第95話 獣人王国の思惑

――甘い…甘い香りがした。


花の香りではない。菓子の香りでもない。ましてや香水のような人工的なものでもない。


とてつもない幸福感を伴う、心の底から高揚感を沸き立たせる極上の香り。切ないような、苦しいような…。ああ…でも、ただただ嬉しくて、愛しくて…。


――どこだ…?どこから、この香りはしているのだ!?


早く見つけ出せ。己のものにしろ…と、本能が喚き出す。その激情を抑えながら、段々と強くなっていく香りに近付いて行く。…自分の…運命に…。



なのに…何故…!?何故アレが…俺の…







「何故、あんな女が…!!?」


レナーニャの怒声に、ヴェインは意識を現実へと引き戻される。それと同時に、周囲の装飾品が次々と破壊され、粉々に砕け散っていった。


「レナーニャ殿下!」


「殿下!お気をお鎮め下さい!!」


レナーニャの怒気に巻き込まれるのを恐れ、周囲の侍女や護衛達は皆、遠巻きにしながら必死にレナーニャを説得し続ける。


獣人王国の者達は、大なり小なり魔力を持って生まれるが、身体能力に特化した種族ゆえに、俊敏さや強靭さに比べ、魔力量が多い者はさほどおらず、潤沢な魔力とそれを使いこなす力量を持つ者は、王族を始めとした上位種の中でも僅かしかいなかった。


――レナーニャは王の子達の中でも特に魔力が強く、更に母親である正妃譲りの『妖術』を使いこなす事が出来た。


今現在、彼女の尾は長く、そして九つに枝分かれし、触れるものを次々と破壊しているのだ。魔力と妖術を練り合わせて作られた「アレ」に巻き込まれでもすれば、大怪我をするか、下手すれば命を失いかねない。


更に隣のジェンダやロジェの部屋からも、罵声と破壊音が響いてくる。彼女らはレナーニャのような妖術は使えぬ為、物理で破壊行動を行っているのであろう。


「姉上、落ち着かれませ!」


ヴェインがうんざりした様子で姉に声をかける。レナーニャはその美しい顔を怒りの色に染め、狐のように細めた瞳孔をヴェインへと向けた。


「落ち着けと…?そう妾に申すか、ヴェイン!本来であれば、この妾に対し、このような屈辱を与えた連中、全てを八つ裂きにし、国ごと滅ぼしてやろう所であるのに…!」


「…ご自身の番も、殺すおつもりで?」


「馬鹿な事を申すなヴェイン!あの者は殺さぬ!!妾の番じゃ!魂の半身なのじゃぞ!?…ああ…。オリヴァー・クロス…!」


レナーニャが切なそうな…溢れんばかりの恋情を込めた声で、自分の番の名を呟いた。


…今回の騒動によって、この国の男達にとって最も大切なのは、『矜持プライド』であるという事。それが明らかとなった。


だからこそ、例え意に沿わぬ者が自分の婚約者になろうとも、この国の男としての矜持プライドゆえ、絶対に相手を裏切らないのだ。…そう、レナーニャは理解した。


――あの者がこの国の人間である以上、例えあの者が自分に想いを抱いていたとしても、決して自分を選ぶ事は無いだろう。…そう、この国の人間・・・・・・であれば…。


「あの者を妾から引き離し、縛りつけているこの国そのものを滅ぼし、分不相応に婚約者面するあの女を殺せば、きっとあの者は私を選ぶ筈…!だって妾達は番なのじゃもの!そうに決まっておる!!」


――あの女を…殺す…?


ザワリ…と、意図せずヴェインの身体から殺気が立ち昇った。


「おお、ヴェイン。妾の為にそのように怒ってくれるのか?愛い奴じゃ。お前もあの醜女を目障りに思っておったものなぁ。…そうじゃな。ただ殺すのは勿体ない。この国を手中に収めた暁には、あの女の殺傷権はお前にくれてやろう」


ピクリ…と、ヴェインの形の良い眉が上がる。


「あの女を…私に?」


「そうじゃ。ひと思いに殺すか、散々嬲ってから殺すか…。お前の好きにすると良い。ああ、それともいっそ、お前の優秀な血を繋げる為の道具にでもするか?」


ヴェインの放った殺気が、まさか自分に向けられていると気が付かないレナーニャは、自分の憎い恋敵を害する計画を楽しそうに語り出し始める。それに伴い、レナーニャの荒ぶった『気』が徐々に鎮まっていき、周囲から安堵の溜息が幾つも漏れる。


「そうじゃ。ひと思いに攻め滅ぼしてしまえば、一時留飲を下げるだけで終わりになってしまう。当初の目的通り、まずはこの国を掌握し、男も女も奴隷として服従させなくては!我らシャニヴァ王国の貴重な血を次代に繋げる為に…!」


『俺が、あの女を…自分のものにする?』


――貧相な体躯、冴えない容姿。人族の女の中でも最も下のランクであろう女。


常に自分以外の誰かの腕の中で、幸せそうな笑顔を浮かべた姿を晒している…。不快で目障りでどうしようもない、あの女を…?


ヴェインの胸に、嫌悪感と抗いがたい甘い衝動が強く渦巻いた。






遥かなる昔。様々な能力を有する亜人種に対し、力の弱かった人族は、他種族からの迫害を逃れ、肥沃で豊富な資源を有する東の大陸を捨て、まだ未開の地である西の大陸へと逃れた…と、獣人の国であるシャニヴァ王国では言い伝えられていた。


実際、東の大陸に比べ、西の大陸は実りも資源も少なかった。また、人族は最も劣った種族であるとされていた為、彼らや彼らの治める国々に興味を抱く者など、シャニヴァ王国では殆ど存在しなかったのだ。


――その認識が変わった切っ掛けは、奴隷である人族の女が産んだ子供だった。


さる有力部族の長が、気まぐれに奴隷商から買い付けて手を付け、産ませた子供。だがその子供は人族の混血であるにも係わらず、純粋な獣人同士から生まれた子供よりも父親の能力を継承し、ずば抜けた力を発揮したのだ。


その事に驚いた長が調査してみた所、同じ様に人族の産んだ子供は、そのほぼ全てが親である獣人の優れた力を継承していたのだった。


例え力のある獣人同士で番っても、親の能力が子に遺伝する確率は半々。なのに男も女も、人族を使って産ませた子供は、その全てが獣人の能力をそのまま子に継承させる事が出来たのだ。


――よもや、種として劣る人族に、このような有効的な利用方法があったとは…!


シャニヴァ王国は極秘裏に人族を得る事に躍起になった。特に魔力を有する人族は、その魔力をも子に継承させる事が出来るだろうと考えたからだ。

実際、魔力を持った人族の産んだ子は、そうでない子よりも能力が高い者が多かった。


だが、大陸は西と東に分かれ、他の種族はともかく、獣人王国は、西の大陸とはほぼ国交の無い状態。ましてや世界的に女性が不足しているうえ、繁殖力が獣人よりも低い人族が住まう西の大陸では、更に女性の数が少ない。


獣人の女に人族の男との子を産ませるよりも、やはり身体能力が女よりも高い男の獣人の子を人族の女に産ませる方が、より能力の高い子が出来る。


だが、貴重な女は東の大陸には滅多に流れてこない。ましてや魔力の高い女となれば、更に数が少なくなる。それゆえ、どれだけ金を積んだところで、得られる女はごく僅かだけであった。


いっその事、西の大陸を掌握し、人族を強制的に奴隷にしようとも考えたが、人族の国家が結託し、抵抗されればそれも難しい。


それに自分達が暮らす東の大陸は多民族国家であり、一枚岩ではない。人族と友好的な国家も多数ある上、大陸の実質的な支配国家である獣人王国に悪感情を持つ種族も多い。もし彼らが人族と結託し、共に攻めて来られでもしたら、厄介な事になる。


だからこそ、「国交を結ぶ」という大義名分を掲げ、人族の国々に接近したのだ。


東の大陸は、獣人王国が豊かな土地をほぼ独占している。先んじて友誼を結べば、膨大な利益を得る事が出来る…と、エサをちらつかせれば、矮小で力の弱い人族の国家など、たちどころに尻尾をふってすり寄って来るだろう。

案の定、多数の国家が自分達の申し出に興味を持ち、接近して来ようとした。後は人族の中でも力のある国家に入り込み、内部から乗っ取っていけば…。


――そんな最中さなか、どの国よりも先んじて接近して来た国。それがアルバ王国だった。


西の大陸でも、比較的肥沃で豊かな土地を有する大国である…と、話に聞いた事があった。


しかも国民性は他国に比べて穏やかそのもので、加えて人族国家の中では魔力を持つ者が圧倒的に多いらしい。しかも大国でありながら、この数百年もの間、一度も戦争を起こす事無く平和を謳歌し、大小問わず、国交を結んでいる友好国も多いとの事だった。


――好戦的でなく、魔力も多い、平和ボケした人族国家の大国。


人族国家を支配する足掛かりとするには、まさに理想的とも言える国だった。


それゆえ、アルバ王国の使節団の受け入れを許可したのだが、途端、何故か他の西方国家が次々と波が引くように、様子見を決め込み始めたのである。


人族国家のその行動に、僅かばかりの警戒心が湧き上がったが、それもすぐに霧散した。


さもありなん。多分だが、どの国家もアルバ王国の出方を見て、自分達の今後を見極めようとしたのであろう。ならばせいぜい、シャニヴァ王国の威光を人族国家に知らしめる為の人柱になってもらうとしようか。


そうして訪れたアルバ王国第三王弟、フェリクス率いる使節団が到着した時、彼らのあまりの美しさに、その姿を目にした者達は皆、一斉に息を飲んだ。しかもその中には、この東の大陸でもその名を馳せた『ドラゴン殺しの英雄』グラント・オルセンまでいたのである。


だが、彼らから感じる魔力量は、話に伝え聞いたものとは比べ物にならない貧相なものであった。あの『ドラゴン殺しの英雄』からも、たいした覇気は感じられなかった。


だが逆に考えれば、魔力量が大した事が無いのであれば、組み伏せ、支配する事が容易いという事である。世に名高きドラゴン殺しが将軍であるという事には肝を冷やしたが、噂通りの実力を持たないのであれば、恐るるに足らず…である。


国王と側近達は、アルバ王国をまず支配国家にする事を決め、その足掛かりとして王太子や王女達を留学の名目で送り込んだのだ。


彼らと共に、堂々とアルバ王国に入り込んだのは、シャニヴァ王国きっての精鋭達。そして留学期間中、密かに手引きをし、多くの兵や暗殺者達をこの国に忍び込ませる。


そして王太子や王女達が、まずは王宮を掌握し、各地に潜ませた兵たちにより、アルバ王国の要所要所を速やかに制圧していき、支配下に入れる…。それがヴェインやレナーニャ達に課せられた極秘任務であった。


だが、思わぬ番狂わせが発生し、留学期間が半分にされてしまった。もう既に、かなりの数の兵達がこの国に潜入しているとはいえ、かなりの痛手だ。


「ガイン、国元の父王に伝令を。潜入させる兵を倍にして送りこんで下さるように…とお伝えせよ」


「ですが殿下。そのように急いて、万が一気が付かれでもしたら…」


「それはあるまい。数百年、女に選ばれる事のみに心血を注いでいる平和ボケ共じゃ。実際、我が国の精鋭達の潜入に気が付く者など誰一人としておらぬではないか」


「それは確かに…」


「理解したなら、さっさと動くがよい。忌々しい限りじゃが、時間が足りぬのじゃ。当初の計画を滞りなく遂行する為には、早急に動かなくてはならぬ!」


「はっ!」


「…今に見ておれ。この妾を侮辱したその非礼、想像を絶する恥辱と屈辱を持って返してやろうぞ…!」


そう、誰に言うでも無く独り言ちた後、レナーニャはテラスへと向かい、己の想い人と同じ色を纏う夜空を見上げ、番と共に在る自分の輝ける未来へと思いを馳せたのであった。


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獣人王国の、真の目的が判明です。長い鎖国状態だった為、アルバ王国のヤバさが分かっていない模様。西の大陸国家は、あの国のヤバさを理解している国が多い為、一斉に様子見に入りました。

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