第388話 ただいまです

シリルが突然現れた謎の男と共に消えた後、一瞬固まっていたその場の面々が我に返ったように、周囲に向け、警戒を強めた。


当然、ディランやリアム、そしてセドリックも、ヒューバードやマテオ達と共に、聖女であるアリアをぐるりと囲むように、周囲を鋭く伺っている。


会場のそこかしこで戦っていた貴族達や騎士達、そしてバッシュ公爵家家門の当主達も、周囲を警戒しながら、こちらの方へと走り寄って来るのが見える。

中には怪我を負っている者達も見受けられたが、アシュルの癒しの魔力が効いているのか、皆思ったよりも元気そうな様子だった。


「今のは一体……!?」


「間違いなく、帝国の者……だろうな。だが、この・・結界をくぐり抜け、侵入を果たした挙句、あの第四皇子ごと転移を果たすとは……!」


オリヴァーとクライヴは、互いに背を預け、周囲を鋭い視線で伺いながら声を掛け合う。


フィンレーが潰したとされる『魔眼』持ちの放っていた魔力妨害。それが消滅した時点で、瞬時に屋敷全体に張られた防御結界は、あの牧場に張った結界と同じもの。

なのにあの謎の男は、それをものともせずに侵入を果たしたのだ。


「やはり、帝国の『魔眼』持ちは侮れねぇな。ここぞという時に、こちらの肝を冷やしに来やがる!」


クライヴが険しい表情でそう吐き捨てる。

オリヴァーもその言葉に頷きながら、ギリ……と、奥歯をきつく噛み締めた。


——まさか、あの男を取り逃がす羽目になってしまうとは!


今回起こった一連の出来事。

皇帝の意を汲んでの行動だったのかもしれないが、実行犯は確実にあの第四皇子だ。


最愛の妹であり、婚約者でもあるエレノアを、『こぼれ種』などという汚らわしい名で呼び、己がモノにしようとした許されざる敵。


出来れば捕らえたあの瞬間、後顧の憂いを断つ為にも、ひと思いに命を絶っておきたかった。


『だが、このアルバ王国の臣として、それは……出来ない……!』


帝国がアルバ王国の内情を深くは探れないように、アルバ王国の方も、未だ持って帝国の深部に入り込む事が出来ていないのだ。


だからこそ今後の帝国の出方を読み、あわよくば駒とする為にも、皇族であるシリルは生かしておかなくてはならない。


もしシリルが帝国に切り捨てられる可能性があったとしても、情報を搾り取るだけ搾り取れれば、今後の対策に活かす事が出来る。


エレノアを……。アルバ王国の民を守る為にも、一個人の私怨を優先する訳にはいかなかったのだ。……けれど……。


「ならばせめて、足の一・二本……いや、そもそも片目ではなく、両目とも焼き潰してやっていれば……。そうだ……。どうせフィンレー殿下に脳内の情報を吸い取ってもらうのだから、あの不快な声を二度と出せぬよう、いっそ舌も……」


暗黒オーラを漂わせ、怒りの表情を浮かべながら、物騒な事をブツブツ呟くオリヴァーを見ていた招待客達や近衛騎士達等は、『魔人だ……!』『病んだ暗黒魔人がここにいる……!』『こ、こわっ!』と、心の中で呟きながら身を震わせた。


愛しい婚約者の一生に一度の晴れ舞台を台無しにされた挙句、理不尽な暴挙を行ったのは、あの帝国……。


一体何故、あの大国が突如としてアルバ王国に牙を剥いて来たのかは分からない。

だが、これだけの事を仕出かした相手に対し、アルバの男として、怒りに我を忘れるのは当然の事だろう。分かる……分かるぞその気持ち!


だが、ちょっと……その、荒ぶり過ぎではないだろうか?


実は帝国がエレノアを『こぼれ種』認定し、帝国に連れ去ろうとしていた……という事実を知らない者達は、オリヴァーの底知れぬ怒りに、ただただ慄くばかりであった。


「オリヴァー!」


「オリヴァー兄上!」


クライヴとセドリックという常識派の婚約者達が、病んでる万年番狂いに声をかける。

その事に、周囲の誰もがホッとした表情を浮かべた。


確かに気持ちは分かるが、暗部の拷問レベルの妄言を垂れ流すのは良くない。主に周囲の精神衛生的に。


「済まない!俺が黙って見ていた所為で……!お前だけに任せず、あいつの両手足を凍らせ、砕いてさえいれば……!」


「兄上!悔しいお気持ち、僕も同じです!次にあの皇子に会った時は、共に息の根を止めさせて下さい!」


ーー駄目だ!こいつら全員病んでいた!!


見れば、バッシュ公爵家王都邸や本邸の騎士達や、いつの間にか傍にやって来た本邸の家令、並びに家門の当主達が、揃って同意するように深く頷いている。


周囲の者達は改めて、バッシュ公爵家やそれに連なる者達のヤバさに戦慄した。


「おいおい、お前ら落ち着け!オリヴァー、気持ちは分かるが、お前が負わせたあの傷、『聖女』クラスじゃなければ完治させられねぇ筈だし、そもそも帝国は、癒し系の魔力持ちは生まれ辛いらしいから、ぜってー後遺症残る筈だって!な、それで溜飲下げろよ!」


「ディラン殿下……」


――ディラン殿下!貴方も何気にえげつない事言ってますね!?


「そうだぞオリヴァー・クロス。直接一泡吹かせられたんだから、上等だ!……逃がしたのは痛いが、今回、奴らの思惑は全て潰せたんだし、捕虜も捕らえる事が出来た。あちらも当分、こちらの出方を警戒するだろうから、不用意に仕掛けてはこられないだろう」


「リアム殿下。……はい、そうですね」


ディランとリアムの言葉を聞いた後、オリヴァーは詰めていた息を吐く。

ここにきて初めて、オリヴァーは少しだけ冷静になる事が出来た。


「殿下方、僕とクライヴに先発を譲って頂き、誠にありがとうございました」


そう、本当なら、彼等とて愛する婚約者エレノアを奪おうとしたシリルを八つ裂きにしてやりたかったに違いない。後方で他の者達を守り、母である『聖女』に力を貸し続けていたアシュルだとてそうだ。


だが、表向き婚約者ではない彼らが、自分達を差し置いて前線に出る訳にはいかない。


そんな歯痒い思いを噛み締めながらも、後衛に徹し続け、シリルに逃げられた自分を責める事無く、励ましの言葉をくれる彼らに、オリヴァーは感謝と敬意を込め、深く頭を下げた。


「それより……あの元騎士団長だがな、お袋が必死に治癒を施してはいるが……多分、もう……」


そう言われ、目をやった先には、満身創痍……という言葉も憚られる状態となったジャノウ・クラークが、床に寝かされていた。


先程姿を消したシリルにより、狂人化された影響なのか、全身が渇いた泥のように、ボロボロと剥がれ落ちたようになっており、また先程まで死闘を繰り返していた結果、黒く焼けただれていたり、凍った切り傷を無数に受け、『聖女』の祈りを込めても、一向に回復の傾向が見られなかった。


治癒魔法は、その者の魔力や生命力に直接働きかけ、活性化させるものだ。

多分だが、彼に残る生命力も魔力も、もう殆ど残っていないに違いない。


「……団長……」


そんなジャノウの姿を、未だ重症のクリスがネッドとポールらに支えられながら、アリアと向かい合う形で、苦渋の表情を浮かべながら見つめている。

バッシュ公爵家本邸の騎士達もまた、自分達の団長だった男の、あまりにも変わり果てた姿を目の前にし、誰もが沈痛な表情を浮かべていた。


オリヴァーもクライヴも、セドリックも……。いや、その場にいる者達全てが、やるせない気持ちと憐れみをもってジャノウを見つめる。


騎士の領分を忘れ、挙句帝国に利用され、このような凶行に及んでしまった彼の罪は重い。

だが彼は、自分達と同じアルバ王国の民である。そして『加害者』であると同時に『被害者』でもあるのだ。


「……せめて、心の安らぎだけでも得て逝ければ……」


その時だった。


重苦しい空気を切り裂くように、マイペースな声がかかる。


「あ、タイミング良く終わっていたみたいだね。……あれ?あの生意気そうなクソガキどこ?」


帝国の襲撃再びかと、慌てて警戒態勢をとったオリヴァー達の目の前には、黒い触手の先に、複数の男達を撒き付けながら立っているフィンレーと……白い騎士服を真っ赤に染めたエレノアが立っていたのだった。


「……え、えっと……。ただいま……です」


シーンと静寂に包まれた空気の中、エレノアがおずおずと、そう口した。次の瞬間。


「うわぁぁぁっ!!エレノアー!!!」


「おおおお、お嬢様——ッ!!!」


「キャーッ!!エレノアちゃんー!!!」


「うわーっ!!ちょっ!まっ!!エルー!!」


「エエエ、エレノア嬢ーーッ!!!」


「ひ、姫騎士様が——ッ!!!」


目を見開き固まっていたその場の全員が我に返り……心の底から絶叫したのだった。



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エレノア菌に罹患した症状の一つに『病み』があるとかないとか?

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