第312話 戦闘狂

九頭大蛇ヒュドラは不死身とも言われる再生能力、岩をも溶かす強力な毒液を持った災厄の魔獣だ。


だがその強大な力ゆえに個体数が少なく、国内最大数のダンジョンを有するクロス伯爵領でも百年に一匹遭遇するかどうかと言われる程の希少魔獣なのだそうだ。


グラント父様は「早く遭いてぇな」とか言っていたけど、そんなもん、一生遭えなくて結構です!……というか、遭っちゃったけど……。


「そんな魔獣が……なんでバッシュ公爵領ここに!?」


そもそもバッシュ公爵領は精霊の力が多く宿る土地柄で、魔物の発生率は極端に低い。

魔獣も、隣のクロス伯爵領から流れて来る個体が殆どなのだそうだ。


とは言っても、国内最大数のダンジョンを有するクロス伯爵領だから、魔物発生率がずば抜けて多いらしい。

その為、流れて来る魔物もそれなりにいるようで、必然的にバッシュ公爵領の騎士達も魔物討伐には慣れているらしい。


でも、どの騎士達も、百年に一度クラスの超災害級の魔物と対峙する機会などは無かったに違いない。

それを証拠にクライヴ兄様も騎士達も皆、動揺を隠せないでいる。


だがよく見てみると、九頭大蛇ヒュドラの身体は、あちらこちらが黒く変色し爛れている、九頭大蛇ヒュドラ自身も辛いのか、九つの首がそれぞれ唸り声を上げていた。


どうやらオリヴァー兄様の結界が功を奏しているみたいで、再生も上手く追いついていないようだ。流石は皆に「えげつない」と言われるだけある。凄いや兄様!


「キシャー!!」


九頭大蛇ヒュドラの幾本かの首が威嚇音と共に、紫色の毒液を撒き散らす。


するとその毒液がかかった箇所が、まるで強力な酸をかけられたように煙をあげながら、みるみるうちに溶けていった。


緑豊かだった牧場が、次々と荒れ地に変わっていく様は、その場にいる者達の九頭大蛇ヒュドラへの恐怖心をより一層高めていく事となってしまう。


勿論、騎士達や私達は、強力な防御結界に守られているお陰でかすり傷一つ負わないが、一般の従業員や獣人の皆さんたちは、恐怖に顔色を無くしている。子供達も私や親達にしがみ付き、恐ろしさに震え、泣き叫んでいた。


うん、気持ち、痛い程分かるよ!怪獣特撮映画で言えば、ゴジラの来襲だもん!!私も今、地上で踏みつぶされないように必死に逃げ惑う、名もなき一般人Eの気分だよ!!


「大丈夫だよ!オリヴァー兄様の結界の中にいれば安全だからね!」


そう言って、私にしがみ付いている子供達の背中を安心させるように優しくポンポン叩く。


だが、現状はかなり厳しい。


ヒュドラだけでも大変だというのに、ヒュドラの開けた穴から、再び魔獣が次々と入って来てしまうのだ。


しかも何故か魔獣達はみな、侵入してくるなり周囲を一瞥し、私達の方へと狙いを定めたかのように突進してくるのだ。


捕食生物の本能として、一番餌にしやすそうな者達が一堂に集まっているのだから当然と言えば当然なんだけど、ハッキリ言って心臓に悪い。

なんかこれ、クロス伯爵領のダンジョンで妖精の輪フェアリーリングから出て来た魔獣と対峙した事を思い出すな。


「……エレノア。君は皆とここで大人しくしているんだよ」


「え?」


唐突にそう告げるなり、オリヴァー兄様は私の頬にキスを落すと、自ら作った結界をスルリと通り抜けた。


「え?ちょっ……オリヴァー兄様!?」


「大丈夫だよエレノア。以前君がやった事と同じだ。こういうものは、元を断たないとね」


そのタイミングで、ワーウルフが兄様に襲い掛かる。が、次の瞬間。青白い炎に包まれ跡形もなく消滅する。


そして更に兄様は、突然結界から出てきた兄様にギョッとする騎士達の間をすり抜け、自分めがけて次々と襲い掛かって来る魔獣達を次々と消し炭にしながら、その場から高く跳躍すると、自らが牧場内に張り巡らされた結界をスルリと通り抜けてしまったのだった。


更に音も気配も無く現れたローブ姿の男達もオリヴァー兄様の後を追い、次々と結界の外へと出て行く。


そして彼らの姿が見えなくなった後、みるみるうちに破られた結界が塞がっていった。

最初に開いた穴も、ワイバーンの身体がボロボロと炭化し崩れ落ちて小さくなっていき、そのまま塞がってしまう。


「え!?に、兄様!?元を断つって……それって、どういう……!?」


バッシュ公爵家の影達(多分)と共に結界の外へと消えた兄様に戸惑い、動揺する私同様、騎士達も突然のオリヴァー兄様の行動に戸惑っているようだ。


だが、入り込んでしまった魔獣と、九頭大蛇ヒュドラがいる以上、一瞬の油断が死に直結してしまうのが分かっている騎士達は、瞬時に気持ちを切り替え、刀を振るい続けていった。






「……オリヴァーの奴、仕掛ける気か……。だったらこっちも、全力以上を出さねぇとな!」


そうひとりごちながら、クライヴは何か・・を探すように九つの鎌首をゆらめかせている九頭大蛇ヒュドラに真っ向から対峙した。


そして己の刃に『水』の魔力を最大限纏わせながら、詠唱をおこなう。


「我が名、我が魔力に宿れ『氷結の息吹』。全ての者に白銀の死を!!」


渾身の力で刀を振り下ろす。すると青銀の斬撃が九頭大蛇ヒュドラの胴体に直撃した。


九頭大蛇ヒュドラの鱗はレアメタル並みの強度を誇る。斬撃はその鱗に阻まれ、九頭大蛇ヒュドラに傷一つ負わせることが出来ない……筈だった。


だが、はじき返された筈のその斬撃は、九頭大蛇ヒュドラの身体に触れた瞬間霧散し、乱反射しながらその身体を足元から凍りつかせていく。


それに抗うように、九頭大蛇ヒュドラの鎌首が縦横無尽にうねり、クライヴ目掛けて毒液の集中砲火を浴びせかける。が、毒液に反応した防御結界が煙をあげるものの、その身に傷一つ付ける事は叶わなかった。


「……さて。九頭大蛇ヒュドラは確か、首全部を同時に落とさねぇと、再生しちまうんだったな……」


動きは封じたが、あの固い首を自分一人の力で同時に切り落とすのは流石に不可能だろう。

オリヴァーも別件で不在だし、騎士のほぼ全てが魔獣の群れと交戦中だ。……さて、どうするか……。


「クライヴ様!!一瞬で結構です!あの九頭大蛇ヒュドラの全身を凍らせる事は可能ですか!?」


突然、団長のクリスが声を張り上げる。振り向けば、身体の中心から左右に別れていくバイコーンの中心に剣を構えた状態のクリスの姿があった。


「全身を?一体どうする気だ!?」


「僕の魔力属性は『風』です!九頭大蛇ヒュドラが弱った隙に、仕留めます!」


「おい、バカ言うな!あの固い九頭大蛇ヒュドラの鱗に、俺の氷結が加わるんだぞ!?アダマンタイトレベルに固いもん、どう仕留めるってんだ!?」


見たところ、クリスの剣は魔力を帯びてはいるものの、普通の剣だ。いくら剣技が優れていても、それなりの鉱物を元に造られた剣でないと、あの固い鱗には傷一つ付ける事が出来ないだろう。


「ご安心を。こいつティルの力を使います!」


「そいつを……?それはどういう……」


「いーからさぁ!とっとと団長に言われた通りにしろよ!お坊ちゃま!!」


戸惑うクライヴの背後から襲い掛かってきたバジリスクを一瞬で細切れにしたティルが、いつもの陽気な青年の顔をかなぐり捨てた、野性味溢れる表情で不敵に笑う。


その黒い瞳は魔獣の血に酔ったかのごとくにぎらついていて、返り血を全身に浴びたその姿は、まさに戦闘狂バーサーカーと呼ぶに相応しい様相だった。


「不敬を承知で言わせて頂ければ……。その馬鹿の言う通り、さっさとぶちかませ!……ですかね?」


いつもは騎士としての分を弁え、礼儀正しいクリスだが、そのオレンジ色の瞳もティル同様、凄まじいまでに好戦的な色を湛えぎらついていた。


――間違いない。この二人、俺の親父と同類だ。


強者と戦う事に喜びと興奮を見出す戦闘狂バーサーカー。この気性でよくぞバッシュ公爵領の騎士などやっていられるものだ。


だがこういう気性の男達ほど、一旦懐に入れた者は決して裏切らない。エレノアの護衛としては最適と言えるだろう。


クライヴはニヤリと笑った。


「……いいだろう。俺を顎で使った分の働きは期待しているぞ!」


そう言うと、クライヴは九頭大蛇ヒュドラに向かい、詠唱と共に、再び刃を振るった。



======================



結界の内と外で、それぞれの戦いが行われています。

そしてエレノア。名もなき一般人って言いつつ、しっかり頭文字が付いています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る