第183話 策略の裏側

「これはレイラ・ノウマン公爵令嬢。またお会い出来て光栄です。この度は我がグロリス伯爵家にようこそおいで下さいました」


そう言いながら、初老の紳士が豪華なドレスに身を包んだレイラに向かい、最上級の者に対する貴族の礼を取る。

その面差しは老いてなお、非常に整っており、物腰も若かりし頃はさぞや…と思わずにはおれない程洗礼されている。


――だが、友好的な笑みを浮かべるその眼差しだけは、尊ぶべき『女』でとしてではなく、『ノウマン公爵令嬢』としての自分を値踏みするかのように、油断のならない光を湛えていた。


『…相変わらず、不快な男ね…』


女性を国の宝として尊ぶこのアルバ王国にあってしても、こういった類の男は貴族の中に一定数存在する。その中でもこの男…。前グロリス伯爵、バートン・グロリスは、群を抜いた『男性血統至上主義者』として知られていた。


そしてその噂通り、自分に見せる慇懃な態度の中に、打算計算が見え隠れするのだ。


「ええ、私もよ。それにお茶会へのご招待有難う。参加するのが今から楽しみよ」


わざと、格下の者に対して行う態度と口調で接してみる。男性血統至上主義者のこの男が、小娘にそんな態度を取られ、どう出るかと様子を見るが、友好的な態度は崩れていない。…最も、腹の中はどうだか分からないが。


「それは宜しゅうございました。お父上とは、仕事で何度か懇意にさせて頂いております。どうかくれぐれも、宜しくお伝え下さいませ」


「ええ。そうしますわ」


「ところで、弟君のカミール殿はおいでではないのですか?」


「あの子は連れて来なかったわ。最近くだらないもの・・・・・・・に御執心で、腑抜けてしまっているから」


「それはそれは…。弟君も、我が一族の誇る『姫騎士』に御執心とは…。私も鼻が高いですな!」


言葉に含まれた揶揄うような響きに、レイラの眉がピクリと吊り上がった。


「…ええ。だからこそ、貴方がたの話に乗ってあげたのよ」


レイラの眼差しが、バートンの後方に控えている、ストロベリーブロンドの青年へと注がれる。


――パトリック・グロリス…。


彼が自分に接触して来たのは、別の伯爵家が主催する夜会での事だった。


普段自分が侍らせている男達と違い、女と見まごう程の線の細い美しさに興味を持ち、「私と個室へ参りませんか?」との誘いに応じたのだ。


丁度バッシュ公爵令嬢、エレノアがもてはやされ始め、何もかもが気に入らない状況下にあった時期と重なった事もあり、分家筋であるこの男をその気にさせ、適当に遊んだ後、捨てて溜飲を下げてやろうと目論んだのである。


だが二人きりになった時、彼の口から聞かされたのは、私への愛の言葉ではなく、グロリス家の立てた計画に、自分を一枚噛ませる為の提案だった。


「この計画が上手くいけば、私の弟であるオルセン子爵令息…クライヴはエレノアの婚約者ではなくなります。そして私がエレノアの筆頭婚約者になった暁には、貴方の弟君を婚約者に指名いたしましょう」


そんな驚く様な提案の数々に、私は思わず湧いた疑念を口にする。


「…貴方、それでいいの?カミールが婚約者になれば、身分の高さから、筆頭婚約者の立場は貴方ではなく、弟に移るのよ?」


その言葉に対し、彼はフワリと花が綻ぶような美しい笑顔を浮かべる。


「構いませんよ。私が欲しいのはエレノアではなく、あくまでバッシュ公爵家家長の座ですからね」


淡々と紡がれるその言葉にも態度にも、自分の妹に対する情や情けの感情は欠片も見られなかった。


未だ嘗て遭遇した事の無い、女を駒のように利用しようとするこの男に戦慄を覚えたが、同時に湧き上がってきたのは、仄暗い愉悦だった。


「…良いわ。貴方の計画に乗ってあげましょう」


そう、この男が筆頭婚約者になれば、あの女はクロス伯爵令息やオルセン子爵令息と引き離され、愛の無い男の所有物ものとなり、道具扱いされるのだ。考えただけでも笑いがこみ上げてくる。今迄の鬱屈とした気分が晴れ、溜飲が下がる思いだった。


――しかも結果的に、あの女の手から離れたクライヴ・オルセンを自分のものに出来るかもしれないのだから…。


気に喰わないのは、あの女の血が我がノウマン家に入る事だが…。まあ、クライヴ・オルセンを手に入れる為の代償と割り切れば問題は無い。


それに父は、一目置いているバッシュ公爵との強固な繋がりを持つ事が出来るし、表向き反抗的な態度を取る弟も、自分が焦がれる女を手に入れる事が出来るのだ。最終的には私に感謝するだろう。

少し手を貸すだけで、我がノウマン公爵家にとって、計り知れない恩恵が転がり込んでくる。多少の不快さなど、我慢出来ようというものだ。


――ただ、懸念すべきは王家直系達だろう。


第四王子のリアム殿下は、あの女に対する好意を隠そうともしておらず、聞く所によれば他の殿下方も、あの女を憎からず思っているとの事だ。そんな彼らが横やりを入れてきたとしたら…。


今回の計画を聞かされた時からずっと心の中で引っかかっていた懸念を口にした私に対し、パトリックはなんて事のないように頷いた。


「確かに、王家が出てくれば多少は面倒な事になりましょうが…。リアム殿下はまだ婚約者ではなく、婚約者候補の身。有力貴族の婚姻事情に、公式に口を挟む事は出来ません。ましてやその婚約者の中に、四大公爵家の嫡男がいればなおの事…」


「でも…。もしクロス伯爵令息達が、婚約への異議申し立てに王家を引っ張り出してきたら…」


「それこそ有り得ませんね。同じ女性に好意を寄せる相手…しかも王族に助力を願い出るという事は、諸刃の剣となりかねない。彼ら王族がそれを口実に、エレノアを『公妃』としてしまったら?寧ろ彼らが絶対に助力を仰げないのは、王族なのですよ」


酷薄そうな笑みを浮かべるパトリックの言葉に、レイラはようやく安心した様に扇で口元を隠しながら笑みを浮かべる。

次いで、ひっそりと部屋の奥のソファーに腰かけている一人の女性へと目をやった。


――社交界の華とされ、淑女の鑑と謳われる女性。マリア・バッシュ公爵夫人。


あのエレノア・バッシュ公爵令嬢とよく似た面差し。だがその顔に表情は無く、目もどこか光を失った様にぼんやりと何も無い宙を見ている。


そんな彼女に寄り添う様に、先程まで話していたパトリックとよく似た壮年の男性が、うっとりとした恍惚の表情を浮かべながら、彼女の髪を優しく梳いている。…多分彼は、このグロリス伯爵家の現当主である、アーネスト・グロリスであろう。


「ああ、僕の愛しいマリア…。やっと僕の元に帰って来てくれた!…これからはずっと、僕の傍にだけいておくれ…」


自分や他の者達が居るにもかかわらず、彼はただひたすらに、バッシュ公爵夫人に愛おしむ様な眼差しを向け、愛を語っている。

その姿はどこか狂気を孕んでいるようで、背筋がうすら寒くなってしまう。そんな彼に対し、バートンもパトリックも冷ややかな眼差しを向けていた。


「…それにしても、まさか貴方までもがこの計画に参加していたとは思いもよりませんでしたわ。ボスワース辺境伯様?」


名を呼ばれ、グロリス伯爵とバッシュ公爵夫人の座るソファーの横に立っていた男が、ゆっくりとこちらを振り返る。


腰迄ある艶やかでやや青みがちな紫紺の髪をした美丈夫は、一見武人の様なガッシリとした…だが、しなやかな体躯を動き易さ重視といった、最低限貴族である事が分かる服装で包んでいる。


――『辺境の蒼き守護神』


『ドラゴン殺しの英雄』グラント・オルセンと並び称されている目の前の男は、四大公爵家の令嬢である自分に対し礼を取るでもなく、ただ淡々とした表情を向けてくる。


「…手に届かぬと思っていたものが手に入るかもしれないとあらば、乗らぬ男などこの国にはいない…」


ブランシュ・ボスワースは、そう静かな口調で返事を返した後、ラピスラズリの様な深い紫紺の瞳をゆっくりと笑ませた。


その『届かぬと思っていたもの』が何であるのか…。この状況なら嫌でも分かる。レイラは不意にこみ上げてきた苦い感情に、思わず眉根を寄せた。


「母親の次は、それよりも若くて愛らしい実の娘が欲しくなったのかしら?辺境伯様ともあろうお方が、良いご趣味ですこと」


揶揄と皮肉を込めた言葉にもブランシュは動じず、穏やかな表情を崩さない。


「何とでも。アルバの男なら、こうと決めた女性を得る為だったら手段は選ばない。…ましてや我らアルバ王国の至宝とされる、伝説の姫騎士の再来とあれば、なおの事…」


一瞬、その瞳にトロリとした熱いものが浮かんだのを感じ、レイラはギリ…と、奥歯を噛み締めた。


――オリヴァー・クロスといい、クライヴ・オルセンといい、この男といい…。何故誰もが一目置くような男達が、あんな女に夢中になるのだ。


特にこの、若くして辺境伯を継いだ男は、歴代辺境伯の中で最高とされる魔力と、あのドラゴン殺しの英雄に匹敵する程の剣技を併せ持つ猛者。


爵位、美貌、能力…そして、辺境を守護する要として、王族からも一目置かれているこの男は、孤高にして高潔と名高く、妻も恋人も娶らぬまま、ひたすらこの国を守護する事に人生を捧げてきた。

そんな男の望みが、あんな剣技の真似事をするだけの、たいして美しくも無い小娘だなんて…!


『…まあ良いわ。エレノア・バッシュ。一週間後のお茶会。私にとって最高の…貴女にとって、最低の日になるのだから。せいぜい楽しみにしていなさいな』


これから起こる出来事に想いを馳せつつ、レイラはうっそりと嗤った。





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黒幕達が、ワラワラ何やら話しております。

やはりというか、ノウマン公爵令嬢もいらっしゃいますが、しっかり棺桶に両足突っ込んでいるご様子。婚約者達やロイヤルズの愛情と執着見誤っております。認知バイアスってやつですね。


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