第101話 淑女とオーバーオール

「オリヴァー兄様、クライヴ兄様、いってらっしゃいませ!」


「ああ、行って来るよエレノア」


「エレノア、俺達がいなくても良い子にして待っているんだぞ?」


「はいっ!休日だというのにお疲れ様です!兄様方のご無事のお帰りを、心よりお待ちしております!」


「エレノア…有難う!」


「ああ、なるべく早くに帰ってくるからな!」


私の言葉に、感極まった様子の兄様方は、いつものごとく私を抱き締め、代わる代わる口付けをしてから、名残惜しそうに何度も振り返りつつ、馬車へと乗り込んでいった。


――本日は土曜日。学院がお休みの日である。


なのに何故、兄様方が馬車に乗り込んでいるのかと言うと…何でなんだろう?私にもよく分かりません。


なんでも、王宮から要請があって父様方のお仕事のサポートに行くとかなんとか。そのお仕事がなんなのか、何故か私には内緒なのだ。


「ねえ、セドリック。セドリックは兄様方がお手伝いしているお仕事の内容、知ってるの?」


小さくなっていく馬車に手を振り、見送りながら、私の横にいるセドリックに聞いてみる。


「う~ん…。知っているけど…。口止めされているから教えられない」


「御免ね?」と困ったような笑顔のセドリック。それってつまり、獣人対策の一環って事なのかなぁ?やっぱり今回の彼らの留学には、何か裏があるんだろうか?


それにしてもセドリック…。最近増々背が伸びてしまって、見上げないと顔が見えない。いずれは兄様方と肩を張る程になるのかな。なんか置いてけぼり喰らっているみたいで寂しいな。


やがて、完全に馬車が見えなくなる。そのタイミングでセドリックに「お茶にしようか?」と誘われたのだが、私は謹んでお断りする。すると、セドリックは気を悪くするどころか、どこか含みのある笑顔を浮かべた。


「そう?じゃあエレノアが戻って来たらお茶にしようか。その時の為に、僕もこれからお腹に溜まりそうなお菓子や軽食を作っておくから」


――あ…バレてる。


「あ、有難う!…えっと…実はもう一つ頼みが…」


「分かってるよ。もし兄上達が急に帰ってこられたら、すぐに知らせに行ってあげる」


「有難う!セドリック、大好き!!」


セドリックに抱き着き、頬にキスをすると、セドリックは嬉しそうに私の身体を抱き締めた後、戯れるように、軽いキスを何度も私の唇に落とした。


「…今から誕生日が待ち切れないよ」


「うん!期待していてね?」


額をくっつけ、笑い合いながら、もう一回口付けをした後、私は自分の部屋へと向かった。…そう、兄様方が揃っていなくなった今が、『アレ』を着るチャンスなのだから。




そうして自室に戻った私は、クローゼットの扉を開けると、一番隅の方にひっそり置かれた籐の籠のようなものを取り出し、蓋を開ける。


そこには、私の前世におけるデニム生地のような、汚れにも水にも強い丈夫な生地のオーバーオールとピンクの長靴、そして麦わら帽子が収納されていたのだった。


私は急いでそれらを着こむと、ドアの前にて待っていたウィル共々、なるべく人目につかないように屋敷の外へと出る。


「ウィル…ジョゼフは?」


「只今の時間、ジョゼフ様は旦那様の執務室にいらっしゃる筈です」


「じゃあ、当分大丈夫だね!」


「はい、お嬢様!」


そうして私達は、とある場所目指して駆けて行ったのだった。







「ベンさーん!」


広大な庭園の一角。私専用に造られた花壇(というか畑?)には、そろそろ咲きそうかな?という位に成長したヒマワリの畑が広がっていて、まさにその花壇で剪定作業をしていた庭師長のベンさんがこちらを振り向き、好々爺然とした笑顔を私に向けた。


「エレノアお嬢様。ああ…そのお姿、何度見てもよくお似合いです」


もう、かなり年だろうに、この広大なバッシュ公爵家の庭園や森林の全てを管理している、凄腕庭師のベンさんが、自分の恰好とお揃いな私の姿を見て相好を崩した。


「へへっ、有難う!今日は兄様方がお出かけだから、着て来ちゃった!土仕事はやっぱりこの姿に限るもんね!」


「流石はエレノアお嬢様です。よく分かっておられる!」


オーバーオールに麦わら帽子、そしてピンクの長靴…。これを初めて身に着けた時、兄様方やジョゼフは暫く無言で何も言わなかった。勿論、ウィルを始めとした召使達も同様で、中には膝から崩れ落ちる者まで現れる始末。


当然と言うか「公爵令嬢がなんて恰好をしているんだ!」と、我に返った兄様方やジョゼフから叱られたんだけど、私は「土いじりにはこの格好です!」と頑張って抵抗した。それでも私がこの格好になるのを納得してくれなかったので、最終奥義「泣き落とし」で、何とかこの服の使用禁止は回避したのだった。


それでもやはり、私がこの姿をしていると、主に兄様方が複雑そうな、何か言いたげな顔になるので、こうして兄様方がいない時などにこっそり装着しているのである。

召使達はと言えば、流石に兄様方みたいに、私の恰好を見て複雑そうな顔をしたりはしないものの、視線を逸らしたり、手で口元を覆ったりと、やはり心中複雑なようだ。


そういった訳で、唯一「似合ってる!可愛い!」と手放しで褒めてくれたのは、セドリックとモデルになったベンさんだけだった。


私の姿を嬉しそうに見つめ、相好を崩しながら頷いているベンさんに対し、その横でなんとも複雑そうな顔をしているウィルとの対比が印象的だが、もう慣れっこなので、深くは気にしない。


だってやっぱり、農作業にはオーバーオールは定番だと思うのだ!汚れも気にならないし、丈夫だから何度でも洗って使えるし。普通の服と違って、作業着だから「汚れたから」って理由で捨てられる事も無いし。


実は私、オリヴァー兄様とクライヴ兄様に渡す為のお花を育ててから、すっかり土いじりに嵌ってしまったのだ。

だから事あるごとに、こうしてベンさんの作業場にお邪魔して、見学したり、時にはお手伝いしたりするのだが、そうするとどうしても服が汚れてしまう。すると、十中八九、その汚れた服は処分されてしまうのだ。


「勿体ないから止めてくれ」とお願いしたのだが、逆に「じゃあ土いじりをお止め下さい」とジョゼフに言われてしまうのである。


私の元居た世界では、お嬢様が自分の庭園のお花を育てたりって、割と普通にしているけど、この世界ではお花を摘むのはともかく、土いじりをするご令嬢なんて皆無なのだそうだ。つまりは淑女への道から大きく逸れているという事になる。…まあ、世間一般的に見ても、泥まみれになって庭仕事をするお嬢様ってのはアウトに違いない。


でもさ、こうして土や草花と触れ合うのって、癒しだしストレス解消にはもってこいなんだよね。私、基本的に外に出れないし。庭いじりぐらい良いじゃないかって思うんですよ。特にもうじき来るセドリックの誕生日に贈る花も、頑張って育てなきゃだし。


そういった訳で、私は庭仕事をしているベンさんをスケッチし、デザイナーのオネェさんに「こういう作業着を作って下さい」という手紙と共に、スケッチを送ったのだった。


そんで見事、オーバーオールをゲット出来たという訳なのだが、オマケだと贈りつけられた長靴は、何故か黒ではなく、ピンク色をしていた。


『ご要望通りに作るとあまりに残念なので、女心を忘れないよう、せめて靴だけピンクにしてみたわ』って、一緒に入っていたお手紙にはそう書かれていたのだが、なんか手紙から「残念な子ね」ってオネェさんの声が聞こえて来たような気がする。


まあ、それでも作ってくれたのだからと、感謝の手紙を送っておきましたとも。


そんな事をつらつら思い出しながら、エレノアが触れるだけで自動的に地下水が汲み上がる蛇口(クライヴ兄様に頼んで作ってもらった)からジョウロに水を入れている後ろでは、ベンとウィルが何やらコソコソと話し合っていた。


「…ウィル…。お前、お嬢様のあのお姿、どう思う?」


「…大変に、最高に、愛らしいと思います!農作業着すらも着こなすなど、流石はお嬢様です!!あの尊いお姿を目にする度、どれ程の者達が至福のあまり、昇天しそうになっていることか…!」


エレノアが後ろを向いているのをこれ幸いと、ウィルは今迄我慢していた表情筋を解放し、エレノアの姿をウットリとした表情で見つめる。


まだ大人の女性への階段を登り始めたばかりの初々しさが、本来野暮ったくなる筈の作業着姿をも至高のフォルムへと変えている。


麦わら帽子から覗く、フワフワで艶やかなヘーゼルブロンドの髪、健康そうなバラ色の頬と輝くばかりの笑顔が、どんなドレスにも負けない健康的な魅力を醸し出しているのだ。


「ほう?だがお嬢様はセドリック坊ちゃましか褒めてくれなかったと言っておられたが?」


「オリヴァー様とクライヴ様が窘めておられるものを、私達が手放しに褒めるなんて出来る訳ないでしょう!?お陰であの尊いお姿も、お二人が揃ってお留守の時にしか目にする事が出来ず…!」


くっ…!と唇を噛み締めるウィルを、ベンは半目で見つめた。


「オリヴァー様もクライヴ様も、実は内心、身悶えておられるのではないか?」


「…有り得そうですね。あ!ひょっとしたら、ジョゼフ様に遠慮していらっしゃるのでは?」


「有り得るな。まあ、あいつも口では何だかんだと煩い事を言っておるが、その実究極のお嬢様馬鹿だからな。内心ではあのお嬢様の恰好に胸ときめかせておるのかもしれんぞ?」


「はぁ…。あのジョゼフ様が…ですか?」


「旦那様を過労死寸前までこき使える奴だぞ?本気で止めたかったら、そもそもお嬢様は今、あの恰好をしておられんわ」


「な、成程…」


…などと、水やりを始めたエレノアの見えない所でコソコソと話し合っているウィルとベンであったが、実はベンの想像通りで、ウィル達召使が「可愛い…!!」と感激する。→オリヴァーやクライヴの目が恐くてエレノアの恰好を褒める事が出来ない。→実はオリヴァーとクライヴも「エレノア…なんて愛らしい!!」と心の中で身悶えるも、すかさず向けられたジョゼフの睨みに、エレノアを嗜める事しか出来ない。→結果、エレノアを手放しで褒めてくれたのがセドリックとベンのみとなってしまった…というのが真相なのである。


ちなみに父親ズは激務が続いている為、そもそもエレノアがそんな恰好をしている事すら知らなかったりするのだが…。


もし万が一、アイザック達がエレノアの姿を目にしていれば、手放しで絶賛され、オーバーオール姿のエレノアは誰はばかることなく、バッシュ公爵家で市民権を得ていたであろう。


そして、当のジョゼフはというと、「エレノアお嬢様が淑女から離れていく…!」と憂いつつも「でもなんてお可愛いらしい…!」と、こっそり農作業をしているエレノアを見て身悶えていて、その姿を偶然目撃したベンに白い目で見られる事になるのであった。


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兄様方の複雑そうな顔は、手放しにエレノアを愛でられないがゆえでした。

ちなみにジョゼフとベンさんは同期なので、お互いに気安い関係です。

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