第286話 理性と欲望の狭間で

思考停止し、硬直した身体がゆっくりとエレノアを押し倒す形でベッドに沈んでいく。


「クライヴにいさま……」


再び甘い声で名を呼ばれ、クライヴは震える腕でエレノアの身体を抱き締める。するとエレノアが幸せそうに唇を綻ばせた。


「エ……エレ……ノア。おまえ……起きて……るのか?」


掠れた声で確認する自分にお構いなしとばかりに、エレノアがスリスリと顔を甘える様に首筋に摺り寄せる。


「――ッ……!!」


サラリとした髪と甘い香り。そして小さな唇と吐息が首元をくすぐるたび、胸の鼓動がバクバクと跳ねあがる。ついでに不埒な箇所もとんでもない事になっている。……しかも密着しているお陰で、エレノアの薄い夜着越しに柔らかい感触がこう、ダイレクトに……。


――何だこれ、俺は今天国にいるのか!?……いや、ベッドの中か。


思わず自分で自分にツッコミを入れてしまう。


だ、だが本当に、ここまで挑発されたら、もう我慢する必要なくないか?そもそも婚約者が同衾の誘いを受けてんだから、我慢する必要ないよな?そうだよな!?


もはや欲望と理性のシーソーゲームは、欲望に軍配が上がってしまっており、理性はコーナーの隅に追いやられ、ギブアップ寸前である。


クライヴは男としての本能に抗わない事を決めた。


幸い(?)今現在の自分にはストッパーが存在する。何が悲しくて衆人環視の中での羞恥プレイをせねばならんのか……という葛藤は当然あるが、それはそれ。もはや割り切るしかないと葛藤は隅に追いやっておく。


「エレノア……」


湧き上がる愛おしさを込め、桜色の唇に深く唇を重ね、呼吸を邪魔しない程度に甘く柔らかい感触を楽しむ。

そして唇を離すとそのまま顎から首筋をなぞるように落としていき、エレノアの白く浮き出ている鎖骨付近に軽く吸い付いた。


「っ……あっ……」


濡れた感触に、エレノアの身体が跳ね、吐息の様な声が漏れる。


その声に興奮が一気に高まり、そのまま肌を強く吸い上げようとした次の瞬間。物凄い殺気が矢の様にクライヴめがけて降り注ぎ、我に返らせる。


『ッッ~~!!……あ、あっぶねぇ!!』


危うくキスマークをつけそうになった事実に青褪める。


こんな所に痕を付けたら、いつ何時オリヴァーに見付かってしまうか分からない。というよりエレノアになんと言い訳して良いか分からない。

……いや、こいつなら「虫刺され」ですぐに納得するだろう。だが、他の連中はそうはいかない。


『お、思っていたよりも危険だ……!』


クライヴは、己の顎を伝う汗を腕で拭った。


たかが添い寝。されど添い寝。


心の底から愛しい女相手では、自制など何の役にも立ちはしないのだと、この期に及んで痛感させられてしまう。


『……折角の機会なんだが……。勿体ないがエレノアも起きそうにないし、これぐらいにして部屋に戻るか……』


そう思いながら身体を起こそうとしたその時だった。


「ん?」


右手にフカッとした柔らかい感触が……。


『――!!!?』


柔らかいものの正体がエレノアの胸だと瞬時に察したクライヴは、今度こそ石化した。エレノア的に言うなれば、これこそ正統派の『ラッキースケベ』である。


ドッドッド……と、胸の鼓動が鼓膜に響いて煩い。再び汗も噴き出てきて呼吸も荒くなっていってしまう。……しかも……しかもだ。


『……こっ……これは……!!』


前回、王都邸で一緒に入浴した時より、明らかに成長している。まさかこんな状況で妹の成長を知る事になろうとは……。最悪だ!!……いや、最高というべきか!?と、とにかくこれって、喜ばしい事には違いない。オリヴァーやセドリックにも是非報告を……って、したら確実に殺されるだろ!!ええぃ!とにかく自分、落ち着け!!


パニックのあまり、心の中で再びセルフボケツッコミをしていたクライヴだったが、そうこうしている内にうっかり手に力が入ってしまい、当然と言うかその結果……。


むにっ。


「あ!?」


「んっ!」


ラッキースケベアゲインである。


揉んでしまったその感触に、二人同時に声があがる。と同時に、天井から物凄い殺気と、ついでに暗器がクライヴめがけて矢のように降り注いだ。


我に返ったクライヴが暗器全てを凍結して直撃を防ぎ切ると、ギッと天井を睨み付ける。


――ふざけんなよてめーら!今のは完全に不可抗力だっただろうが!!しかもまた人数増えてんだろ!?この気配!王家の影も混じってやがんなこの野郎!!ってか、よく考えたらなんでこのベッド、天蓋が付いてねーんだよ!?あんのクソ家令……!こうなると分かっててわざと取っ払っていたな!?


声にならない声で、天井裏の影達を罵りつつ、直撃は防いだものの、自分めがけてボトボト落ちて来た暗器を手早く回収していく。


『起きて……ねぇよな……?』


恐る恐るエレノアの顔を覗き込むと、目は閉じているものの、心なしうっすらと頬が紅潮している。


「…………」


それを目にした瞬間、先程までのアレコレが蘇ってきてしまい、再び下半身にあらぬ熱が集中してしまう。


『ッ……くそっ!!もう……限界だ!!』


クライヴは入って来たのと同じく、スルリと音も立てずにベッドから滑り下り、掛布をそっとかけ直した。

そして深く、ふかーく息を吐き出すと……目にも止まらぬ速さで続き部屋の先にある自室へと消えて行ったのだった。






「……ん……」


「起きたか?」


ぼんやりと目を開けたエレノアは、自分のすぐ傍からかかった声に、半分閉じていた目をパッチリと開いた。


そして自分がクライヴの胸にすっぽりと抱き締められている事を知った瞬間、ボンッと顔を真っ赤にする。


「え?え!?ク、ク、クライヴ……にいさま……!?な、な、何で一緒に寝て……ふにゅ!?」


「何でって、お前が昨夜添い寝してくれって言ったんじゃねぇか!」


鼻を摘ままれながらそう言われ、昨夜の出来事がフラッシュバックする。


――そ、そういえば……言った……よね。


「あの……。じゃあずっと、こうして添い寝してくれていたんですか?」


まだ赤みの引かない顔でおずおずと尋ねてみれば、何故かクライヴはスンとした顔で「……まあな……」と一言口にする。

だが添い寝していたという割に、心なし目の下にうっすらとクマが出来ているように見えるのは気のせいだろうか……?


「……お前、勘違いしているんだろうが、俺はあの女なんかどうとも思っていねぇからな?」


「え?」


「昨夜だって、あの女をこの本邸から出させるよう、イーサンに意見するつもりだったんだ」


「そ、そう……だったんですか……」


勝手に嫉妬して、勝手に癇癪を起してしまった自分が恥ずかしくて俯くエレノアの頭に、クライヴは優しく口付けを落した。


「……それをちゃんと伝えていなかったんだ。お前が誤解したり心配しちまうのも当たり前だよな。なのに怒鳴っちまって……。本当に済まなかった」


「クライヴ兄様……」


「……俺にはお前だけだ。可愛い俺のエレノア……。愛している」


クライヴの言葉に、再びエレノアの顔が……というか、全身が真っ赤に染まった。


「――ッ!ク、クライヴにいさま……!……あのっ、わ、私も……にいさま大好き……です。……昨日は大嫌いなんて言ってしまって……ごめんなさい……」


「ああ。お前の気持ちは寝言で聞いて知ってる」


クライヴの爆弾発言に、エレノアは硬直した後、わたわた挙動不審となった。顔も頭から湯気が出そうな程に、これでもかとばかりに真っ赤になっている。


「うぇぇっ!ね、寝言!?……わ、私……なんか変な事言ってましたか!?」


「さあ?どうだったかな?」


「クライヴ兄様~!!」


あわあわしながらも、自分が何を言ったのかを知りたがるエレノアの唇にチュッと軽くキスを落すと、クライヴは再びエレノアを胸に抱き締める。


「……どこにもいかねぇよ。ずっとずっと、お前の傍にいるから……」


そう呟きつつ、クライヴは軽く欠伸をする。


なんせ一旦自室に戻って賢者タイムになるまで己を徹底的に鎮め、その後再びエレノアと添い寝してから今の今迄、一睡も出来ていないのだ。

エレノアとのいつものやり取りにホッとしたら、急に眠気が出て来てしまったが、朝練があるので二度寝は出来ない。


見れば、エレノアも再びウトウトし始めている。


あれだけ自分を翻弄しながら、ぐっすり寝ていた癖に……と、ムカついた気持ちのまま、クライヴはエレノアの頬っぺたを摘まむと、左右に軽く引っ張ったのだった。



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余談であるが後に影達は、「あれだけ切羽詰まっていたにも関わらず、部屋を出る際ドアを開閉する音が聞こえなかった。流石はクライヴ様!」と、大いに称えたという。

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