第61話 夜会の後のお話【バッシュ公爵家編①】

「…ノア…ま…エレ…さま…!」


『……あれ…?』


暗闇の中、誰かが必死に何か叫んでいる…?


「エレノアお嬢様!」


私はやけに重く感じる瞼をゆっくり開いた。


「――ッ!エレノアお嬢様!?…お、お嬢様!!お気が…付かれたのですね!?」


途端、目の前に飛び込んで来たのは、泣き腫らしたような真っ赤な目で私を見つめるウィルの顏だった。

そしてどうやら私はベッドに横になっているらしく、他にも沢山の使用人達が心配そうに私の様子を伺っている。


「お嬢様、私がお分かりになりますか?」


先程までとは一転、気を使う様に静かに問い掛けられ、私は掠れた声で彼の名を呼んだ



「…ウィル…?」


「――ッ!はい!ウィルです!…お嬢様…。ああ…本当に…。本当に良かった!ご気分は?どこか痛い所とかはありますか?!」


途端、また凄い勢いで私に話しかけてくるウィル。言われてみれば、やけに身体が重怠い。力もあんまり入らないし、頭もボーッとする。


え~と…。確か私、ワーズに一発ぶちかまそうとしたら、物凄い力で引っ張られて…。そのまま意識がフェードアウトして…。


というか何で私、ベッドに寝かせられてるの?そんでもって何でウィル、そんな泣き腫らしたような顔してるの?というか、現在進行形で泣いてますけど、この人。


「うう…。女神様、感謝致します!こ…このままお嬢様が目を覚まされなかったらと思うと…私は…私は…っ!!」


「本当に良かったです!お嬢様!」


「貴方様に何かあったら、私共も生きてはおれません!」


ウィルに続いて他の使用人達も、次々とそんな事を言いながらすすり泣き始める。おいちょっと君達、本当に一体どうしちゃったの?!


「もうじき、旦那様方やお兄様方もいらっしゃいますからね?どうかそのまま、お気をしっかり持たれませ!誰か!先生をこちらへお連れしろ!」


ウィルの言葉に、使用人の一人がバタバタと慌ただしく部屋を出て行った。…え?先生?そういえば「気分は?」とか「どこか痛くないか?」とか聞かれたけど、どういう事なんだろう。


あ!そう言えばワーズが『身体の方になにやらトラブルがあったようだ』って言っていたな!ひょっとして、これがそのトラブルってやつ?


「ウィル…。私、どうしちゃったのかな…?」


ちょっと不安そうにそう尋ねた私に、ウィルは涙を拭いながら、ここに至るまでの説明をしてくれた。


ウィルの話しによれば、どうやら私が幽体離脱してから一時間程経過した後、ジョゼフとウィルが「そろそろ就寝準備を…」と、私の部屋を訪れたのだそうだ。


そして彼らは目にしてしまったのだ。――…薄暗がりの部屋の中、床に倒れ伏している私の姿を。(そういえば精神体になった時、身体が床に倒れていたのを見たような…?)


しかも絨毯には大量の血が染み込んでいたらしく、まずはジョゼフが「お嬢様ー!?」と叫ぶなり、ショックのあまり膝から崩れ落ちた。


そしてウィルが、パニックになりながらも私の元へと駆け寄り、私を抱き起こした。その瞬間、顔の下半分からドレスに至るまで血塗れ状態になった私を目にしてしまい、あまりのショックから「お、嬢様がー!!」と叫ぶなり、そのまま気を失ったのだそうだ。


――…ん?ちょっと待て。顔の下半分からって…まさか鼻血…?


「最初は外傷か、もしくは吐血されたのかと思いました。…ですがどうやら、お鼻からの出血だったらしく…」


あ、やっぱ鼻血だった。


それからジョゼフとウィルの悲鳴を聞きつけ、慌てて駆け付けた他の使用人達も、次々悲鳴を上げたり腰を抜かしたりウィルのように気を失ったりと、まさに阿鼻叫喚と言った状態になったそうだ。


その後、根性で復活したジョゼフが、気絶している面々を張り飛ばして正気に戻させ、医者を呼んだり血塗れになった私を着替えさせてベッドに寝かせたりしてくれたんだそうだ。勿論、影達を父様方の元に飛ばすのも忘れずに。


そ、そうだったのか。あ、よく見てみれば、ウィルや他の召使達の頬にクッキリと手形が…。


あれ?そういえば、そのジョゼフは一体どこに?


「ジョゼフ様は、お医者様がいらした時点で力尽き、今現在寝込んでおられます」


――ジ、ジョゼフー!!


ごめんよジョゼフ!老体にそんなショッキングなモン見せてしまって!真っ白いドレスを鮮血に塗れさせて倒れ伏す少女なんて、まさにサスペンス劇場の王道じゃないか!そりゃ物凄いショックですよ。ってか、そこまで鼻血噴けば貧血にもなるさ。成程、だから身体の緊急事態って事で、精神体が引きずり戻されたのか。


ジョゼフ…。下手すれば仙人になる前に、心臓発作であの世行きだったかもしれない。不可抗力だったとはいえ、本当に申し訳ない事をした。


それにしても、「精神体だから鼻血噴かなくて良かった」って安心していたってのに、身体の方が、しっかり鼻血噴いていたとは思ってもみなかったな。身体と心って、やっぱ繋がっているんだね。うん、勉強になった。


それにしても、皆がパニックになる程、鼻血を噴いてしまったとは…。


まあ、あれだ。あの凶悪なロイヤル・カルテットの顔面攻撃が半端なかったからだ。特に最後のフィンレー殿下の攻撃は凄まじいの一言だった。多分だけど、こんな大量出血したのは、まさにあの方の猛攻が原因だったんだろう。闇(み)属性、恐るべし!


そんなこんなしているうちに、ジョゼフを診察してくれていた先生が、再び私を診る為に戻って来てくれた。小柄で白髪の可愛らしいお爺ちゃん先生で、いつ見てもニコニコしている人なのだ。私の第二のお爺ちゃんだね。


ちなみに、第一のお爺ちゃんはジョゼフです。実のお爺ちゃんには、何故かまだお会いした事ないんだよね。何でだろ?


このお爺ちゃん先生、実は私が産まれた時に取り上げてくれた方なんだそうだ。なんでも代々、バッシュ公爵家と懇意にしている医師の家系なんだって。


お爺ちゃん先生、一通り私を診てから「貧血以外問題なさそうですね。お薬飲んで栄養取って、二日ほど安静にしていなされ。後、当分の間は果物を大量摂取するのは控えるようにね」と言って、私の頭を優しく撫でてくれた。…ん?先生、何なんですか?その果物の大量摂取って?


――ガッシャーン!!


「エレノア―!!」


「きゃあああっ!!」


突然、ド派手な破壊音と共に、部屋の窓ガラスが派手にぶち破られ、グラント父様とクライヴ兄様が血相を変えて飛び込んで来た。


ちょ…ッ!父様!兄様!いくら窓からベッドが離れてるからって、窓ぶち破らないで下さいよ!ほらー!使用人達の何人かが、ガラス被って悲鳴上げてる!


そして私の方も、悲鳴を上げた拍子に貧血を起こしてベッドに沈み込んでしまいました…。なのにそんな私を、クライヴ兄様とグラント父様が、ベッドの両端から奪い合う様にぎゅうぎゅうと抱き締めまくってくれる。こ…この親子…!


「良かった…!お前が血まみれ状態で意識不明になったって聞いて、生きた心地がしなかったぞ!!」


「一体全体、誰にやられたんだ!?安心しろ、俺が必ずお前の仇を討ってやる!骨の一欠けらすら、この世に残さねぇ!!」


「ク、クライヴ兄様…グラント父様…」


「落ち着いて下さい」…という言葉は、残念ながら頭に血が上った彼らの耳に届かなかったようだ。


「クライヴ様!グラント様!貴方がた、一体全体どこから入って来てるんですかー!?」


青筋を浮かべて叫んだウィルの言葉も、どうやら彼らの耳には届かなかった模様。


「エレノアッ!エレノアは無事なのか?!」


クライヴ兄様達に遅れる事数分。オリヴァー兄様までもが、破壊された窓から現れました。


「オリヴァー様までー!ちゃんとドアからお入りくださいってば!!」


当然のごとく、オリヴァー兄様の耳にもウィルの抗議の声は届かない。

オリヴァー兄様はクライヴ兄様とグラント父様を押しのけると、私を力一杯抱き締める。


「ああ…僕のエレノア!無事だったんだね!!」


「オリヴァー!お前、後から来てエレノアを独占すんなよ!」


「そうだそうだ!俺達の方が早く駆け付けたんだからな!早いもん勝ちだぞ!」


「早いも何も関係ありません!僕はエレノアの筆頭婚約者なんですから。真っ先にエレノアを心配する権利と義務があります!」


「みなさまー!!エレノアお嬢様はお具合が悪いのですよ!?頼みますから、落ち着いて下さいっ!!」


――もはや私の寝室はカオスである。


ともかく、兄様達やグラント父様に、奪い合うように安否確認されたり抱き潰されたりしている間に、アイザック父様、メル父様、そしてセドリックが駆け付けてきた。…何故かやはり窓から。


「エレノア!私の命!生きていたんだね?!ああ、女神様!感謝いたします!!」


父様…。はい、生きております。ご心配おかけして申し訳ありません。


「可愛いエレノア!一体何があったと言うんだ!?ひょっとしなくても、結界が甘かったのだな!よし、今度は敷地に足を踏み入れた瞬間、不届き者が八つ裂きになる術式を…!」


あ、あの結界ってメル父様が張ってたのか…。って!納得している場合じゃない!メル父様ー!!やめて!それだけはやめてー!!


「エレノア!大丈夫なの!?君に何かあったら僕は…!僕はもう生きていけない!!」


セドリック…お願い。私に何があっても生きてくれ。後追いなんてされたら、それこそ死んでも死にきれない!


「だーかーらー!旦那様がたも若様がたも、いい加減落ち着いて下さいーッ!!」


あ、ウィル。涙目になってる。う~ん…。ウィルも頑張っているんだけどなぁ。絶対的に相手が悪すぎる。こういう時はやはり、ジョゼフがいないとどうにもならんな。

あの家令はこういった場合、どんな相手であろうと有無を言わさずビシッと仕切るからね。ああいうのを年の功って言うのだろうか。


という事は、ウィルもいずれはああいう風に…ならないか。うん。でもそれがウィルだしね。今のままでいてくれればそれでいいや。


「アイザック様、皆様、落ち着いて下され。このままでは、お嬢様のお身体についての説明が出来ませんですぞー?」


のんびりとした声に、その場の喧騒がピタリと止まる。声の主はお爺ちゃん先生だ。こちらも流石は年の功。態度や見た目は正反対ながら、何となくジョゼフに通じるものを感じる。


「せ、先生!エレノアは…エレノアはどうしてこんな事に!?」


「ああ…その事ですが…。ここではなんですので、別室に行きませんかな?」


先生のその思わせぶりな台詞に、その場の全員の表情に緊張の色が走った。


あれ?もしもし先生?私、鼻血の出し過ぎで貧血起こしただけですよね?何でそんなシリアスチックな雰囲気させちゃってんですか?――ハッ!ま、まさか…先生!私が幽体離脱した事、見抜いちゃった…とか!?ヤバイ!そんな事を兄様方や父様方に話されたりでもしたら、真面目に私の命が危ない!


「せ、先生…!そ、その話をするのは…」


動揺しながら、お爺ちゃん先生の服の裾を掴む私に対し、お爺ちゃん先生は全てを悟ったような、慈愛のこもった微笑みを浮かべながら頷いた。


「大丈夫ですよお嬢様。ここは全て、私に任せておきなされ」


そんな謎セリフを残し、お爺ちゃん先生は兄様達と共に、私の部屋を出て行ってしまったのだった。

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