第329話 残酷な可能性と信じる心
バッシュ公爵家本邸の迎賓館。その中に在るサロンでは、オリヴァー、クライヴ、セドリック、そしてディランとリアムが揃ってソファーに腰かけていた。
夕暮れ時に差し掛かった室内を、魔道ランプの光が柔らかく照らしだす。
エレノアが一目で気に入った、木の温もりと緑溢れる室内。だが、その中に漂う空気は、他ならぬ彼らから発せられる何かによって、重く沈んでいる。
しかも彼等の浮かべる表情は一様に暗く、絶世とも言われる美貌は苦渋に塗れていた。
「失礼致します」
静かな声がその場に響き渡り、誰もが衝動的に顔を上げる。
いつの間に入って来たのか。
そこには一分の隙も無い佇まいのイーサンが、常よりも固い無表情で立っていた。
「イーサン……エレノアは?」
「聖女様にご用意いたしました主寝室にて、お休みになっておられます」
イーサンの言葉に、その場の全員が安堵の溜息を漏らした。が、未だその表情は硬い。
「……まさかあいつが、あんなにも取り乱すなんて……」
ボソリと呟かれたクライヴの言葉に、皆があの時のエレノアの様子を思い出し、顔を歪める。
そう。『こぼれ種』の話をした後、エレノアは急に錯乱状態に陥ってしまったのだった。
なだめすかすオリヴァーやクライヴ達の声にも反応せず、オリヴァーの腕の中で暴れ、叫び声を上げ続ける。
誰もがあんな状態のエレノアを見るのは初めてで、どうすればいいのか分からず、ただ動揺するしかなかった。
最終的に、イーサンが『闇』の能力である『鎮静』を使い、エレノアを強制的に眠らせた。
だが、意識を失ったエレノアの閉じた瞼からはとめどなく涙が流れ、うわ言のように「お母さん……お父さん……おばあちゃん……」と、明らかにバッシュ公爵夫妻ではない家族、そして自分達の知らない友であろう者の名をか細い声で呼び続けていた。
心の底から愛する少女の、悲痛極まりないその姿に誰もが言葉を失い、唖然と立ち尽くす。
そんな中、真っ先に我に返り動いたのは聖女であり、エレノアの同郷者でもあるアリアだった。
彼女は素早くイーサンに指示を出し、エレノアと共にサロンを出て行った。
ちなみにだが、今ここに居ないヒューバードはというと、今迄の経緯やイーサンが聞き出した帝国の内情を、王族やアイザックに報告すべく、席を外している。
「……私の所為で御座います」
「イーサン?」
「……私が愚かにも、考え無しに口にしてしまったことが、まさか、あのようにお嬢様のお心を乱してしまうとは……。なんたる無能!この腹を掻っ捌いてお詫び申し上げたい気持ちで一杯で御座います……!!」
無念に耐えないといったように眉間の皺を深くさせ、握りしめた拳を震わせるイーサンに、オリヴァーは疲れた表情のまま首を横に振った。
「うん。それ、絶対止めてくれ。エレノアが泣いちゃうから。……それに、その事を言うのならば僕ら全てが君と同罪だよ。……僕は……いや、僕らは『転生者』であるエレノアの気持ちを、全く理解していなかったんだから……」
エレノアが今のエレノアになってから、前世の家族のことを口にしたのは、自分が彼女が何者なのかと問い掛けた時だけ。それ以外で、彼女の口から前世の家族や友人達の事が語られることはなかった。
今なら分かる。優しい彼女は、『今』の家族の為に、いきなり別れるような形となってしまった『元の』家族への思いを無意識に封印したのだ。そして必死に、この世界に馴染もうとした。
『転生』とは、魂の界渡りである。
あちらの世界で寿命を全うし、魂となった後に、自分はなんらかの偶然でこの世界に転生したのだ……。そう理解していたからこそ、彼女は今のこの『エレノア』としての自分を受け入れたのだろう。
だがここにきて、最悪の可能性が浮上してしまった。
そう。『自分は帝国によってこの世界に呼ばれ、無理矢理あちらの生を終わらせられたのではないか?』という可能性が……。
前世の記憶が、十八歳までしかなかった事も、その可能性に信憑性を与える結果となってしまったに違いない。
――前途ある未来を唐突に奪われ、愛する人達との絆を断ち切られた……かもしれない。
そのあまりにも残酷で理不尽な可能性が、エレノアの意識下に押し込め、眠っていた前世の家族や友人達への思慕をこじ開けてしまった。……結果、先程の錯乱状態に繋がってしまったに違いない。
「……オリヴァー兄上。クライヴ兄上。エレノアは……どうなってしまうのでしょうか?」
「……」
「……セドリック……」
「過去に……いえ。『家族』に目を向けたまま……もう、僕達を見てくれなくなるのでは……」
「馬鹿言うなよセドリック!!」
更に落ちていきそうな雰囲気を蹴散らすように、唐突にリアムが声を張り上げた。
「お前達こそ、エレノアの『家族』じゃねーか!あいつが過去に囚われ、お前達を見なくなるなんて、天地がひっくり返ったってある訳がない!そんな事、一番近くにいたお前達の方が分かってる筈だろ!?」
「リ……リアム……!」
「リアム殿下……!」
「それに、あのエレノアがいつまでも後ろ向きになっている訳ないだろ!?あいつは馬鹿みたいに前向きで明るくて優しくて……。信じられないぐらい強い、最高の女なんだからな!セドリック、んな事考えてる暇があったら、あいつの好きな甘い菓子を沢山作って、死ぬ程食わせてやれよ!!」
「……そうだな。エルはお前達を救う為なら単身、未知のダンジョンに乗り込む事だって出来る強い女だ。今すぐは無理かもしれねぇが、きっと這い上がって来るって、俺は信じてる!だからお前達もエルのこと、信じてやれよ」
「――ッ!!」
「ディラン殿下……!」
リアムとディランの真摯な言葉に、セドリックもオリヴァーもクライヴも、目が覚める思いだった。
そうだ。あの子はどんな辛い目に遭っても、ひたすら前を向いて進んでいく子だった。そして自分達は、その明るく真っすぐな心根を持つあの子だからこそ、魂の底から惹かれたのだ。
「……そうですね……。僕達が今出来る事は、拒絶されるかもしれない恐怖に震える事ではない。あの子を信じ、そして支えてあげる事です。……リアム殿下。そしてディラン殿下。貴方がたに、心からの敬意と感謝を捧げます」
そう言って、首を垂れるオリヴァーに対し、ディランがニッカリと笑顔を浮かべた。
「おうよ!オリヴァー、いつまでもそんな、似合いもしねぇしみったれたツラしてんじゃねぇって!今こそお前の狂気とも言える暑苦しい愛の出番だろ?そんなんじゃ、『万年番狂い』の二つ名が泣くぞ!」
「誰が暑苦しい愛ですか!!それに『万年番狂い』なんて蔑称、勝手に二つ名にしないで下さい!!ディラン殿下!貴方、なんだかんだ言って、やっぱりあのフィンレー殿下の兄君ですね!」
全くもって、折角の感動が台無しである。
だが幸か不幸か、今迄の暗い雰囲気は今のやり取りで、ものの見事に霧散してしまっていた。
このディランという男、あのグラントに勝るとも劣らぬ脳筋な暴走列車ではあるものの、結果的にその裏表のない言動が、廻り廻って周囲を良い方向へと導いていくのだ。
それはリアムも同様で、王家直系としては甘過ぎるきらいはあるものの、相手の本質を見抜き、真っすぐに相手と対峙しようとするその真摯な姿に、誰もがいつの間にやら絆されていってしまう。
それは努力しても得る事が出来ない、王家直系としてのカリスマともいうべき、まさに天賦の才。
オリヴァーはほんの少しだけ、ディランとリアムに嫉妬を覚えた。
「おい、家令。お袋……いや、母上は?」
ディランの言葉に、イーサンは眼鏡のフレームを指で押した後、唇を開いた。
「聖女様はお嬢様の傍らに寄り添って下さっております。……暫くの間、二人きりにして欲しいと……」
「……そうか……」
再びその場の全員が口を噤んだ。
このような状況下にあって、エレノアの心に寄り添える者がいるとすれば……それは間違いなく、エレノアと同じ国から転移してきたアリアただ一人であろう。
彼女だとて、帝国の策略に巻き込まれたかもしれない、いわば被害者である。エレノア程ではないにしても、きっと心中は穏やかではない筈だ。
それでも、情けない限りではあるが、今は彼女に縋る以外に方法はない。
「聖女様、申し訳ございません。ですが、どうか……どうかお願い致します。エレノアの心を救ってあげて下さい……」
皆の心を代弁するように、オリヴァーが祈る様に小さく呟いた。
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エレノアと一番近いがゆえに、たらればの恐怖が強くなってしまった兄様方&セドリック。
そんな彼らを鼓舞したのは、ライバルでもあるロイヤルズでした。
なんだかんだで、アルバの野郎共はいい男が多いですね。
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