第387話 逃亡と第三皇子
「が……ッ!!」
崩れ落ちる身体。床にジワリと血が広がっていく。これは……僕の血……なのか?
「シリル殿下」
先程と同じ、凪いだ声がかかる。
腹に力を込め、必死に顔を上げてみれば、紅く揺らめく炎を纏った刀を手にしたオリヴァー・クロスが、刀身同様、燃え盛る炎のごとき紅い瞳で僕を見下ろしていた。
「ご安心下さい。かすり傷……とは言えませんが、致命傷ではありません。ちゃんと助けて差し上げますよ。捕虜としてですがね。本当なら、一息に嬲り殺しにして差し上げたいところですが……」
先程の声と同様、凪いだ表情でそう言い放つ男。だがその瞳には、紛れもない怒りと殺意が渦舞いている。
そして、自分を取り巻く全ての者達からも、同様の殺意と怒りが奔流のように押し寄せてくる。
握り締めた手の中が、じっとりと汗で濡れる。心臓の鼓動が耳鳴りのように煩い。
身体の震えが激しくなるのは、果たして血が流れ出ている為の貧血ゆえか……それとも恐怖か。
「オリヴァー様。フィンレー殿下からで御座います。『デヴィンという魔眼持ちは潰したけど、そちらはどう?』だそうですよ?」
……デヴィンが……潰された?
『馬鹿な!どういう事だ!?あの王子は力を使えなかった筈なのに……!!』
「イーサン。……そうか。概ね計画通りだね。『こちらも捕縛完了。暫くしてから帰還されたし』とお伝えしてくれ」
ーー計画通り……だと!?
オリヴァー・クロスの言葉に戦慄を覚える。
ひょっとして、イーサン・ホールとあの王子は魔力妨害の中でも、魔力が使えたのか……!?しかも互いに意志疎通が取れる!?
『いや、それよりもこいつらまさか、ここに至るまでの全てを想定し、動いていたと言うのか!?』
だとしたら僕は、こいつらの掌の上で踊っていたという事に……。
「き……さまら……!!よくも……!!」
あまりの怒りに、目の前が真っ赤に染まる。
帝国の……帝位継承権第一位であるこの僕に、よくもここまでの屈辱を……!!
だが、深手を負ったこの身では、思ったように『魔眼』の力を振るえない。転移をしようにも、魔術師達は全員捕らえられてしまっている。
このままでは、屈辱の元捕らえられ、ありとあらゆる恥辱と拷問の果て、帝国の情報を洗いざらい吐かされるだろう。
『ならばいっそ、この場の何人かでも道連れに……!!』
見れば、目の端に床に崩れ落ちているジャノウの姿がある。
あの男にかけた『狂人化』の力。それを自分自身にかけ、自爆してしまえば……!!
「ギャアッ!!」
激痛が右目を襲い、悲鳴を上げてのたうつ。焦げた嫌な臭いが鼻を抜ける……これは……目を焼かれた……のか!?
「不穏な事を考えておられるご様子。さあ、次は左目ですよ?」
ギリ……と、唇から血がにじむ程に奥歯を噛み締め、見える左目だけで、目の前の男をきつく睨み付けた。
思えばこの計画にケチがつき始めたのは、この男がバッシュ公爵領へとやって来てからだった。
――オリヴァー・クロス……!!
直接的にも間接的にも、帝国の計画のことごとくに関わり、妨害してきた男。
あのエレノア・バッシュの最愛の婚約者……!!
不意に、脳裏に白い花のような少女の姿が浮かんだ。
『この男だけは、絶対に許さない!!いつか……いつか、想像を絶する苦痛を味わわせ、殺してやる……!!』
憎い仇を呪詛を込め、睨み付ける。
たとえこの目が焼かれても、記憶としてその姿を脳裏に刻み付けるように。
「う~ん。流石にこれ以上傷付けられるのは困るなぁ。悪いけど、貰っていくよ」
そんな緊迫した空気の中、緊張感の欠片もない声が割り入る。と同時に、身体が浮遊感に包まれ、気が付けばどこか知らない場所にいた。
夜の冷たい空気と、満天の星空。……ここは……野外?
「やあ、シリル。随分派手にやられたもんだね」
呆然としていた意識に、先程の声がかかり、慌てて振り向く。
するとそこには、少し長めの黒髪を夜風に靡かせ、肉食獣のように闇夜に煌めく紫暗色の瞳をこちらに向けた青年が立っていた。
「……セオドア……兄上……!?」
何故ここに彼がいる!?バトゥーラ修道院の襲撃を行う為、王都にいる筈では!?
「『なんでここに?』と言いたいような顔をしているね。ふふ、たまたまだよ。襲撃は成功したんだけど、結局手に入れられた女はゼロだったし、こっちにくれば混乱に乗じ、何人か掠め取れるかと思ったんだよ。そしたら大切な弟が、思ったよりも苦戦していたから……ね」
兄の言葉に、屈辱と羞恥で顔が熱くなる。まさか、自分より下と見下していたこの兄に助けられる羽目になるとは。
「私の『魔眼』は『転移』に特化しているからね。そもそも逃げるのは得意だし!」
兄は軽くそう言うが、そもそもあの強固な結界の中、単独で『転移』が出来た事が信じられない。
しかも、デヴィンの『魔眼』による力が消えた後、感じた結界の威力は夜会前の比では無かった筈なのに。
「まあ、あの結界は凄まじいね。転移するだけで精いっぱいで、お前しか連れてこられなかったよ!流石の私でも、もう一回やれと言われてもお断りするね。……ああ、そうそう!そういえばもう一人連れて来ていたっけ!」
その言葉に兄の足元に視線をやれば、フローレンスが気を失い、倒れているのが見えた。
「お前宛ての報告書を読ませてもらったけど、中々どうしてこの娘、たいしたタマじゃないか。実に躾甲斐がある。これだけでも、バッシュ公爵領に来た甲斐があったというものだ!」
そう言って楽し気に笑う兄を睨み付けていた視線が、地面へと落ちる。
命の危機を脱したがゆえの脱力か、それとも自分が失敗した事への絶望か。
自分に屈辱を与えた者達に対する怒りや憎しみの感情は未だ衰えずとも、それ以上に虚無感が自分の心を支配していた。
「……そのまま、見捨てれば良かったではありませんか……。そんなに、僕が惨めに堕ちる様を見たかったのですか?」
計画が破綻し、無様に重傷を負って帰還すれば、貴族達や親族の嘲笑と罵倒は避けられないだろう。そして、今迄上位だった帝位継承権も最下位に落ちてしまうに違いない。
「まあ、確かにそれはあるけどね。一番は、ただでさえ少なくなってしまっている皇族の血を失う事を避けたかったからだ。特にお前は、いまや希少となった『転移者』と父との間に生まれた子だしね」
確かに、『異世界人召喚』が出来なくなった今、『転移者』が産んだ子は希少だ。
それに例え自分が傷物となり、今後使えなくなったとしても、その血を後世に残す為の種馬としてならば、価値は十二分にある。
「……お前は今迄挫折を知らず、輝く栄光の道をただ歩いてきた。だが、今のお前は挫折を知った。それを屈辱と捉え、負け犬として堕ちるか、それとも財産として立ち上がるのか……。どちらを取るかはお前の自由だ」
そう言い放った兄の表情は、出血のせいで霞んだ目では上手く見えない。
だがその口調は、いつもの飄々としたものではなく、どことなく真剣さを含むものであった。
「さーて!お前の傷の手当てもしなくちゃだし、そろそろ拠点まで移動しようか!勿論、お土産も忘れずにね!」
再び、飄々とした楽しそうな口調に戻った兄の言葉を聞きながら、シリルの意識は闇の中へと落ちていった。
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いや、節子。それ違う。
全て計画していた訳じゃないから。(何気にリスペクト凄いv)
そして、第三皇子登場です。
逃げに特化した『魔眼』だからこそ、襲撃を計画したようです。
女の為にという事でしたが、実は別の思惑が……?
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