第271話 【閑話】エレノアお嬢様がやって来た!②
雲一つない、スッキリ晴れた晴天の下。集積市場では我々世話役を中心に、非常に大勢の者達が、エレノアお嬢様のお越しを今か今かと待っていた。
ここに集まっている者達は、他領の商人達や一般客も混じっているものの、その殆どがバッシュ公爵領の領民達だ。
建物の内外にも厳重な入場規制を施し、いつもなら目こぼしする小悪党やスパイの類も、良い機会とばかりに一掃した。周囲には目立たぬ様、一般人に扮した護衛達も配置している。
……尤も、今回エレノアお嬢様に同行するご婚約者様は、我が国の英雄であるグラント・オルセン将軍の御子息、クライヴ・オルセン様だし、バッシュ公爵家騎士団が身辺警護にあたる筈だから、まず間違いなく御身に危害が及ぶ事は無いだろうが……。
エレノアお嬢様は今迄、この領地には数える程度しかお越しになられた事は無く、またその情報はお父上であるバッシュ公爵家当主、アイザック様により極限まで秘匿されてきた。……いや、ご婚約者様方の御父上方から……というか、クロス伯爵様の妨害も含まれていたようだが……。
とにもかくにも、この領地を統べる主家の姫様がいらっしゃるのだ。私もそうだが、皆胸の高鳴りが抑えきれないのだろう。
……ん?あの帽子とコートを纏い、コソコソしているのは、我が愚息ではないのか?!……やはり駆け付けて来たか、あの馬鹿。後で仕置き決定だ!
おおっ!遠くに小さく馬車の姿が!……って、あの馬。異常に大きくないか?ああ、成程。あれが噂のスレイプニルか。
あんな遠くにいてもあの迫力。流石は王家御用達の幻獣。それをバッシュ公爵家にも下賜されたのだから、領民として実に誇らしい。
そんな事を考えている内に、スレイプニルが引く豪華な馬車が、我々の前にゆっくりと停車する。するとその周囲を囲むように護衛していた騎士達が、そのまま乗っていた馬から跳躍して地面に降り立ち、周囲を一瞥する。……うむ!流石はバッシュ公爵家が誇る騎士団員。見事だ!
……ん?ちょっと待て。あの中に、見慣れない制服の騎士達がいるのだが……。ひょっとして、王都バッシュ公爵邸を守る騎士達であろうか?
などと、騎士達の動きに目を奪われている間に、いつの間にか御者が用意していたタラップを踏み、一人の青年が馬車から出て来るのが見えた。
その姿に、思わずその場の一同が揃って息を飲む。
陽光を受け、燃える様に輝く銀糸の髪。晴れ渡る青空よりも青く美しいアイスブルーの瞳。その面差しは精悍かつ優美で、騎士に負け劣らぬ鍛え上げられた体躯と相まって、この上もなく美しい。
噂には聞いていたが……これ程とは……!
そして次に、美の化身とも呼べる青年が大切そうに手を取り、エスコートする少女の姿を見た瞬間、その場に静寂が満ちた。
陽光の光を受けて輝く、波打つヘーゼルブロンド。薔薇色の頬と愛らしい桃色の唇。そして何より印象的なのは、インペリアル・トパーズのようにキラキラと輝く、黄褐色の大きな瞳だった。
簡素だが、一目で質の良い特上の絹を使っているのが分かる、純白のドレスを身にまとったそのお姿は、ご婚約者様と並んでもけっして引けを取らない……いや、寧ろそのご婚約者様をも引き立て役とする程に愛らしかった。
このお方が……。エレノア・バッシュ公爵令嬢。バッシュ公爵領を統治する、公爵家直系の姫君……。
「ようこそおいで下さいました、エレノアお嬢様。バッシュ公爵領直轄集積市場の副統括を拝命しております、ガブリエル・ライトと申します。後ろに控えている者達は、共にこの市場を管理している世話役の者達です」
……果たして私は、ちゃんと噛まずに口上を言い終えられたのだろうか……?
「初めまして、ライト様。エレノア・バッシュです。この度はお忙しい中、私共の為に貴重なお時間を割いて頂き、心から感謝いたします」
緊張と、お嬢様と直に会話が出来る喜びと恐れ多さに内心大焦りしている私に対し、エレノアお嬢様は花が綻ぶような笑顔を浮かべながら、鈴の音が鳴るかのごとき愛らしいお声で、挨拶と労いのお言葉をかけて下さった。
しかもなんと!我々に対して、簡易的な淑女の挨拶をして下さったのだ!
……なんという……。この方は愛らしいだけではなく、平民である我々に対しても、お父上同様礼を欠かさぬお方なのだ。
目の端に、愚息が胸を抑えて崩れ落ちている様子が映ったが、今の私に責める気持ちは欠片も湧かない。というより、自分も副統括という立場でなければ、愚息同様
その後、遅れて姿を現したエルモアの娘を見た瞬間、私は別の意味で倒れそうになった。
……何なのだあれは!?何故よりにもよって、ドレスの色がエレノアお嬢様と丸かぶりしているのだ!?有り得ないだろう!?しかも到着の遅れを真っ先にお詫びすべきお嬢様を放置し、領民達との会話に興じるなど……。エルモア!お前、娘に一体どういう教育をしてきたのだ!?
ご婚約者様をはじめ、周囲の護衛騎士達の冷たい視線と怒気に恐れ戦きながら、エレノアお嬢様にお詫びを申し上げる。
するとお嬢様は、「間違いは誰にでもある。それよりもバッシュ公爵家の為に一生懸命働いてくれている事にお礼を言いたい」というような趣旨の御言葉を仰られたのだ。
――天使だ……!女神様の御使いが、今ここに降臨された……!
私は……いや、私を含めた世話役の全員が、エレノアお嬢様の尊さに胸を打たれ、揃ってその場に片膝を着き頭を垂れた。
本音を言えば、我が身にかけられた至上の御言葉を胸に、そのまま地面にひれ伏し、身悶えたかった所だが……。流石にそんな無様をお嬢様の御前で晒す事は出来ない。
まあ、私の気持ちを代弁するように、愚息が地面にひれ伏し身悶えているから良しとしよう。
その時だった。フローレンス嬢が慌ててこちらに駆け寄るなり、何故か私達の前に立つと、「エレノアお嬢様!!申し訳ありません!」と、見当外れな事を捲し立てだした。
彼女の話を要約すると、自分の父親が不在なのは、バッシュ公爵家が仕事を振った所為なのだから、怒りを解けと……。しかも我々が叱られていると思い込み、庇おうとしているようだ。
……なんという……。以前から目に余る行動が目立つ娘であったが、まさかここまでとは……。
エレノアお嬢様の困惑した様子に怒り心頭になった私は、フローレンス嬢に対して厳しい言葉を浴びせる。確かこの娘は母親と共に、バッシュ公爵家本邸の管理者をしている筈。なのに、あのイーサン様がこのような愚かな行為をする者を野放しにするなどと……。一体何を考えて……。
――……ひょっとしたら、エルモアがこの場に駆け付けられなかった本当の理由は……。
私は密かに浮かんだ考えを胸に、エレノアお嬢様とご婚約者様方を市場の中へと誘導した。
「うわぁ~!凄い!」
市場の中に入ったお嬢様は顔を紅潮させ、見る者すべてに興味津々といった眼差しを向けている。ああ……なんとお可愛らしいのだろうか。
店の者や、周囲にいる者達も皆、相好を崩してお嬢様に見惚れている。
更に可笑し……いや、微笑ましかったのは、店に立ち寄って商品を勧められていた時だ。
お嬢様が差し出されたそれらを手に取り、口に持っていく素振りを見せるたび、ピッタリと横について来ていた召使が、お嬢様のお手をぺちりと叩いて止めさせ、お嬢様がションボリと名残惜し気に商品を返し、また次の店に行く。その繰り返しである。
いや、確かにトマトやリンゴや大ぶりな苺なんかを口にして、万が一纏う純白に汁が飛び散ったりしたらと思えば、止める気持ちは分からんでもない。
だが、一介の使用人があんな態度を高位貴族の娘に対して行うなんて、普通は有り得ない。
下手をすると投獄もあり得る。なのにお嬢様とその召使は、まるで息の合った芸人のように、我々の前で有り得ない攻防を繰り返しているのだ。……ひょっとして我々は全員、白昼夢を見せられているのだろうか?
だがご婚約者様の表情は凪いでいる。……成程。信じられない事だが、つまりエレノアお嬢様のこのお姿は通常仕様という事なのだろう。
「エレノアお嬢様、朝採れのマンゴーですよ?」
そう言って、店主が手早く商品のマンゴーを一口大に切り分ける。
するとお嬢様の顔がみるみるうちに紅潮し、瞳の輝きも増していく。……お嬢様。マンゴーお好きなのですね?
あっ!例によって召使が動いた!
だがしかし……。
「シャノン……」
お嬢様が目をウルウルしながら召使を見上げる。……くっ!な、なんというあざとさ!鉄壁の防御を誇る召使も、頬を染めて口を引き結んでいる。……あっ!一番大きく切られたマンゴーを口に放り込んだ。毒見か!?
「……お一つだけですよ?」
「わーい!」
召使が楊枝で刺した一番小さい欠片(酷い!)を、万が一にも汁が漏れぬよう、片手でガードしながら差し出した途端、エレノアお嬢様がパッと破顔し、パカッと口を大きく開けた。
それに対し、召使が慌てた様子で「お嬢様!お口は小鳥の様に小さく!囀る様にささやかに!」なんて言うものだから、お嬢様が「えっ!?こう?こんな感じ!?」とばかりに一生懸命お口をパクパクさせている。その姿はまるで、親鳥に餌を強請る雛のごとくである。
そんなお嬢様の姿に、「はい、アーン」とマンゴーを食べさせている召使の顔も首も耳も手も……ようは全身が真っ赤になってしまっていた。
……も、もう……止めてくれ!私が悪かった!女神様、これ以上は私の心臓が保ちません!どうかお助けを……!!
胸を押さえ、何とか踏んばり立っている私の周囲には、耐えきれず床に蹲ったり倒れ果てて身悶える連中で溢れかえっている。まさに屍累々といった様子だ。
ん……?マンゴーを差し出したあの店主も「父ちゃん、しっかり!」と息子に介抱されているな。……うむ。君の気持ちは痛い程分かる。だから頑張って立ち上がれ。そして生きろ!
見ればお嬢様の後方に控えていたクリス副団長は、手で顔を覆って震えている。そしてその隣のティルロード殿……だったか?両手で腹を抑え、爆笑を堪えている。だが両者ともが膝崩れもせずしっかり立っている。……流石はバッシュ公爵領の騎士達。見事だ。
ご婚約者様は……。一連の出来事を能面のような表情で見つめておられる。あれは……ひょっとして、羨ましい……のだろうか?それとも嫉妬?
ご婚約者様。お相手が天使で女神の御使いで、最高に愛らしいと苦労されますな。同じ男として激しく同情致します。
そんなこんなしているうちに、お嬢様が何気なく仰られた構想に、我々は全員息を飲んだ。
「折角こんなに豊富で新鮮な食材が沢山あるんだから、それを使った料理を提供したら、商人さん達や、観光客の人達への商品のアピールになるんじゃないかな」
更には、新たなる観光客の確保、本来廃棄される筈だった商品を金に変える方法。それによる新たる事業への可能性……など、次々と斬新な発想を語られるお嬢様の御言葉に、我々は言葉もなく聞き入る。
気が付けば市場中の店主達までもが、興味津々といった様子でお嬢様と我々の会話に聞き入っている。しかも、「うちの商品では何を作れば!?」「お嬢様、うちは!?」と、不躾にも意見を求める声まで続出する始末。
だがお嬢様はそれに対し、気を悪くするどころか楽しそうに次々と斬新なアイデアを披露していく。しかも……。
「シチューとか果物を使ったジュースとか牛乳を使うし、別の商品を扱っている店同士で連携するのもいいんじゃないでしょうか?」
そんな事をサラリと仰った。
確かにそれなら、互いにタダ同然だった廃棄用商品を互いに提供して利益を得る事が出来る。一石二鳥どころか、一石三鳥だ!本当に素晴らしい!
市場に集った者達全てでエレノアお嬢様をお見送りした後、早速、様々な案を具体化すべく動き出す。
『そう言えば……』
フローレンス嬢が我々やお嬢様を出迎えるでもなく、さっさと馬車に乗り込んでいたようだが、誰も気にもしていなかったな。というより、存在自体忘れていた。
……まあ良い。彼女をどうにかするのは我々ではない。もう既に自分自身で自滅の道を歩んでいるようだし……。放置で良いか。そんな事よりもやるべき事は山の様にある。
我々がまだ若かった頃、さほど有名では無かったこの集積市場を、仲間達と共に盛り立てていったあの時の情熱が蘇ってくる。心も体も若返っていくようだ。
見ていて下さいお嬢様。お嬢様が我々に授けて下さった様々な構想を元に、我々が一丸となって、バッシュ公爵領を更に発展させていきます。きっと将来、バッシュ公爵領は他領の追従を許さない程に栄える事でしょう。
……おっといかん。多分そこらに転がっている愚息を回収し、今後の計画の手伝いをさせなくては。
学院をサボったツケは、長期連休返上で許してやろう。まあ多分、命令せずとも勝手に頑張るだろうがな。
===============
~愚息君がバッシュ公爵領に戻る迄の流れとその後~
ぐ「済みません!!郷里の父が危篤で、すぐ帰らなくてはならないんです!!」
教師&友「なにッ!?今すぐ帰れ!なんなら転移魔法陣を発動してやるから!!」
ぐ「感謝します!!父も喜びます!!」
ぐ「すみませーん!危篤、間違いでした!(てへぺろ)」
教師&友「何だと貴様ー!!」
ぐ「実はたまたま、エレノアお嬢様が領地に戻られていて……」
教師&友「……詳しい話を聞こうか」
そして土産話(という名のエレノア話)で許された愚息君でした。(寧ろ「よくサボった!!」と称賛された模様)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます