずかしいだけなのです…」
顔を赤らめ、モジモジしながら言い訳をする。
そう、いくら出るとこ出てない、つるんとしたキューピーな体形でも、恥ずかしいものは恥ずかしいんだ!
「――くっ!」
すると何故か、彼は瞬時に顔を赤らめさせ、苦しそうに胸を抑え込み、床に膝を着いてしまったのだ。おい君、しっかりしろ!大丈夫か!?
「おやおや、エレノア。もう我儘を言っているのかい?いけない子だね」
「お、お兄様?」
――しまった!これって我儘案件に入ってしまうのか!?
「君みたいな小さな女の子が一人でお風呂に入るなんて、危ないだろう?いくら可愛い君の我儘でも、それは許可出来ないな」
「うう…。は、はい…。申し訳ありません…」
早々、やらかしてしまってシュンとする。
確かに兄の言っている事は正論だ。日本式のお風呂ならいざ知らず、こんなゴシック調の西洋式バスタブに幼女が一人で入るなんて言ったら、元の世界でも絶対許可されないだろう。
『兄様…怒ったかな…?』
おずおずと、私よりだいぶ背の高い兄を見上げると、何故か兄は口元を手で覆って顔を背けていた。
あ、これ呆れられたよ。真面目な令嬢目指すって言った矢先に我儘言ったから、絶対引かれたわ。
「あの…じゃあもう、我儘言いません。ですがせめて、男性の使用人の方ではなく、女性の使用人にお世話してもらいたいのですが…」
「女性の使用人?この屋敷にはいないけど?」
――…おいおい、マジか。
道理でメイドの一人ともすれ違わないと思ったよ。
「貴族はともかく、平民は女性の数が本当に少ないからね。どの家も大切に囲っているから、まず外に働きに出る者はいないよ」
それはそうか。誰だって希少な女性を外になんて出さないよね。うっかりさらわれちゃったりしたら大変だし、いくら沢山恋人や夫を持てると言っても、やっぱ人間だから男性側にも独占欲があると思うし。
でもさ、貴族の場合、乳母とかって必要だよね?
しかも貴族女性って男遊びが忙しそうで、子供を自分で育てようって気はまったく無さそうだし。
「乳母?ああ、公募や伝手で、離乳期まではそういった女性を雇うよ。でもそういった女性は大抵庶民だし、その期間が終わったらお手当をもらってさっさと辞めてしまうね」
「じ、じゃあ、私は誰に育てられたのでしょうか?」
「決まってるでしょう。君の実のお父上だよ」
――この世界のお貴族様。イクメンだった!
「勿論、召使や執事に任せる貴族も多いけど、君のお父上はお優しい方だからね。それに待望の女の子だったから、そりゃあもう、目の中に入れても痛くない程、君の事を可愛がっておられたよ」
そしてあんまりにも育児に夢中になり過ぎて、領主としての公務をおざなりにしてしまい、何年も部下に仕事を丸投げしてしまったのだそうだ。結果そのツケとして、今現在はその優秀な部下達によって、馬車馬のごとく働かされているらしい。
「それでエレノアが心配だからと、僕が侯爵様の代わりにお世話係兼、婚約者としてこの家に入ったんだ。お母様の決定でね」
貴族の家で女の子が生まれると、筆頭婚約者は兄弟の中から選ばれるらしい。しかも兄弟の中でも最も爵位の高い者がその座を得るのだそうだ。
でもうちの場合、最も爵位が高かったのが私の父親であるバッシュ侯爵だった為、何事においても決定権を持っている母親が兄様を婚約者に決めたのだそうな。成程。
「それで話を戻すけど、エレノアは男性の使用人が入浴のお世話をするのは恥ずかしくて嫌なんだよね?」
「う…。はい、そうです」
「成程。じゃあ、良い方法があるよ?」
兄はニッコリといい笑顔を浮かべた。
◇◇◇◇
「エレノア、お湯加減はどうだい?」
「…ハイ。チョウドイイデス」
「入浴剤はやっぱり、カモミールにした方が良かったかな?」
「…イエ。バラノカオリ、トテモイイニオイデス」
…受け答えがカタコトになっている件については目を瞑ってもらいたい。
なんせ今、私は薔薇の香り漂うたっぷりめなお湯の中、あろうことか兄の膝に乗せられる格好で浸かっているのだから。…そう、もちろんマッパで。
もう、顔と言わず、身体中真っ赤になってるし、心臓はドコドコとせわしなく動いている。せめて自分で身体ぐらいは洗うと半泣きで懇願しても、優しい兄は満面の笑みでスルーし、良い匂いのするボディソープで頭のてっぺんから爪先まで、そりゃもう丁寧に洗われてしまったのである。お陰様で、もう私のライフはゼロだ。
「あ…あの、お兄様…。一緒に入るのは…その…今回限りで…」
「だってエレノアは使用人相手じゃ嫌なんでしょ?じゃあ僕が一緒に入るしかないじゃないか」
――違うよ兄様。私が嫌なのは、異性にすっ裸を見られる事であって、使用人に手取り足取り介助されながら入浴するのが嫌なんじゃないんだってば!…いや、それも羞恥で死ねるけど。
だから、男である貴方とも入りたくなかったんです。しかも、さも当然って感じで一緒にお風呂に入ってるし。勘弁してください。お願いだから、私のチキンなハートを守る為に、そこら辺理解してやって下さい。
「お、お兄様に、そこまでご迷惑をおかけするのは…」
「迷惑なんかじゃないよ。可愛いエレノアのお世話が出来るなんて、僕にとってはご褒美にしかならないんだから。遠慮なんてしないで、どんどん甘えておくれ」
フフッと笑いながら、先程丁寧に洗ってくれた髪に口付けられ、「うひゃっ!」と、令嬢らしからぬ声を上げてしまう。
クスクスと楽しそうに笑う声に、何だか羞恥心も飽和状態になってしまったような気分だ。まあ、婚約者云々はともかく、これって微笑ましい兄妹の触れあいってやつなんだよね。
そうだ、私は幼女らしく兄に甘える妹を演じればいい。うん、無心だ無心。
そう思った矢先、背中に当たる兄の胸筋の感触に、再びボンッと顔から火が噴く。
く…っ…!まだ15歳のくせしやがって、しっかり筋肉ついてるじゃないか!このマセガキめが!
「そうだ。まだ言ってなかったね。僕、今迄寮に入っていたけど、今後学院には、この家から通うようにするから」
「え?学院?」
「うん。貴族の子弟が通う王立学院だよ。今夜は手続きの関係で学院に戻らなきゃだけど、明日の夕方には帰って来るようにするからね?これで毎日、君と一緒にお風呂に入れるよ。ああ、そうだ。帰って来る時、もう一人連れてくるから」
――なんて事だ。この兄、学院で寮暮らしだったのか。
って事は、この家に帰って来るのは多くて週に数回。もし私が一人で風呂に入りたいと言わなければ、毎日兄と一緒に風呂に入らねばならないという、嬉し恥ずかしな苦行を受けずに済んだのか。
『あれ?でも確か兄様、私のお世話係として侯爵家に来たんだよね?なのに寮暮らしって変じゃない?』
「エレノア?」
俯き、黙り込んでしまった私に、オリヴァー兄様が心配そうに声をかける。慌てて後ろを振り返った私の目に飛び込んできたのは、カラスの濡れ羽色を文字通り濡らした、水も滴る美少年の裸の上半身。
思わず鼻血を噴いてしまい、浴室は阿鼻叫喚の大惨事な現場と化してしまったが、私は絶対悪くない。…と思う。
精神年齢19歳、只今15歳の子供に翻弄されまくっています。うう…屈辱。
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