第197話 時戻し

「…全く。それにしても女というだけで、こんな凹凸がほぼ見られない平たい体型にその気になれるとは…。世の男共は本当に、なんとも悲しい生き物だね」


パトリック兄様は非常に不躾な視線を私に落とすなり、深い溜息をついた。…おいこらパトリック兄様。この緊迫した状況で、言う事それですか?!


「し、失礼ですね!私はまだ発展途上の段階なんです!!」


「そういう言い訳できるのも、成人する迄の二年ぐらいだよ?まあいいじゃないか、発展途上のまま成長止まっても。だいたい、女ってだけでよりどりみどりなんだから。笑って図太く生きなさい」


「パト兄様ー!!発展途上で終わるって、今の段階から決めつけないで下さい!!」


憐れむ様に首を振る兄様に、状況も忘れてツッコミを入れてしまう。…なんだろう。この既視感溢れるやり取り。物凄く誰かを思い出すんですけど!?


「…どういうつもりだ?パトリック・グロリス」


地を這うような低い呟きに、パトリック兄様は嫣然と微笑む。


「ふふ…。どうもこうも、単なる嫌がらせですよ。今回の件で、グロリス伯爵家には国家反逆罪の容疑がかけられてしまった。例えそれが冤罪だと分かったとしても、結果的に貴方に手を貸した事は、疑いようもない事実。良くてお家断絶の上、幽閉か永久懲役。最悪、一族郎党処刑…。いずれにせよ、グロリス伯爵家はお終いです。なのに、その元凶たる貴方が全てを持って行くなんて、不公平でしょう?…エレノア」


「は、はい!」


「もう、身体は動くね?ここは私が抑えるから、お前は屋敷から離れ、森の中へ逃げなさい」


「――ッ!…で、でも…!?そんな事をすれば、兄様が!」


「言っただろう?どのみち私は断罪される身。お前の事などどうでも良いが、ここで一矢報いなければ、死ぬに死にきれない。お前が無事逃げ切る事が、私のこの男に対する復讐なんだよ。…だから、さっさと行け。巡って来た機会をふいにするのは、愚か者の所業だ。お前は発育不良だが、一応私の妹だ。…馬鹿では無い筈だろう?」


「…兄様…」


エレノアは、先程までの体制で動けずにいるブランシュの下から抜け出すと、少しだけふらつきながら、ベッドから降りる。


そのまま駆け出すかと思ったエレノアは、パトリックにギュッと抱き着いた。


「パト兄様…。どうか無事で…!」


「…さっさと行くんだ」


エレノアは逡巡するようなそぶりを見せる。が、意を決した様に身を離すと、部屋の中から出て行った。





◇◇◇◇





――母様、どうして私はエレノアの筆頭婚約者になれないのですか?私が『無属性』だからですか?


――それは違うわ、パトリック。


――では、何故なのですか?


――だって貴方は…。





「…パトリック・グロリス。『無属性』と言われていたお前の魔力属性が、まさか『時』だとは思わなかったな。…そうか。『時戻し』を使い、ケイレブの『転移門』を再生し、ここまで来たか…」


「ご明察…。流石…ですね」


そう、私は『時戻し』を行って、エレノアとこの目の前の男以外の『時』を止めた。…ああ、間違った。私の『同行者』にも、『時戻し』は及ばないようにしている。


…だが私は、この男の『時』を止めなかった訳ではない。『時』が止まらず、身体の自由を奪うだけになってしまったのだ。流石は『魔眼』持ちと言うべきか…。


この押し寄せる様な威圧感。そして息をする度、鉛が身体に溜まって行くかの様な、凄まじい魔力放出。気を抜けば、すぐに術が破られ、八つ裂きにされる。それが分っているからこそ、一時たりとも気を抜けない。


パトリックの額から、汗がポタリ…と、床に落ちた。


「…とすれば、最初から『正気』であったと言う事か。…大したものだ。完全に騙された。…最もケイレブは、最後までお前の事を疑っていたようだがな…」


隠し玉は最後まで悟らせず、ここぞと言うべき時に使うのが鉄則だ。…この男の『魔眼』と同じ様に。


「…ふ…。お陰で四六時中見張られていて、非常に暑苦しかったですよ」


「…お前は最初から、あの前伯爵達とは違っていた。エレノア嬢に対して興味は無く、その上、バッシュ公爵家当主の座にすら興味が無かった。寧ろ、祖父の計画が潰れる方こそを望んでいた。…そう感じていたのだがな」


「……その通りですよ…」


私の祖父は、私が『無属性』だと知るや、「まさか、この由緒正しき血統から、出来損ないが生まれるとは!」と私を詰り、父は母に顧みられない事を「お前が筆頭婚約者に選ばれない程の出来損ないだから、マリアは私を選ばないのだ!」と罵倒した。


だが、母の正夫であるバッシュ公爵アイザック様は、常に私を気にして下さる優しい方だったし、母であるマリアも、祖父や父の目をかいくぐり、よく私に会いに来てくれた。


だから、自分の属性が希少属性とされる『時』である事に自ら気が付いた時、私はそれを秘匿する事を決めたのだ。


実の祖父や父にはもう既に見切りをつけていたし、その属性が下手に知られてしまえば、「このような希少属性を持つパトリックの方が、エレノアの筆頭婚約者に相応しい!」と欲を出すに決まっている。…あの子を守る為にも、私は『無属性の出来損ない』であった方が良い。




――エレノアと初めて会ったのは、あの子が五歳になった日の誕生パーティーでの事だった。


『はじめまして、パトリックお姉さま・・・・


あの子は私を、あの大きくキラキラした宝石の様な瞳でジッと見つめた後、そう言い放ったのだった。


『エレノア、パトリックはお姉様じゃない、お兄様だよ?』


『えー!?だって、こんなキレイな人、お兄さまなわけないもん!私よりずっとキレイだもん!ぜったい、お姉さまだもん!』


頑として、私を『姉』だと言い張るエレノアに、祖父も父も「躾がなっていない!」と激怒していた。男の誇りを傷付けたとそれ以降、積極的にエレノアと関わろうとしなくなったのも、この一件が原因だ。


「御免ね、パトリック。でもエレノア、悪気はなかったんだよ?」


「気になさらないで下さい、おじ様」


恐縮しながら私に謝ってくるアイザック様の謝罪を、私は笑顔で必要無いと言った。


――だって、エレノアの言っていた事は、概ね事実なのだから。


以前、母にエレノアの筆頭婚約者に何故私が選ばれなかったか、問い掛けた時の答えは、「だって貴方は、女に興味が無いでしょう?」だった。


母は恋多き奔放な女性だったが、人の本質を見抜く力が鋭かったから、私の性癖もちゃんと把握していたのだ。しかもその事で、私を蔑むような事はしなかった。だから私は女性は苦手だが、母は好きだった。


そう、私の恋愛対象は、常に女性ではなく男性だった。だけど、あの家でそれを知られる事は出来なかった。だから己の本心を隠し、心を殺して生きて来たのだ。


そんな私の本当の姿が、あの子には見えていたのかもしれない。


「兄じゃない、姉だ」と言われたあの時、本当の自分を認めてもらえた…そんな気になり、どれ程救われた事か…。

しかもあの子は嫌味でも嫌がらせでもなく、ただ素直に「キレイだ」と、自分を褒めてくれたのだから。




「ッく…!」


クラリ…と、乗り物酔いのような酷い嘔気と頭痛が襲い、目が霞む。


「…そのまま『時戻し』を使用する気か?魔力が枯渇すれば、待つのは『死』だぞ?」


「…言った…でしょう?私は重罪人だ。どちらにしろ断罪される身。ならば、貴方に一矢報いて…死ぬ…!」



『姫騎士』としてエレノアが注目されるや、案の定祖父は欲を出し、私をエレノアの筆頭婚約者に挿げ替えようと企んだ。母が諫めても祖父は改心しなかった。それはアイザック様からの抗議も同様で…。


祖父は、優しくて穏やかなあの方がどれ程恐ろしい人物か、未だに分かっていないようだ。


…そろそろ、潮時かもしれない…。そう思った。


王家から釘を刺され、祖父達が大人しくしている間に、私は密かに母であるマリアとアイザック様、そして筆頭婚約者である弟のオリヴァーに連絡を取った。

そして祖父の企みを利用し、エレノアに害を成す者達を徹底的にあぶり出し、潰す計画を立てたのだが…。まさかボスワース辺境伯の望みがエレノアな上、『魔眼』持ちであったなどと、思ってもみなかったのだ。


私は『時戻し』で『魔眼』の精神支配から逃れ、彼らに従うフリをしつつ、母マリアの精神支配も細心の注意を払い、深層部に影響しないようにした。

それでも、何かしらを感じていたケイレブの指示で、私に監視が付けられた。あの男は非常に鼻が利く。少しでも疑いを持たれれば私の命だけではなく、母の命もどうなるか分からない。それゆえ、エレノアの危機を誰にも告げる事が出来なかった。


せめて私の態度や言動から何かを察して欲しいと、わざと高慢な態度と言動を取り続けたのだが…。流石のオリヴァーやアイザック様も、ボスワース辺境伯に疑いは持ったものの、彼の本命がエレノアである事には思い至らなかったようだ。


私はグロリス伯爵家を憎むあまり、ボスワース辺境伯に手を貸し、エレノアを危険に陥れた大罪人…。そういう事になってしまったが…。こうなってしまった以上、それで良かったのかもしれない。


私がここで死ぬのは、裏切った辺境伯への復讐心によるものであって、エレノアを助ける為ではない。そうでなくては、優しくて真っすぐな私の可愛い妹が、きっととても悲しんでしまうだろう。


ああ…それにしてもマリア母様。大物喰らいの貴女ですが、こんな化け物は釣り上げないで頂きたかったですね…。まあ、こんな事…今更ですが。


――パト兄様。


脳裏に、愛しい妹の声が蘇る。


『ふふ…。パト兄様…か。初めてあの子に愛称呼びされちゃったよ。…結構、クルものがあるね』


この騒動が終わったら、『姉妹』として一緒に買い物をしたり、恋の悩みの相談にのったりしてあげたかったな…。


視界が徐々に、白から黒に塗りつぶされていく。『魔眼』相手に、よく保った方だろう。


『無事に逃げ切っておくれ。…そしてどうか、幸せに…』


視界が黒一色に塗り潰され、私はゆっくりと瞼を閉じた。




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パト兄様、まさかの味方でした。

そしてエレノアは、今のエレノアになる前も、しっかりエレノアでした。

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