第182話 絶対に離れない
辺境伯とは何か…と、オリヴァー兄様が説明してくれた話によれば、中央から離れていても大きな権限を認められている地方長官の一種で、身分は単なる伯爵より上位であり、侯爵に近いのだそうだ。
国境付近や、文字通りの辺境地域で他国の侵略や魔物の大量発生を最前線で食い止め、国を守護する事から、広大な領土と権限を与えられていて、それに見合う強大な力を持つ人しか『辺境伯』として認められないのだとか。成程。
あの日お会いしたボスワース辺境伯様は、確かに武人のような威厳に満ちた体躯をされていたけど、笑いかけてくれた顔はとても優しく穏やかだった。…まさかそんな凄い方だったなんて…。
…待てよ?確かあの時私、エロい下着をしげしげ眺めていたり、オリヴァー兄様に正座させられて説教されてたりと、ロクでもない姿しか晒していなかった気がする。うわぁ…。恥ずかしい!きっと呆れられていたに違いない。
でもそうすると、母様の傍にボスワース辺境伯様は付いていらっしゃらなかったのだろうか。だから母様、お爺様に軟禁されちゃって、あんな手紙を寄越したの?
「一応、筆頭婚約者の変更については、僕の名前で抗議文を出しておいた。…が、マリアの直筆の手紙がある以上、決定を覆すのは難しいだろうね」
「…え?」
父様の口から出た信じられない言葉に一瞬、思考停止となった私は、我に返った瞬間、父様に向かって叫ぶ様な声を上げた。
「アイザック父様!?何故ですか!?だって婚約者を選ぶ権利は、女の子にある筈なのでしょう!?」
「確かにその通りなんだけど、筆頭婚約者を決める権限は絶対的に母親にあり、例え娘がどれ程嫌がろうと、拒否権は与えられないんだよ。エレノアが成人していれば、決定権は本人に移行するのだけど、エレノアはまだ未成年者だから、今の段階では君がどれ程抗議しても、マリアの決定が優先されてしまうんだ」
そこで私は思い出した。
今の『私』になる前のエレノアは、オリヴァー兄様との婚約をとても嫌がっていたけど、婚約解消はしていなかった。あれはしていなかったのではなく、出来なかったのだという事を。
それ程までに、この世界での母親の権限は強いのだ。
じゃあ私は、このままオリヴァー兄様と離れなくてはならないのだろうか?ううん、オリヴァー兄様だけじゃない。クライヴ兄様とセドリックとも、引き離されてしまうのか…?
ポロリと、無意識に涙が零れ落ちる。そのままポロポロと、涙が次々溢れ落ちて止まらない。
「エレノア!」
そんな私の身体を、オリヴァー兄様が優しく抱き締めてくれる。
「オリヴァー兄様ぁ…!」
しゃくり上げる私をあやすように、オリヴァー兄様が涙を零す目元に、頬に、何度も口付けを繰り返す。
「大丈夫だエレノア。君は絶対に誰にも渡さないし、君を傷付けるものは僕の何に代えても排除する!…だから、泣かないで…」
そう言ってから、再びオリヴァー兄様が私を自分の胸にきつく抱き締める。
『オリヴァー兄様…』
優しくて温かくて、心の底からホッと出来る、大好きな兄様の香りを胸いっぱいに吸い込む。…私が前世の記憶を取り戻した時から、ずっと守ってくれた、優しくて愛しい温もり。
この温もりが…。兄様が私の傍から居なくなるなんて…そんな事、絶対に嫌だ!
「エレノア、俺も同じだ。お前がいなければ生きていけないって、あの時言っただろう?」
「僕もだよエレノア。何を失っても、誰を敵に回しても…。君は絶対奪わせない!」
「クライヴ兄様…。セドリック…」
まだ涙が止まらないまま、私はクライヴ兄様とセドリックにも代わる代わる抱き締められる。
「勿論、私達も手を貸すよ。折角出来た可愛い娘を横から攫われるなんて、許せる事ではないからね」
「当然俺もだ!…まあ、今回力技でどうこうって話じゃなさそうだから、あまり出番は無いかもしれねぇけどな」
「メル父様…。グラント父様…」
…うん。私もだよ。私も絶対、みんなの傍から離れない…!
ひとしきり泣いて、ようやっと私が落ち着いた頃を見計らい、アイザック父様が話し始めた。
ちなみに私は今、オリヴァー兄様に膝抱っこされ、ガッチリとホールドされた状態です。…シリアスな状況なのに、なんか締まらないな。
「…叔父は幼い頃、当時子が居なかったグロリス伯爵家の養子に出されてね。それを怨んでか、このバッシュ公爵家の当主の座にずっと固執していたんだ。父は長子で強い魔力を持っていたけど身体が弱かったからね。でも、とても優しい方だったんだよ?」
「エレノアにも会わせてあげたかったな…」と、アイザック父様が懐かしむように目元を緩ませる。うん、きっとアイザック父様みたいな、とても優しい方だったんだろう。私もお会いしてみたかったな。
「14の時に父が亡くなった時も、僕がまだ若輩だという事を理由に、当主の座を譲るよう、叔父に迫られたよ。…幸いというか、一族の殆どは僕を支持してくれたし、ジョゼフ達古参の家令達も僕を守ってくれた。それとここだけの話、ワイアット様のお口添えがあったのも大きかったかな?」
え?父様、ワイアット宰相様と、その時から懇意にしていたんだ。…え?懇意にというより、勝手に弟子認定されていただけ?いやいや、それにしたって凄いですよ。
「マリアも僕の父を慕っていたから、婚約者の時もそうだったけど、公爵夫人になっても、バッシュ公爵家の内情に全く関わろうとしなかったんだ。その上君を産んですぐ、内々にオリヴァーを筆頭婚約者に決めてしまった。…きっと君を、叔父の野望の道具にされたくなかったんだろう。だからこそ、今になって筆頭婚約者を変更するなんて有り得ない。間違いなく、何かの力が働いている」
「アイザック、お前の事だ。どの家がグロリス伯爵家と関わっているのかぐらいは掴んでいるんだろう?」
「…まあね。だけどどの家も、僕やメル達を敵に回して迄、叔父に付くとは思えないんだよね」
「公爵様。ノウマン公爵家はその中に含まれておりますでしょうか?」
「オリヴァー兄様?」
ノウマン公爵家って…。確か四大公爵家の一つだよね?
「ノウマン公爵家…か。あそこが深く関わっているという話は、今の所出ていないね。今回のお茶会には、娘が参加するみたいだけど。そう言えば招待されているご令嬢方は皆、彼女の取り巻き達だったな」
「…そうですか」
アイザック父様のお言葉に、何やら思案しているオリヴァー兄様のご尊顔が、近距離で目にぶっ刺さってくる。
兄様…。その愁いを帯びた真剣な眼差し、尊いです!
「とにかくだ。グロリス伯爵家のお茶会には、エレノアを含めて我々も参加する事にしよう。クライヴはエレノアの専従執事だから勿論付いて行ってもらうし、オリヴァー、セドリック。君達にも参加してもらうよ?」
「はい。公爵様」
「勿論です!公爵様!」
「あちらはきっと、お茶会の席でエレノアの筆頭婚約者の変更について発表するだろう。当然、マリアも参加する筈だ。…エレノア」
「はい、父様」
「愉快なお茶会にはならなさそうだし、こんな形で君を叔父に会わせたくなかったんだけれど…。ともかくマリアの無事と真意を確認しなければ、話にならないからね」
「大丈夫です父様!私も色々、パトリック兄様や伯父様やお爺様に言いたい事や聞きたい事がありますから!」
だから心配しなくて大丈夫!…と言いたかったんだけど、何故か父様方も兄様達も、揃って微妙な顔をした。セドリックに至っては、あからさまに不安顔をしている。
いや、「何故!?」とかは言いませんよ?私だって色々やらかしている自覚はありますから。でもその「こいつ、確実になんかやらかす!」的な視線、やめて下さい。傷付きます!私だって空気ぐらい読むんですからね!?
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お茶会に行くのは決定となりました。
そして、エレノアのやる気に一抹の不安を覚えるバッシュ家側の皆様です。
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