第224話 被害者と加害者
「母上がそんな…!エレノアの心身を傷付け、我が物にせんとしたあの男の子供を産もうなど…。正気なのか!?」
「オリヴァー、落ち着け!」
ベッドから跳ね起き、今にもアイザックに詰め寄らんばかりのオリヴァーを、クライヴが慌てて止める。
「母上も何を考えているんだ?!…自分をあんな目に遭わせた男の子供を…何故…!?」
苦渋の表情を浮かべ、ふり絞る様に声を震わせながら、心情を吐露するオリヴァーの背を宥めるように軽く叩きながら、クライヴもまた、厳しい表情でアイザックの方へと向き直った。
「…公爵様、お袋…いや、母は本当にそう言っていたのですか?」
「ああ。『
「………」
いかにもあの母が言いそうな言葉に半目になりながら、クライヴはなおも言い募った。
「…まだ、あの男の精神干渉の影響が残っているのではないのでしょうか!?」
「いや、それは無いだろう。僕もそう思って、メルヴィルや聖女様に診てもらったからね。…母子共に健康そのものだそうだよ」
「そう…ですか」
「…本来であれば、どのような事情があろうとも、女性が産むと決めた子には、何人たりと手出しはご法度。…だが今回においては…」
そこまで言ってから、アイザックは表情を曇らせた。
そう、希少な尊ぶべき女性の望みであり、国の宝とも言うべき、次代を担う大切な子供。…だがその子供は、国家反逆とも言える前代未聞の騒動を起こし、自分の親友達やその子供…そして、大切な妻と我が子の命すら脅かした、憎んでも憎み切れない大罪人の子なのだ。
――ただこの世に生を受けただけ…。
真っ白い、無垢な状態で生まれるその子に罪などあろう筈が無い。それは分かっている。だが、大罪人の血を受け継ぐ子の誕生を容認するのは難しい。
最も過酷で最も重要な、北方の地の守り手たる『ボスワース辺境伯家』を断絶させる事は出来ない。ユリアナ領において、その家名は誇りであり、心の拠り所だ。
だから今回の騒動は、突然『魔眼』を開眼してしまったブランシュ・ボスワースがその力を暴走させ、引き起こした事件として処理し、ボスワース辺境伯家には、傍系であるブランシュ・ボスワースの従弟が継ぐ事となった。
それもこれも、首謀者であるブランシュ・ボスワースが死に、直系が絶えたからこそ出来た落しどころなのである。
なのに、その血を継ぐ直系の子が生き残ってしまったとあれば…。
本来であれば、その妊娠を『無かった事』にする処置をとるところだ。
だが、その子を宿した母親は、この一件での被害者の一人でもあるのだ。その彼女が『産む』と言っている。
それ故、自分や王家ですら、母である彼女の意志を無視し、迂闊に手をかける訳にはいかないのだ。
――それにしても…。
この騒動の被害者であるマリアが、最大の加害者の子供を身ごもり、ましてや産む選択をするなどと、一体どんな女神の悪戯なのだろうか。
「王家はアイザックと話し合いを行った。その結果、この件はエレノア・バッシュ公爵令嬢の判断に一任する事とした」
静かに告げられたアイゼイアの言葉に、再びその場が騒然とする。
「国王陛下!?」
「父上…それは…!!」
「お前達も分かっていると思うが、エレノア嬢はこの一件における最大の被害者だ。その彼女の決定を、我々は支持する」
「そんな…!エレノアであれば…。優しいあの子であるのなら、選ぶ答えはもう決まっているようなものではありませんか!!なのに判断をあの子に託すなど…!」
オリヴァーの言葉に、アシュルも同意する様に頷いた。
「寧ろ何故、エレノアに判断を委ねたのですか?オリヴァーの言う通り、あのエレノアであれば、例えどれだけ憎い相手の子であれ、害する判断を下せるとは思えません。ましてや自分と血の繋がった弟か妹を…。何故、そんな残酷な決断をあの子にさせようとなさるのですか!?」
クライヴやセドリック、そしてディラン、フィンレー、リアムも、揃ってその言葉に頷く。
「そうだ!そんなの、エレノアに決断を丸投げしたようなもんじゃねぇか!」
「あんな目に遭って…。そんな事を決めなければいけないなんて、酷過ぎる!エレノアが可哀想だ!」
「…可愛そうなどと、勝手に決めつけるのは如何なものかと思いますよ?殿下方」
不意に、柔らかい声と共に、一人の人物がまるで違和感なく、防音結界を施された筈のその場に入り込んで来た。
「パトリック!」
「アイザックおじ様。それに国王陛下並びに王弟殿下方、そして聖女様。失礼致します」
優雅に貴族の礼を取るパトリックを、オリヴァー達やアシュル達が驚きの表情で一斉に見つめた。
特に、ほぼ初対面のアシュル、ディラン、フィンレー、リアムは、不意の訪問者であるパトリックの姿を、興味深そうに見つめている。
「…君が今ここに入って来れたのも、あの時同様『時』の魔力を使って…なのかな?」
「ええ。防音結界が施されていたようなので、ほんの少し、
「…成程。父上達が、君に
アシュルの言葉に対し、ただ微笑を浮かべたパトリックは、アイザックの方へと顔を向けた。
「アイザックおじ様。母様の妊娠の件及び、国王陛下方の決定について、エレノアに仔細伝えてまいりました」
「え!?君、もう話しちゃったの!?」
ニッコリ笑顔でサラリと告げたパトリックに、アイザックが驚愕する。それに対し、パトリックは笑顔を崩す事無く、ゆったりと頷いた。
「ええ。こういう事は、先延ばしにするべきではありません。なんといっても命そのものがかかっているのですからね」
「パトリック兄上!!なぜ僕達がいない時に、そのような先走った事を!?」
おっとりと微笑む兄に対し、オリヴァーが思わず噛み付く。
その責める様な口調に、だがパトリックは動ぜず、穏やかな表情のまま口を開いた。
「オリヴァー。君がエレノアを心配する気持ちはよく分かるよ。だけどエレノアはただ、男に守られるだけのか弱い存在ではない。…今回の件は、あの子の心に深い傷をつけた。だけどきっとあの子なら、ちゃんと自分自身で考え、自分だけの力で、前に進もうと頑張っていける筈だ」
「…パトリック…兄上…」
「それに、そういう子だからこそ、君もここにいる子達も全員、エレノアに惹かれたんだろう?」
「………」
オリヴァーとパトリックは暫くの間、無言で見つめ合い…やがて、オリヴァーが深い溜息をつき、肩の力を抜いた。
「ちなみに兄上。…エレノアはなんと…?」
「君なら、エレノアの選択は分かっていると思うけど?」
「…ええ…」
そう。エレノアの選択など、あの子を知る者達ならば聞かずとも分かっている。
もし、お腹の子の処分が決定されたとしても、きっとあの子は自分の身を挺してでも子を守る為に奮闘するに違いない。
そんな子だから、誰もがあの子を心の底から愛するのだ。
「今回の決定は、マリア母様とお腹の子を守る為だけではなく、エレノアにとってもきっと救いになる…。そう判断したからこその、王家とおじ様の決断なんだよ。君達にとっては、割り切れない事だろうけどね」
パトリックの言葉に、オリヴァーの唇にほろ苦い笑みが浮かぶ。…兄の言う通りだ。割り切れる筈がない。
自分から最愛の少女を奪おうとしたあの男。何百回殺しても足りぬ程の憎しみと殺意は、未だに身の内に燻っている。
しかもあの男は死してなお、エレノアを苦しめているのだ。叶わぬと分かってはいても、正直自分自身の手で八つ裂きにしてやりたかった。
…だけど…。
ほんの少しだけ、あの男が狂ってしまった気持ちが分かってしまう自分がいるのも事実だ。
エレノアを誰憚ることなく愛する事の出来る立場と、エレノア自身からの惜しみない愛情を受けられる幸運。あの男が決して得られる事の出来無かった自分の立ち位置。
もし自分があの男の立場だったとしたら…。果たして道を踏み外さずにいられただろうか?
「…分かりました、パトリック兄上。僕もエレノアの決定を、全力で支持します。…それに今、母の胎の中にいる子は、あの男の子であると同時に…僕達と同じ血を持つ兄弟でもあるのですから」
「ふふ…。良い子だね、オリヴァー。それでこそ私の自慢の弟だ」
「有難う御座います。パトリック兄上」
部屋の張り詰めた緊張感が解け、僅かではあるが、穏やかな空気が流れ始める。
「ああ、そうだ。オリヴァー、それにクライヴ。一応言っておくけど。私は『兄上』ではなく、『姉上』だから。今後は間違えないようにね?」
「……は…?」
嫣然とした笑顔のまま、言い放たれた爆弾発言に、その瞬間、柔らかくなった空気が再び凍り付いたのだった。
――その頃。
王宮の最下層。世に出す事が出来ぬ囚人を収監する為の監房の前に佇むエレノアの姿があった。
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オリヴァー兄様、何気にたらればで自分の事を冷静に捕らえておりました。
そしてパト姉様。雰囲気クラッシャーでした。流石はエレノアの姉ですね。
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