第184話 静観

『やあ、オリヴァー。どうやら大変な事になっているようじゃないか?』


バッシュ侯爵邸内で、オリヴァーに与えられた執務室。そこに置かれた重厚な机の上で、オレンジ色の綿毛…いや、丸いフワフワの小鳥がちょこんと佇み、囀っている。


だがその可愛らしい見た目とは裏腹に、囀る声はテノールに近いバリトンボイスである。


『今回の件、王家はギリギリまで手を出さず、静観させて頂くよ。君とバッシュ公爵の望み通りにね。でもいよいよもって策が尽きた時は、僕で良かったら、幾らでも君達の力になるからね?…まぁ尤も、君が素直に僕達に頼ってくれるとは思わないけどね』


「………」


黙って聞いているオリヴァーだったが、次の台詞を聞いた瞬間、無表情だった表情が鬼の形相となり、背後から黒い魔力が溢れ出す。


『でもね、覚えていて欲しいんだけど、僕らもいつまでも指を咥えて見てはいないよ?いざという時には、王家が独断で動かせて頂く。ポッと出の男にエレノアをくれてやる程、僕らも人間が出来ている訳じゃないんでね。…ふふ。まあ君なら、そうなる前に賢明な判断をしてくれると信じているよ』


噴き上がる暗黒オーラに、オレンジ色の毛玉がプルプル震え、黒いつぶらな瞳もウルウルし出す。

それを傍で見ていたアイザックは、落ち着かせるようにオリヴァーの肩をポンポンと軽く叩いてやった。


「オリヴァー、落ち着いて。エレノアの愛する連絡鳥、苛めちゃダメだよ?」


「…分かっております。公爵様」


そう、この鳥はご存じ、マテオの連絡鳥の『ぴぃ』である。


強力な防御結界に覆われたバッシュ公爵家だが、この愛らしい小鳥だけは結界を通過できるようにしてあるのだ。

その為、王家からの連絡はもっぱら、この小鳥が請け負っている。


――エレノアとクライヴがパトリックと邂逅した事を、やはりというか王家は把握していた。


「…分かってはいましたが。エレノアにも王家の『影』が付いた…という事ですね」


「そのようだねぇ…」


オリヴァーが溜息交じりに口にした言葉に、アイザックも思案顔で頷いた。


王家の『影』が付く…。それはすなわち、エレノアの事を王家が『守るべき者』と判断したという事に他ならない。つまり、事実上の妃候補扱いである。


非常に腹立たしいが、婚約者候補として、また王家直系としては、当然の行動であろう。なによりエレノアの父親であるアイザックがそれを黙認しているので、自分が異を唱える訳にもいかない。


この人は勿論、親友達の息子である自分達を大切に思ってくれている。だが何より最優先するのは、最愛の娘を守る事であり、その為のあらゆる可能性を常に考えているのだ。

…それに異を唱える事はしない。自分だとて最優先にするのは、この世で一番愛しい者を守る事なのだから。


丁度メッセージが終わったのだろう。未だに小さく震えながらも、ぴぃはジッとオリヴァーからの返信を律儀に待っている。


その健気というかいじらしい姿に、さしものオリヴァーも己の漏れ出た魔力を可能な限り引っ込め、ゆっくりと口を開いた。







「アシュル。オリヴァー・クロスからの返信はどうだった?」


「ええ、父上。一言だけ『そのまま最後まで静観なさってて下さい(意訳:しゃしゃり出てくんな!)』ですよ」


「ははっ!流石はオリヴァー・クロスだ!アシュル、お前の恋敵は実に侮れんな!」


王の執務室にて、息子の報告を受けたアイゼイアは実に楽しそうに笑った。それに苦笑で返しながら、アシュルは肩に止まっているオレンジ色の毛玉を指で優しく撫でてやる。


「そうですね。…まぁ、ここからはオリヴァーのお手並みを拝見しながらの我慢比べですよ」


寧ろ、グロリス家の思惑と動きに激怒し、自ら動き出そうとしている弟達を抑える方が頭が痛い。…そうぼやく愛息子に対し、「頑張れよ」と激励の言葉をかけながら笑みを深くした父、アイゼイアに一礼すると、アシュルは執務室を後にした。


「でも僕だって、本当は気が長い方じゃないんだけどね…」


人気の無い、長い回廊を歩きながら、そう独り言ちる。


まだ、様々な根回しが終わっていない段階なのだ。有力貴族達が絡んでいるこの状況で王家が動くわけにはいかない。


ましてやエレノアは『婚約者』ではなく、まだ『婚約者候補』であるのだ。

今の段階で自分達が動けば、エレノアは『公妃』として扱われる事となり、今度はバッシュ公爵家側を敵に回す事となるだろう。オリヴァーはそれを分かっていて、自分達に釘を刺してきたのだ。


――あの男は、自分からエレノアを奪おうとする者に対して容赦をしないからな…。


もしエレノアが、世の一般的な女性達同様、男性に対して奔放であったのなら、そのドス黒い執着心を綺麗に隠し、どんな男のものになろうが微笑んで受け入れていただろう。


だがエレノアは希少な『転生者』であり、いつまで経ってもこの世界の常識に染まらない、無垢で初心な女の子だった。


そのあまりにも異質で愛おしむべき心根と在り様は、アルバの男達が潜在的に抑え込んでいる、獰猛な執着心と劣情を容赦なく引き摺り起こす。

最もアルバの男性らしい気質を持つあの男オリヴァーが、エレノアに溺れない筈がないのだ。


ましてやエレノア自身も、その重すぎる溺愛を必死に受け止め、健気にも同等の想いを返そうとしてくれているのだ。

どんな相手であっても、いかなる謀略であろうとも、あの男は絶対に白旗なんて上げないだろう。勿論クライヴも、セドリックですら…。


その彼らが、あれ程までに己を律して真綿で包む様に愛おしみ、ドロドロの執着心を抑えているのは、ひとえに本人達の凄まじいまでの自制心と、エレノアに対する心からの愛情ゆえだ。


その一方で、抑えきれぬ己の欲望に抗えず、どんな手段を使っても手に入れようとする者達…。

エレノアを愛する男は、くっきりとそのニ極に分かれる。


――果たして、自分は…。自分達はどちら側なのだろうか?


もし、自分達がエレノアと初めて会ったお茶会で、素のままのエレノアと出逢っていたら…。

彼女の心を置き去りに、ただ己の欲望のまま、親友であるクライヴの事も、敵に回せば恐ろしく厄介なオリヴァーの事も関係なく、彼女を『公妃』として手に入れようとしたに違いない。


だから、そんな事にならなくて良かったと、今では心の底からそう思っている。


もし己の欲望に忠実に行動していたとしたら…。彼女と会う度感じる、穏やかで愛おしい時間も、かけがえのない親友も、未来の優秀な腹心も、全て失う所だったのだから。


あの屈託の無い笑顔を守る為なら、引く所は引き、譲るべきところはギリギリまで譲るつもりでいる。

だがそれはあくまで、エレノアの大切な婚約者である彼らに対してのみだ。その他の者達に奪われるぐらいなら、自分達が容赦なく奪わせて頂く。


「…だから、精々頑張ってくれよ。…僕自身の我慢が限界になる前にね…」


そうポツリと呟くアシュルの表情は、普段親しい者にすら見せた事が無い程、冷たいものであった。




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王家との攻防も、静かに始まっておりました。

『エレノア』という存在に付いて考察するアシュル殿下です。

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