第4話 筆頭婚約者は画策する(オリヴァー視点)
「よう、随分遅かったな。しかもかなりお疲れみたいじゃないか」
「クライヴ…。まあね」
「また我らが妹君の我儘に振り回されてきたんだろう?お前も大概物好きだな」
学院で自分に与えられた部屋にて僕を待っていた銀髪碧眼の彼の名は、クライヴ・オルセン。ドラゴンを倒し、従えた事もある偉大な冒険者であり、その功績から国家より名誉男爵の地位を賜った父を持つ、僕の一つ年上の兄弟だ。
彼の父親は僕の父と親友であった為、ごく自然に父と逢瀬を重ねる母と知り合い、その流れでそのまま関係を持った結果としてクライヴが生まれた。
そしてそのすぐ後に僕が生まれた為、僕とクライヴは父親違いにもかかわらず、実の兄弟のように育ったのだった。
「いや、そういうんじゃないよ。エレノアが湯当たりをおこしてしまって…」
「は?湯当たり?」
「うん。ああ、そうそう。明日からバッシュ侯爵邸に移り住む事になったよ。予定外に遅くなってしまったから、学院長には明日話を付ける。済まないけど荷物の運び出しの手配はよろしく」
「はぁ!?なんだそれ!おいおい、それもエレノアの我儘か?大体、お前の婚約が決まってからも寮暮らしだったのは、あいつの所為だったじゃないかよ!?」
「いや、エレノアが頼んだんじゃないよ。僕がそうしたいからやったんだ。…で、当然君も来るよね?」
「…そりゃあ、俺はお前の執事なんだから、行くに決まってんだろ」
不満そうな兄に苦笑が漏れる。彼はエレノアに対して良い感情を持っていないからなぁ。
「何度も言うけど、君の家も一応爵位持ちなんだから。わざわざ僕の執事なんてする必要ないんだよ?」
「ほっとけ!これは俺が好きでやってる事なんだから。それに名誉男爵なんて、親父の代限りの文字通り名誉職だろが。…お前の傍にいてやる為には、この立場が一番いい」
「クライヴ…有難う」
同じ母を持つとはいえ、父親違いの僕の事を、彼は弟としてとても大切にしてくれている。
僕にも弟がいるのだが、母親違いの為か、仲は悪くないものの、ちょっと距離がある感じだ。だから猶更僕も、実の兄弟以上にクライヴの事を兄として慕っていた。
そんな彼が僕に執事として仕えると言ってきたのは、僕が妹であるエレノアの筆頭婚約者に選ばれた時だった。
筆頭婚約者とは、あらゆるものから大切な婚約者である女性を守る責務を負う。
クライヴはそんな大役を任された僕を心配し、僕を助ける為に家臣に下ってくれたのだ。
「それにお前一人じゃ、我儘に育てられた女猿の相手はしんどいだろ」
貴重な女性に対し、『女猿』などと言い切ってしまうクライヴは、女性全般を苦手としている。
――数少ない女性達は国家の宝であり、真綿で包むように守らねばならない尊い存在。
この国に生まれた男子は、幼い頃からそう言い聞かされて育つ。
そんな男性達に大切にされる女性達は、僅かな例外はあれど、総じて我儘で己の欲望に忠実だ。
クライヴ共々12歳になった時からこの学院に通っているが、貴族の子女達も当然入学してくる。
だが、彼女たちの目的は学ぶ事ではなく、少しでも他より好条件で、自分好みの男性をどれ程射止める事が出来るか…にある。
そのおかげで僕もまあ…色々あった。
基本、男性は女性の誘いや願いを断るのが難しいので、結構大変な目に遭ったのも、一度や二度ではない。
それはクライヴも同様だった。
彼は親が一代限りの男爵位と、身分的なスペックこそ並みの貴族達に劣るものの、持ち前の膨大な魔力量と父親譲りのずば抜けた身体能力を持ち合わせている稀有な存在だ。
生粋の貴族のような気品は持ち合わせておらずとも、男性的で野生的魅力を持ち、無意識に女性達を惹き付けてしまう。
結果、好む好まざるとかかわらず、下手な高位貴族達よりも、女性からの熱烈なアピールを受けるようになってしまったのだ。
幼い頃から『女』を前面に出し、全ての我儘が叶えられて当然と信じ切っている彼女らに、いつしかクライヴは嫌悪感を示すようになってしまった。
だからこそ、世の女性達同様、我儘なエレノアに対しては、妹という事を差し引いても良い感情を持てないでいるのだ。
僕はと言えば、女性とはそのようなものという認識を持っているせいか、クライヴ程は女性に対して悪感情を持っていない。
性に対して奔放なのも好色なのも、少しでも多くの子を成す為だと考えれば、その対価として我儘になるのも当然かもと思ってしまう。
『私、貴方となんて結婚したくない!私は王子様と恋に落ちるのよ!』
初対面の時、夢見がちなエレノアに言われた台詞だ。
クライヴに至っては兄とも認めず、あくまで僕の執事として扱っている。
それでも僕は、妹である彼女を愛しく、大切に思っている。
母親譲りのヘーゼルブロンドの髪と、インペリアルトパーズのようにキラキラ輝く大きな瞳を持った愛らしい子供。
男が生涯守るべき者。『女性』というかけがえのない存在。
だから、頑なに僕との婚約を嫌がる彼女が少しでも心穏やかに過ごせるようにと、屋敷で一緒に暮らすのを止め、寮での生活を継続した。
いつかは『僕』という存在を受け入れてくれたら…。そう願いながら、呆れるクライヴを尻目に、折に触れて彼女の元を訪れた。
なのにまさか…。
『エレノアが記憶を失くしてしまうなんて…ね』
記憶を失ったエレノアは、まるで別人のようだった。
いつも不機嫌そうに向けられる眼差しは、戸惑いと不安に揺れていて庇護欲をそそった。
しかも信じられない事に、「心配をかけてしまった」と、僕だけでなく使用人達にも頭を下げたのだ。あのエレノアが!
こんな事、クライヴに話したところで、多分信じてもらえないだろう。
『それにしても…』
あれ程嫌がっていた僕との婚約。それを解消しようかと言った時の彼女のあの反応。
『心を入れ替えるから、私のそばからいなくならないで』なんて、あんな縋るような眼差しで言われてしまえば。湧き上がってくるのは、たまらなく甘美な背徳感を伴う喜び。
我儘を言ったからバチが当たっただなんて…。
まだまだ子供の彼女が言う我儘など、この学院の御令嬢達に比べれば、何とも微笑ましいものでしかない。だから天罰なんてそんなもの、起こる訳ないじゃないか。
そう言おうとして、ふと僕は考えを改めた。
――あのまま誤解してくれていた方が、僕にとっては都合が良いじゃないか…と。
何よりも、僕の言う事にいちいち素直に反応したり反省したり、羞恥に身を震わせたりする姿なんて、うっかり苛めたくなってしまうぐらいに愛らしかった。
それに元々愛らしかったのに、変わってしまった性格と相まって、見た目の破壊力が半端なくなっている。あの潤んだ上目遣いに、平静を装うのにどれ程苦労した事か。
「…随分とご機嫌だな」
「え?」
「口元。笑ってる」
いけない。うっかり思い出し笑いをしてしまったらしい。
ともかく明日から、僕の愛しい婚約者との生活が始まる。クライヴもきっと、今のエレノアなら受け入れてくれるだろう。
新生活への期待と喜びに想いを馳せる。
――もっともっと、彼女の目を僕に向けさせてしまいたい。
無垢な状態になった彼女に、余計な知識や男が近付く前に、ゆっくりと甘く、それこそ真綿で包むようにエレノアの心を雁字搦めにしてしまいたい。いや、そうしなくては。
「そういやお前、何でバッシュ家に呼ばれたんだ?」
「ん?ああ。実はエレノアが記憶喪失になってしまってね」
「はあああぁー!?」
爆弾発言に絶叫するクライヴに、僕は楽し気に今日一日の出来事を話し始めたのだった。
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