第225話 きっと守るから

「おや?こんな薄暗くて汚らわしい場所に、まさか美しい花が舞い降りて来るとは…ね」


堅牢な、最高術式で強化された鉄格子の向こうで、簡素なベッドに腰かけたケイレブが、エレノアを見つめながら、いつもの喰えない笑顔を浮かべていた。


既に治療は終えているようだが、その端正な顔の左半分を覆う眼帯の周囲には、焼けただれた痕が残っており、膨らみの無いペラリとした服の袖からも、オリヴァーによって切り落とされた右腕がそのまま再生されていない事が分かる。

そしてその首元には、黒く光る首輪が嵌められていた。多分それは、兄のパトリックの足首に在るものと同じ『隷属の首輪』だろう。


今回の騒動に関し、彼は兄と慕った前ボスワース辺境伯が死ぬ原因となったとして、恋人であった侯爵令嬢への憎しみと、彼女に直接の罰を与えなかった王家への不信から『魔眼』を慧眼したブランシュ・ボスワースを使い、この国の王家ならびに中央貴族達に対し、恐怖と混乱を与えたかった…と自白しているようだ。


あくまでこの一件は、ブランシュ・ボスワースを利用した、自分の身勝手な復讐劇だとして、ユリアナ領の騎士達やボスワース家に連なる者達の関与を一切否定したのだった。


その結果、王家は彼を今回の事件の主犯とし、ブランシュ・ボスワースは操られて実行犯となったとして、ボスワース家やその配下である騎士達には一切の咎が無いとした。


最も、ボスワース家はその決定に対し、「一族から罪人を出してしまった罪は、一族全体で贖う」とし、後を引き継いだ新当主は、侯爵位相当だった地位を返上し、あくまで地方の一領主として、ユリアナ領を守っていく事を決めたそうだ。


「それで?お姫様は僕に何の用なのかな?ああ、ひょっとして、僕が処刑される前に恨み言を言いに来たの?」


あくまで軽く、寧ろ楽しそうにそう話すケイレブを、エレノアはただ無言で見つめる。その後方には、気遣わし気な様子のマテオが控えていた。そして常に数人付けられていた看守は、この場に誰一人いない。


「…あのね、ケイレブ。…母様、妊娠しているんだって」


その瞬間、ケイレブの顔から笑みが消え、驚愕の表情が浮かんだ。


「…それって…まさか…」


「…多分…。ううん、確実にそう・・だって」


「……それで?それを僕にわざわざ言いに来たのは何で?当然、その子は処分されるんだろう?」


ケイレブの顔に、歪んだ笑みが浮かんだ。


今回の騒動の真実は、国の重鎮を殺害しようとし、身勝手に懸想した少女を奪い去ろうとするものだった。


この国において、許されざる重罪を犯した主犯の血を継ぐ子供を、そのまま無事に生かしておく事など有り得ないだろう。そもそもバッシュ公爵夫人自身が、産む事を拒否する筈だ。


――それを自分に知らせる事により、自分にされた非道な仕打ちと…そして、大切な者を傷付けられた恨みを晴らそうとでもいうのだろうか…。


だが、次の瞬間、そんなケイレブの予想を裏切る言葉が、エレノアの口から言い放たれた。


「処分なんてさせないよ!母様も、絶対産むって、国王陛下や宰相様に宣言したんだって」


「え?!」


「私も…。私もね、その子が無事に元気に生まれて欲しいって思っている。だって、私の弟か妹になるんだもん」


「…何故だ?君にとって僕やブランシュは、憎い敵の筈だろう?なのに何故、そんな…」


思わず、声が掠れ、震える。あんな目に遭わせたのに、何で…?


「そりゃあ、怒っているよ!貴方にも、ボスワース辺境伯にも!母様を騙した事も、兄様達や殿下方や、父様方に酷い事したのも…。その事については、絶対許さない!」


強い口調でそう言い切った後、エレノアの顔が泣きそうに、クシャリと歪んだ。


「…でも、お腹にいる子は何もしていない。ただ、この世に生を受けただけ。なんにも悪い事していないじゃない。なのに罰せられるなんて、そんなの有り得ない!…だから、絶対守る!誓って誰にも傷付けさせない!!…例え、魔眼を持っていたとしても…。私が絶対暴走させないから!」


いつの間にかしゃがみ込み、鉄格子を掴みながら、必死に自分に向けて声を発するエレノアを、ケイレブは信じられないものを見る思いで見つめた。


―…今迄、自分の周囲にいる女は、全員同じだった。利己的で、欲深くて、愚かな子供のように、自分の事しか考えられない我欲の塊。


いつしか『女』という生き物は皆、そういうものなのだと思い込んでしまっていた。


だが、あんな酷い目に遭わされてなお、目の前の少女は憎い筈の男の子供を守ると言い、その母親は騙した男の子供を、国王に盾ついてでも産むのだと宣言している。


――僕は…間違っていたのだろうか…。


ツゥ…と、残った右目から、涙が頬を伝う。


自分の兄と甥…。誰よりも大切だった人達。永遠に失ったと思った彼らの血がひっそりと芽吹いていただなんて…。


『多分、その子が生まれて来る頃には、自分はこの世にいないだろうけど…』


それでも、その子の傍にはこの少女がいる。


女神の様な慈悲深さ。そして強さを併せ持った稀有なる少女。きっと彼女なら、言葉の通りにその子を愛し守り、大切に育んでいってくれるに違いない。


――それにしても…。この少女といい、バッシュ公爵夫人といい…。


『ブランシュ。お前、父親と違って女を見る目があったんだな』


不意にケイレブの脳裏に浮かんだのは、高位貴族であるにもかかわらず蓮っ葉で、世の女性達同様、奔放な割りに裏表の全くなかったマリアの姿。

自分の『魔眼』の事や、過去に犯した罪ゆえ、女性と深く関わる事を意識的に避けていたブランシュが、初めて懇意にした女性だった。


彼女とは、ブランシュを間に挟んで、よく互いに罵り合いを行ったものだったが、不思議と彼女に対し、黒い感情を持つ事は無かった。


自分もパトリック・グロリスを牽制する為、彼女を人質として扱いはしたが、例えあの男が裏切ったとしても、彼女を傷付ける事は無かっただろう。ブランシュもきっと、自分と同じ思いだったに違いない。


この世に『もしも』など有り得ないが、もし事を起こす前に、バッシュ公爵夫人の妊娠が分かっていたら…。あんな事を起す事無く、ブランシュも自分も、生まれた子供と共に幸せになっていたのかもしれない。


ケイレブはベッドから降りると、冷たい石畳の上に正座し、額を床に擦り付けるように、深々と頭を下げた。


「エレノア・バッシュ公爵令嬢。君には本当に申し訳ない事をした。…君の母上にも…。ブランシュの分まで、心からの謝罪をさせて頂きたい。…そして、有難う。君をこの世に生み出してくれた女神に、心からの感謝を捧げる」


物心ついてから、女神には一度も祈る事など無かった。


だが今は、この奇跡の様な少女をこの世に誕生させてくれて有難うと、何回でも声を大にして言いたい気分だ。


この少女なら、きっとこの世界の歪な男女の関係を、正しい方向へと導いていってくれる事だろう。


顔を上げたケイレブは、目の前の心優しい少女に向け、心からの笑顔を浮かべた。






「…お前があの男に会いに行くって言った時は、真面目に肝が冷えたぞ」


「ごめんね。…でも、それでも連れて来てくれて有難う」


「気にするな。…まぁ、後で兄様に説教喰らうかもしれないがな…」


「ほ、本当に御免!」


まだ体調が不完全なエレノアを横抱きにし、地上に戻る為に薄暗い螺旋階段を昇りながら、マテオがボソリと呟いた。


「…子供を助けるにしたって、あの男の前では『見捨てる』と言ってやっても良かったんだ。…なのにお前はそうしないんだな…」


こういう閉鎖空間は、靴音が反響しやすい。案の定、反響した音の所為で上手く聞き取れなかったエレノアが、小首を傾げる。


「え?何か言った?マテオ」


「何も」


きっとエレノアは、全ての罪を抱え逝こうとするあの男に、心の安らぎを与えたかったのだろう。

自分からすれば、頭に馬鹿が付く程のお人好しだ。およそ理解出来ない。…だが、それもまたこの少女らしい。


「…私も祈りたい気分だ…」


「?」


――女神様。このかけがえのない存在を、私に引き逢わせて下さって、感謝致します。


不思議そうな顔をしているエレノアに、マテオは我知らず笑顔を浮かべた。



===============


たらればは、常に人生に付きまとう切ないものです。

でも大切な子供が、守られ幸せになるだろう確信を持ったケイレブは、きっと救われたに違いありません。


本日、この作品の発売日を迎える事が出来ました!

応援して下さった方々、本当に有難う御座いました(ノД`)・゜・。

各書店様にて販売中です。詳細は改めて近況ノートにてアップしますので、気になる方はそちらをご覧になって下さい。

これからも、楽しく読んで頂けるようなお話を頑張って更新していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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